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あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
年末年始で中々執筆時間を確保できずお待たせして申し訳ありません……
紫紺の髪から覗く金の瞳が不快気に眇められる。
声音には苛立ちが表れており、眉間には皺が寄っていた。
「―――ッ!?」
魔力すら発露していない本気の怒りとは程遠いものだが、それはあくまでシャナイアにとっての感覚。
魔女の怒りの一端に触れたイサナが瞬時に間合いを取り、ギルド内だということも忘れて半ば反射的に刀へ手を置いた。
自身が咄嗟に戦闘態勢を取ってしまったことに驚くイサナだが、それを取り繕う余裕すらない。
金の瞳から目を逸らさず……逸らせぬまま、一触即発の空気で口を開いた。
「……あなた、一体何者?」
「聞いているのはこっちだよ。ボクがジグ君と今後のことを楽しく相談していたっていうのにぃ……横から突然出てきて何様だって言ってるのさ」
武器に手を掛けた彼女を、シャナイアは毛先を指で弄りながら睨みつける。
わずかなりとも戦いの意思を見せたこと、またその力量に気づいたことで鋭さを増した視線がイサナの首筋を粟立てた。
刺激臭と共に、ジグの視界の端で椅子に隠れた影が蠢いている。
「その辺にしておけ。場所を弁えろ」
これ以上はまずいと判断したジグが仕方なく止めに入る。
シャナイアの顔前へ腕を伸ばし、睨み合う両者の視線を切ってやる。突発的な怒りは脇から冷や水を浴びせることで鎮火することもあれば、余計に激しさを増すこともある。
だがイサナは落ち着きこそないが愚かではなく、シャナイアは勝者であるジグの言うことを比較的聞いてくれる。納得したわけではないだろうが、一旦は退いてくれた。
「ふん……人の話に割り込む方が悪いのさぁ」
そっぽを向いたシャナイアが不満気にこぼした。確かに話しているところに突然割り込まれるのは気分のいいものではないが、人と関わっていくのならもう少し辛抱することを学んでもらわなければならない。媚びへつらう必要はないが、所構わず喧嘩を売るようでは獣と同じだ。
「やれやれ」
彼女の様子に街へ来た頃のシアーシャを思い出す。
当時の彼女は浅薄な輩に因縁をつけられた際、ごく自然に相手を殺そうとしていた。今でこそ多少マシにはなったが、最初の頃は苦労したものだ。
ゆっくり教えていかなければなるまい。それに多少なりとも人と接していたシャナイアの方が楽かもしれない。ジグも魔女の扱いに少しは慣れてきている。
「……ッ、はあはあ」
寒気のする金眼が逸れたことでようやく呼吸のできたイサナが荒い息をつく。
嫌な汗が額を伝い、髪の毛が張り付く気色の悪い感覚を気にする間もなく首筋を撫でる。間違いなく繋がっている、その感触にやっと安心感がこみあげてくる。
繋がっていることを確認せずにはいられない……それほどに恐ろしい視線だった。
相手は何一つ、魔術の詠唱すらしていないというのに、次の瞬間には首を切り落とされるような予感が拭いきれない。
周りの鈍い連中は感じ取れていないようだが、イサナの鋭い感覚は一瞬で相手の危険性を読み取っていた。そして同時に、横にいるこの大男がそれに気づいていないはずがないとも確信している。
「……ジグ、彼女は何者?」
常と変わらぬ様子のジグは顎を軽く撫でて口を開いた。
「優秀な魔術師だ」
「優秀ね……そんな一言で片づけられる人物かな。気づいてるんでしょ? とんでもないわよ、彼女」
「世の中広い。自分より強い人間が現れた程度で狼狽えるな」
ジグは脂汗を流すイサナへ肩を竦めて見せる。
彼女が感じているのは既に彼が通った道であり、脂汗どころか少なくない量の血が流れていた。痛み無くして人は覚えないとは誰の言葉だったか。
「それより、悪かったな。急な仕事で伝える余裕がなかった……そうだな、次は受付嬢辺りにでも言付けておこう」
「……いえ。私こそごめんなさい……あの事はもっと早くに謝らなければいけなかったのに」
イサナは姿勢を正すと、真っ直ぐに頭を下げた。
長い白髪が床に触れるのにも構わず、微動だにしない見事なお辞儀であった。謝罪でありながらも美しさすら感じる。イサナが持つ気位は損なわない……いや、気位が高いからこそできる謝罪とでもいうべきか。
「……うむ」
気の強い彼女から受ける謝罪に面食らったのはジグの方だ。
ジィンスゥ・ヤ全体の気質を幾度か間近で見たジグにとって、彼女の謝罪は意外であったのだ。イサナは年上らしくないと常々思っていたが、それは何も悪い意味ばかりではないらしい。
個人差こそあれど人は成長するにつれて素直さを失い、小狡い流し方ばかりを覚えていく。義務的に行う思ってもいないような詫びの言葉や、内心を取り繕うすべに長けていくものだ。成長の過程で身につけるそれを悪いとは思わないし、ジグとて同じだ。
どうにもイサナはそれがない、あるいは極度に薄い傾向にあるらしい。
「その件については忘れよう」
「本当?」
頭を下げたまま少しだけイサナが顔を上げる。不安の入り混じる彼女の内心を表すように耳が後ろにぺったりと伏せられている。
「過ぎたことだ。それより、俺を探していたようだが……危急の依頼か?」
「あ……いえ、そういうわけじゃないの」
「そうか、ならいい」
相手の謝罪が済んだのならば用はない……ジグの口ぶりからそれを感じ取ったのだろう。
会話を打ち切ろうとする気配を察したイサナは慌てたように頭を上げた。
「そ、そうだ! 謝意を示すってわけじゃないけど、詫び代わりにいくつか技を教えてあげる」
「……なに?」
ジィンスゥ・ヤの技……それを耳にしたジグの眼に興味の色が浮かぶ。
戦いにおける強さとは一つではない。
敵をねじ伏せる力だけにあらず、打ち合う剣の技だけにあらず、戦況を見極める眼だけにあらず。
それら全ての総合力によるものである。
そして幾多の戦場を見てきたジグをしても、ジィンスゥ・ヤの持つ独自の技には目を瞠るものがある。彼らの持つ内向性ゆえに一族のみに伝わる技術が発達したのだろう。その一端でも教えてもらえるのならば、以前の無礼程度など安いものだ。
「それは願ってもないが……いいのか?」
ありがたい反面、抵抗感もあるジグが聞き直す。
元居た大陸では他人の技術を……とりわけ殺しの業を伝授することは軽々にできることではなかった。もし他者のそれを勝手に盗み見ようものならば、腕を斬り落とされたって文句は言えない。
「そうじゃないと詫びにならないでしょ? それに教えるだけ……身につけられるかはあなた次第よ」
「……望むところだ」
これは僥倖だとジグは内心でほくそ笑む。
エルシアから教えられた澄人教の戦い方に加え、ジィンスゥ・ヤの技法を知る機会に恵まれる者などこの大陸においてもそうはいまい。魔術という手段がないジグにとってこれは大きな手札となるだろう。
ストリゴでの諸々を考えれば荒事の種はこれからもなくなることはない。手札はいくらあっても困らないはずだ。
「……」
「ぬ」
思わぬ美味しい話に乗り気になっていると、とても機嫌が悪そうにジグを睨む視線に気づいた。
ちくちくと物理的な痛みを感じるのはいたたまれなさによるものではなく、実際に小さな影がジグの脚を突いているせいだ。流石は魔女と言うべきか、シアーシャと比べても随分と器用な魔術の扱い方をしている。
結局、割り込まれた相手に話の流れを持っていかれたシャナイアの機嫌を直すのに、もうしばらく時を必要とすることになった。




