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異形の化け物と理性ある化け物。
二つの異物が織りなす戦いの幕が切って落とされた。
化け物が吼え、三つの穴から閃光が奔った。空を焼くような熱と光の奔流が解き放たれる。
多重詠唱により複数の魔術を融合させた多色熱線は一直線に街を、シアーシャを滅ぼそうと迫りくる。触れてすらいない地面が削り取られるほどの威力を秘めた熱線は化け物ですら持て余すのか、地面に突き刺した脚で固定した巨体が後退した。
「真っ向勝負―――上等です」
万物悉くを消滅させし暴威を前に、しかし彼女は不敵に嗤う。
その身に宿す強大な力を十全に振るえる機会を得られたことへの歓喜と、その力をただの暴力としてしか扱えない憐れな化け物への嘲笑を籠めて。
魔術を組み上げて手を翳す動きに応じて大地が動き、地響きを立てて土の壁がせり上がった。
化け物とシアーシャの間を隔てる三枚の巨大な土壁。
この短時間で組み上げたとは思えないほどの強度と規模を誇る三重の盾へ、破壊の光が衝突する。
結果は―――勝負にもならなかった。
眩い輝きを放つ多色熱線はいとも簡単に一枚目の土壁を貫通し、余波だけで残った部分まで吹き飛ばした。熱線は些かも減衰した様子を見せずに次の壁へ直進。
ここまではシアーシャの予想通り。
彼女が事前に感じ取っていた魔力を思えば当然の結果だ。
あの土壁は単なる時間稼ぎと、多少なりとも最大威力を削げればいいという目論見で作ったに過ぎない。
「……」
振り向かぬまま、背後に広がる街を意識する。
今のシアーシャにとって戦いとは敵を滅し、自分だけが生き残ればいいというものではない。
彼女の背には依頼として守らなければならない街が、死んでほしくないと思う知り合いがいる。
熱線が二枚目の壁に到達。
先と同じ結末を辿る。
「守らなきゃいけない物があるっていうのは……難しいですね」
少しだけ苦笑して、迫りくる破壊の権化に意識を戻す。
足を肩幅に開いて両手を前に。打ち合わせた手から乾いた音が鳴る。
「さあ―――行きますよ!」
長い時間を掛けて術を組み上げ、注ぎ込んだ魔力を起動させる。
一拍の静寂の後、大地が揺れる。
彼女の眼前、先の土壁とは比べ物にならない規模で地面がせり上がり始めた。
まるで街を襲う津波を思わせるような形状で大きさを増していく大地。
何よりすさまじいのはその横幅だ。まるで街の一方角を覆いつくさんとする範囲で現れたそれは、防壁が街を守っているかのようだ。
三枚目が抵抗虚しく貫通、瓦解する。
熱線はいまだ健在で破滅的な威力を有している……が、少しだけ。ほんの少しだけ、最初と比べるとその勢いに減衰が見られた。
「やれやれ……群れるってのは面倒だねぇ。弱い個体まで守らなきゃいけないなんて」
大地の防壁とでも呼ぶべきそれを、無数の夜を思わせる帯が覆っていく。
愚痴交じりに唱えられた魔術により伸びた黒い影が防壁の表面を補強し、より強固な鉄壁へと仕立て上げる。
「でもまぁ、そんな人間でも滅んじゃうと困るんだよねぇ」
シャナイアが問いかけるように横目で視線を送る。
蒼眼と金眼が一時交わり、同時に壁越しの敵を見据えた。
「「だから―――お前が消えろ」」
前代未聞の、魔女二人による協力魔術。
犬猿の仲たる彼女たちの性質を考えれば本来叶うはずのないそれは、ある一人の人間により実現した奇跡の産物―――ありうべからざる夢想の二重唱。
「「Aaaaaaaaa!!」」
万物悉くを滅ぼす最強の矛。
何人も打ち砕けぬ最強の盾。
二つが今、真っ向から激突する。
「―――ッ!!!?」
音すら置き去りにする閃光が弾け、その場にいる者たちの眼を焼いた。
あまりの恐怖に誰かが悲鳴を上げたような気もしたが、遅れてきた甲高い音に飲まれてしまう。
「く……!」
眩む視界の中でジグが見たのは、化け物の多色熱線を魔女たちの防壁が防いでいる光景だった。
流線型の壁は熱線を受け流し、放射状に拡散させている。
散らされた熱線が大地を深く抉り、木々を切り倒し、雲を裂いた。
しかしそれほどの被害を出しながらも、街は無事だった。
彼女たちの築き上げた防壁は化け物の熱線による攻撃を見事防いでおり、致命的な損傷を回避している。多色熱線と影に覆われた防壁による魔力反応光が激しく瞬き、日の光とは違う明るさで周囲を照らしていた。
「こっちが押してる……のか?」
人では決して成し得ない規模での戦い。
その凄まじいぶつかり合いに唖然としながらハインツが呟く。半ば願望の混じったそれを肯定してくれる者は誰もいない。
「分からん」
膝をついたままそう返す。
それは魔女と長く接してきたジグですら例外ではない。どちらが優勢なのか、押されているのか、それすらも理解が及ばない領域の争いだ。
「―――だが、見ているだけというのは性に合わん」
だからと言って、ぼさっと眺めているつもりはなかった。
ただ黙って守られるわけにはいかない。自分は彼女の……シアーシャの護衛なのだから。
双刃剣をついて立ち上がり、砂埃を被った外套を払って足を前へ。
「お、おい! 無茶言うな、アレに突っ込むってのか!?」
ハインツが青ざめた顔で引き留める。
彼は腰が引けた様子で指さす。散った熱線が周囲を破壊し、大きな轍を残している。人間が迂闊に近寄ればあっという間に焼かれ、塵も残らぬほどの威力を秘めているそれが無作為に撒き散らされていた。
「ひぃ!?」
近くを抉った熱線に誰かが悲鳴を上げて身を丸くした。
冒険者たちは身を低くして当たらぬように祈り、意味などないと分かった上で防御術を張っていた。自分たちの職務に忠実な僧兵たちですらそれは変わらない。
それは、命の危険を前にした人間として普通の反応だ。
「行けば死ぬぞ!?」
「止める理由がそれだけならば、下がっていろ」
だが、兵に普通の反応は許されない。
真っ当な職業でない自分たちに、真っ当な反応は求められていない。
なぜなら兵が死ぬのも生きるのも、殺すのも殺されるのも、結果の一つでしかないからだ。
己の役目を果たす時に必要となる行動をした際に発生しうる「結果」の一つ。
「俺は、俺の役割を果たす」
そしてジグの役目はこれだ。
彼女を守り、そのついでに街も守る。一挙両得、素晴らしいことだ。
「うおっ!?」
散った熱線の一筋がジグとハインツの間を通り抜ける。
地面を抉った傷跡は二人を分かつように線を引いた。まるで下がる者と進む者を隔てるように。
ハインツは線の向こう側にあるジグの背を見た。
双刃を手に外套はためかせ、大敵を前に少しも怯んだ姿を見せない大きな背。
その揺るぎない背中を頼もしく思っていたが、今だけは理解できなかった。死を目前にしても人はこう在れるものなのかと、恐ろしさすら感じた。
ハインツとて冒険者だ、命を張ることに抵抗はない。
だが死ぬと分かっている場所に飛び込むほど無謀にはなれなかった。
「お前、死ぬのが怖くないのかよ……?」
絞り出すように出た言葉に、ジグは少しだけ反応した。
それは窮地において幾度となく彼が掛けられた言葉であった。同じ団員、依頼主、情報屋、そして友に。死地を前にすると必ず誰かが自分に問うた。
だから今回も、”いつも通り”に答える。
「それが仕事だ」




