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ジグにとって行軍とは辛いことの代名詞と言ってもいい。
暑い中、あるいは寒い中。重い荷物を背負ってただひたすらに歩くだけの、何の達成感も得られない苦行そのもの。兵の中には殺し合いよりもよっぽど辛いと嘯く者すら居るほどだ。
荷馬車もいるのだが、乗れるのは非戦闘員や魔術師など体力的に不安がある者に限られる。
場所も取る上に重量もある体格のジグでは乗せてくださいと言えようはずもない。もっとも、戦地まで何日も歩き詰めになるのに比べれば大したことはない。水がいつでも手に入る行軍など有難過ぎて涙が出る。
「ハリアンが見えてきましたよ」
加えて仕事を終えた後の帰還と思えば足取りも軽くなるというもの。
荷馬車に座るシアーシャの指す方を見れば、見慣れた街並みが遠目に見えた。
「……帰ってこれたか」
背嚢を背負いなおして息をつき、自然に帰ってきたと感じている自分に少し驚く。
いつになく長期間逗留していると、愛着らしきものが湧いてくるものだ。いつの間にかジグにとって、ハリアンとは帰ってくる場所と認識していたらしい。
「さて、長いこと宿を空けたままだからな。一度顔を出しておかないと、死んだことにされてしまう」
「そ、それは困ります! まだ借りたままの本を全部処分されたら……弁償金だけで破産しちゃいますよ!」
冗談めかして言うと、シアーシャが顔を青くして慌てふためいた。
あまり大量に借りたままにすると紛失するぞと注意しておいたのだが……あの様子では借りたままにしている本は一冊や二冊だけではなさそうだ。
「ど、どうしましょう!?」
「だから程々にしておけと言っただろう」
実のところ、冒険者が死んだ際にはギルドから通達などが出るようになっているから心配する必要はないのだが……いい機会なので黙っておくことにする。
これも経験だ。偶には恐ろしい目に遭っておくのも彼女のためになる。
ジグが素知らぬ顔でそんなことを考えていると、呻くような声が聞こえてきた。
「おえぇっぷぅ……もう着いたぁ?」
荷馬車の中、積み荷の隙間に入り込んでいたシャナイアが地獄の底から這い出るように顔を出す。
彼女は酷く乗り物酔いする性質らしく、荷馬車の揺れでかなり参っている。
「もう少しだ、我慢しろ」
「うげぇ……つらいよぉ……ジグ君、おんぶ」
「断る。背中で汚物を撒き散らされるのは御免だ」
「ひどいぃ……女の子に汚物だなんて」
恨みがましい目を向けてくるシャナイアへ呆れた視線を向ける。
男だろうが女だろうが汚いものは汚いに決まっているだろうに、何を言っているのだろうか。そもそも女の子という歳でもあるまいに。
「そんなに嫌なら別についてこなくても良かったんですよ?」
冷たい声を出したシアーシャが蒼い瞳で睨む。深い眼が底知れぬ迫力を滲ませるが、シャナイアも負けじと睨み返す。
「ハッ! ジグ君への違約金は返し終えたんだ。お前に今後ボクがどうするか口出しされる謂れはないねぇ」
金の瞳が眇められて真っ向からぶつかり合った。
魔女同士の性質による仲の悪さか、単純に相性が悪いのか。ジグには判断がつかない。
「よせ、馬が怯える。街を前にして立往生は勘弁してくれ」
険悪な空気が影響する前に止める。やっとまともな食事にありつけそうなのにお預けは堪ったものではない。
「ふん、命拾いしましたね」
「ジグ君が言うなら仕方ないねぇ」
彼女たちが本気になったらジグの制止程度で止まることはないが、この程度はじゃれ合いのようなものだ。お互い鼻を鳴らしながら同時に視線を逸らす。
「……面倒な」
仲のよくない魔女二人にため息をつく。
勝手にやっていろと放置したい気持ちは大いにあるが、万が一殺し合いにでも発展してしまえば被害は甚大だ。事情を唯一知っているジグが対処しなければならなかった。
シャナイアの言う通り、彼女がジグとの契約を反故にしたことで発生した違約金は返し終えたと判断した。あれだけの重労働をしたのだから当然と言えば当然だが。
魔女に関する情報も聞けたし今のところは襲ってくる様子もないので、あとは自由にして構わないと伝えたのだが……どうしてか、シャナイアはジグたちについてくることを選んだ。
無論、彼女が未だに繁殖相手として狙っていることは承知している。
しかし魔女の侵食が効かず、操り人形にすることができないと知った以上は無理と分かっているはずなのだが。
断っても勝手についてくるのであれば止めても意味はない。
彼女がこちらに害を及ぼすと判断したら、その時に改めて殺せばいい。
「……」
ちらりとシャナイアを横目で窺う。
死にそうな顔で外の空気を求めている様子は演技には思えず、顔色も悪い。そもそも演技で吐瀉物を出せるほど魔女の自尊心は低くあるまい。つまり、本気で乗り物に酔っている。
「やれやれ」
別に彼女が苦しんでいようと知ったことではないが、横で饐えた臭いをさせられるのも良い気分ではない。仕方なしに背嚢から林檎を薄く切って干したものを取り出すと、虚ろな目をしているシャナイアに渡す。
「……なぁに、これ?」
「干し林檎だ。酔いに効く」
そう言って差し出すも、すぐに食いつかずにぼうっとしている。
幾度も吐いたことで食欲がないのか、あまり食いつきがよくないようだ。
そっと、鼻先に匂いを届けるように近づけてやる。
形のいい鼻がひくひくと動いた。果実の甘い匂いに誘われ、小さな口が雛鳥のように開けられる。
さくりと、水分の抜けた林檎が彼女の歯形に齧り取られる。
何度か咀嚼し飲み込んだ。
「……甘い」
「甘さと噛むことが酔いを和らげるそうだ。昔、船乗りに聞いた」
ほらと上下に動かしてやると、緩慢な動きで受け取る。
久しぶりに水以外を口にした彼女の顔に笑みが浮かぶ。普段のにやついた笑みとは違う、自然な顔だった。ゆっくり一枚を食べ終えた彼女に追加で二枚渡して離れる。
「……ありがとぉ」
たどたどしい礼の言葉に肩を竦める。
そうやってしおらしくしていれば見た目も相まって大した美少女ぶりなのだが。
「あ、ジグさんいいモノ食べてる」
美味しいモノの気配を嗅ぎつけたもう一人の魔女が顔を出してきた。
”私にもくださいな?”と訴えるシアーシャへ、自分の分を抜いて包み紙ごと渡しておく。
もうすぐ補給ができるのだからこれくらいはいいだろう。
なにしろ今回の依頼は大成功。
必要な食費などはギルド持ちで、武具も目立った破損等はなくグローブの魔石が枯渇した分の交換が必要なだけ。特殊な魔獣の検体提供など、細かな追加依頼や調査協力費などを含めれば収支は大幅に黒字。
大儲けだ。素晴らしい。
懸念事項を強いて挙げるのならば武器の提供を求められる可能性だが、それに関しては掛かった以上の金額を要求すればいい話だ。
大きな負傷も損失もなく大量の実入りがあるジグの懐は常夏。
「懐に余裕があると、心にも余裕ができるな」
近頃ずっと金がない金がないと頭を悩ませていた問題が解決したのは大きい。
ここいらで少し休暇を取るのも悪くないのかもしれない。
「最近、働き詰めだったからな」
度重なる激戦で溜まった疲れを癒す必要がある。
心身ともに酷使する仕事は見た目以上に摩耗するもの。街を守る一連の戦いや魔女との殺し合い、空を飛ぶ強力な魔獣や異常な化け物などなど、あまりに色々起き過ぎた。
飯を食い、酒を飲み、娼館にでも行こう。
まずは帰って食事、夜には酒だ。
「……そうだな、酒と女はまとめてハンナのところで解消できるか」
ハンナとはジグがよく情報収集に使う娼館の女だ。
小さい娼館では娼婦が朝方に客の呑んだ酒瓶などを運び出すのだが、走込みついでに幾度か力仕事を手伝っていた。代わりに人探しなど街の情報を教えてもらうのだ。
体一つで稼ぐ彼女たちが持つ情報は馬鹿にしたものではなく、男だけでは得られない類を知るのに最適だ。並の情報屋などより余程役に立つ。
偶にはあいつのところにでも顔を出しておこう。
「「……」」
―――彼女たちには決してバレない様に。




