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支援隊が街に戻ってから数日。
どれだけ激しい戦いであってもやがては過去のものになる。そう思えるほど平穏な日々が過ぎ、表面上は普段通りに振舞いながらも心の奥底では亡くした者を悼む……それが戦の習わしだ。
過酷な仕事を終えて積もった疲労を心身ともに癒すには十分な日数が経った。
大きな負傷をした者はそうもいかないが、幸いジグたちに目立った怪我はない。
「お仕事再開の時は今!」
宿の食堂でシアーシャが椅子に片足を乗せてそう宣言した。
食事時に突然響いた大きな声に周囲からちらりと目が向けられ、”なんだ、いつもの嬢ちゃんか”と逸らされていくのに恥ずかしさを感じる段階はとうの昔に過ぎた。
「……行儀が悪いから足を下ろせ」
「はい!」
ため息交じりに注意すると素直に足を下ろしてささっと汚れを払い、ちょこんと腰を下ろして朝食を食べ始める。
恐らく昨日食事をした際にどこかの冒険者がああやって騒いでいたのを見て影響されたのだろう。あまり妙な言動をする人物に近づけるのも考え物かもしれない。
「……朝からうるさいねぇ」
地を這うような苦言が隣から漏れ出てくる。
シャナイアは未だ眠気の抜けきらない頭でちびりちびりと温めたミルクを口にしていた。
シアーシャだけの特徴かとも思っていたが、やはり魔女という生物は朝に弱い傾向が見られる。
冒険者生活で彼女も多少は早起きにも慣れてきたようだが、やはり彼女たちは根本的に夜型なのかもしれない。
ジグは魔女の観察日記を心の中だけに書き留めておき、食後の茶を飲み干す。
「仕事の再開ということは、報酬の話がやっとまとまったのか」
「やっとお仕事ができますよー……”頼むからこれ以上仕事をして計算を狂わせないでくれ”ってカークに泣きつかれては、仕方がないですけどね」
先のストリゴ防衛戦における成果を清算するのにギルドは時間を要した。
拘束日数や魔獣の討伐数と避難誘導等それ以外の貢献に加え、特に最後の化け物との戦闘が報酬を決めることを困難にしていた。
また死亡した冒険者の遺族へ残った財産を譲渡するなど、ここ数日のギルドは多忙を極めていたのは想像に難くない。
そして最大の功労者であるシアーシャとシャナイア。
二人への報酬額の計算は相当に難儀したことだろう。
「それで、どうだった?」
一般的に手に入れた報酬金のことを聞くのは礼を失する行為だが、聞いてくれと言わんばかりに期待に満ちた眼差しを向けるシアーシャには当てはまらない。
「聞いてくださいよ! 報酬金三倍と特別手当も付いて、しかも特例で五等級まで昇級できました!」
待ってましたと鼻息荒くテーブルに手をついてシアーシャが身を乗り出す。
ジグは耳から流れた黒い髪がスープに落ちる前に手で受けながら、眉根を寄せて首を傾げた。
思っていたよりも報酬が少ない。
当然昇級以外にも相応に金を受け取っているのだが、それにしてももう一つくらい上げてもよかったのではないかと感じる。
あの化け物はかつて見た魔獣のどれよりも危険だ。
区分の上では四等級上位である風来鮊ですら比較にならないほどに強力で規格外。透明・飛行・潜行等の厄介な特性を持つとかそういう次元の話ではなく、純粋な個体としての能力だけで街の存亡に関わるほどの力を秘めた生命体。
未だ遭遇したことのない二・三等級は言うに及ばず、一等級ですらそれほどの力を持つとは考えにくい……そういう類の化け物。
それらを加味すれば控えめに見ても三等級くらいにしてもいいと思うのだが……だがまあ、単純な力のみでのし上がっていい世界でないことはこれまで出会ってきた冒険者を考えれば納得できないこともない。
強力な力がある分なおのこと、迂闊な地位や権力を与えることに慎重にならざるを得ないのは現場主義のジグにも分かる。
「……そうか、良かったな」
諸々の事情を呑み込んだジグは一言そう褒めて微かに笑みを浮かべる。
あまり公にできない事情はあるにしろ、己がなした成果を評価されてシアーシャは喜んでいるのだ。ならばそれに水を差すような真似はすまい。
手の平にたまった黒い絹糸をそっと背に流してやり、軽く頭を撫でてやる。
武骨な手が頭に載った。ただそれだけのことで彼女は満面の笑みを浮かべてくれた。
「たのもう!」
威勢のいい、というよりは元気がいいと表現したくなる掛け声とともにギルドの扉を叩くシアーシャ。
初めて冒険者登録をしに来たとき、混乱した彼女を抱き上げて落ち着かせたのが随分昔に感じる。
ギルドにいる冒険者たちから向けられる視線に籠められる意味もかつてとは大きく違う。
登録した当初から期待の新人として大小様々な注目を集めたシアーシャは既に有象無象の冒険者ではない。小狡い真似をせず着実に成果を挙げ続けた彼女はギルドからの信頼も厚く、また有力冒険者たちからの覚えもいい特異な存在となっていた。
加えて例の化け物退治により、彼女の力はギルド内に知れ渡ることとなった。
同じ力による認知。しかしかつてシアーシャが向けられていたモノとは正反対の視線。ただ力を知られていたのならば畏怖され過去と同じ道を歩んでいたかもしれない。だが街を脅かす危険な魔獣を倒すという筋書きがあることでそれは称賛に変わる。
他の魔女には成し得なかったそれは、彼女による努力の結果だ。
「なにか面白そうな依頼はありますかねー?」
それを自覚しているのかいないのか、肩で風を切るシアーシャが依頼が張り出された掲示板へ歩を進める。それを横目に定位置へ向かおうとするジグだが、途中目についた姿に足を止めた。
「こんにちは、シアーシャさん。すごい活躍だったそうだね……冒険業が順調なようで何よりだ」
黒の重鎧を身にまとい、背にした両刃の大剣。
重装備でありながらも足取りは軽く、持ち主の力量の高さを示している。
金髪碧眼で爽やかな風貌をした彼、ノートン=ウィルサーは裏を感じさせない目でシアーシャの偉業を褒め称えた。
三等級冒険者であり品行方正かつギルドからの信も厚い、まさに冒険者の手本たるべき存在。
「……」
ジグの眼がわずかに剣呑さを帯びる。その男の危うさを知るが故に。
ノートンは冒険者という職業に対する憧れが人一倍強く、また自身もそれに相応しい存在であろうとしている。それ自体は悪いことではない。
しかし冒険者という仕事を特別視しすぎた彼はかつて、向上意識もなく他者の足を引っ張る有象無象の冒険者たちを陥れて半数を死に至らしめる強硬策に出た。数十名の死者を出す大事件となった首謀者でありながらも、彼は何の罪の意識もなく冒険者を続けている。
これだけで彼の異常性が分かろうというものだ。
彼は数少ないシアーシャの異常ともいえる力を知る人物でもある。今となっては周知の事実となったが、結果的にストリゴの魔獣襲撃の引き金たる事態を起こしたのが彼女だと知る唯一の他人でもある。
「えーっと……そうだ、ちょっとおかしな人!」
外套の中で双刃剣の柄を掴むジグを他所に、記憶を辿ったシアーシャが指差した。
短い付き合いにも関わらず覚えているのは、魔女である彼女をして普通ではない人物扱いされるほど印象に残っていたようだ。
「あはは、覚えていてくれて嬉しいよ。その件はどうも」
失礼な物言いにも気にしたところもなくノートンは爽やかに流した。
両手を上げて危害を加える意図はないと示しながら離れたジグへウインクをする。やはり油断ならない男だ。
「前にも話した通り、僕は危険に挑む冒険者を心から尊敬している。だからシアーシャさんのことは本当に凄いと思っているんだ」
「ありがとうございます。もう五等級ですからね、すぐに追い抜きますよ?」
「おお!? 最短記録じゃないかい? やれやれ、僕もうかうかしていられないな……」
ノートンは心底から彼女を褒め、その成果を喜んでいる。
純粋な少年のような輝きの眼が、どうにも不気味に見えるのは目の錯覚ではないはず。
「目覚ましい活躍の君にいい話を持って来たんだ。良ければ聞いてみないか」




