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重そうな足取りで去って行くヨラン司祭を見送る。
彼は途中で護衛らしき僧兵数人と合流した後、屋敷を出ていった。やはりというべきか、何かあった際の為に伏兵を用意していたようだ。
「やれやれ、こういうのはあまり得意じゃないんだがな」
慣れないやり取りに妙な疲れを感じたジグが嘆息する。
傭兵団時代の頃から交渉はジグの仕事ではなかった。大抵はコサックかライエルなど、その分野に長けた者に任せていたのだ。ジグの役割と言えば後ろで腕を組み、無言の圧を掛けるのが仕事だった……つまり何もしていない。
近くで見ていたから見様見真似で出来てはいるが、肩が凝ってしまう。
”こういうのも覚えておかないと、後で苦労するぞ”とよく言われていたが、今がまさにそうだ。
まあ、とりあえずは乗り切れたので良しとしよう。
「さて、あとは要請があるまで待機……」
「…………」
言いかけたところで、書類を抱えたシアンと目が合った。
バルジやヨラン司祭と話している間、ずっと待っていたのだろう。大人数の冒険者たちを捌いた彼女はくいっと親指だけで奥を指し、踵を返して先に向かった。
まるで路地裏に連れ込んで暴行でも加えそうな仕草が妙に似合っている。
「という訳にも……いかないか」
次から次へと舞い込んでくる客は必ずと言っていいほど厄介事を持ち込んでくる。
それが仕事と言われればそれまでなのだが、頻繁に戦地へ赴いていた傭兵団時代より忙しいのは……きっと何かを間違えているような気がする。
「まったく、どこで潮目が変わったのやら」
ジグは分かり切ったことを口にしながら立ち上がり、勇ましい受付嬢様の後に続いた。
マフィアの屋敷とはどこも似たような作りをしているのだろうか。
通された部屋は前にファミリアでクロコスたちと初めて会った応接間によく似ていた。
そう言えばあの部屋はバルジと戦った際に床を派手に壊したはずだ。人型……亜人型に窪んだ床の修繕費を請求されたりしないだろうか。
詮無いことを考えながらシアンの対面に腰を下ろす。
彼女はすぐに書類を差し出し、本題に入った。
「以前あなたが撃退した風来鮊を覚えていますでしょうか?」
「ああ」
傷つけられた砂塵蛇の胸鎧を軽く手でさする。
忘れるはずもない。確かにその後に出てきた化け物のせいで印象が少し薄れているのは否定しない。
だが本来であれば、あの魔獣一匹だけでも相当な脅威だ。より大きな脅威が現れたからと言って忘れられるほど、ジグは能天気ではなかった。
「あの魔獣の一部をハリアンの研究者たちへ回したところ、大きな反響がありまして……研究者たちから直接魔獣を目にしたあなたへの聞き取り調査を要求されたのです。ちょうど今は各防衛担当区域からも応援の要請はありませんので、この際に済ませてしまおうかと」
そういえばそんな話もあったか。
発見例の少ない魔獣の部位は研究対象として高く取引されるとウルバスに教えられ、斬り落とした風来鮊の鋸尾をハリアンに送った。色々なことが起きたのですっかり忘れていたが。
「確か、薬に使えるんだったか?」
「正確には試薬ですけどね。体内の悪性魔素……異常をきたした魔力に反応して、どこが悪いのかを突き止められるのだとか」
「……なるほど?」
全く理解できない話だ。
全員ではないが、現場の人間は必要な知識であれば覚えてもその原理までは理解しようとしない。
何に効いて、どのような効果があり、服用する際の注意点はあるのか。それだけ分かれば十分だ。
それでもジグは師匠に教えられたので多少は知っている方だが、魔力を持つ人間に効果のある薬の原理など理解出来ようはずもなかった。
「まあそこは重要ではありません」
やはりどこの世界でも現場の人間が求めるのは効果だけで、原理まで理解しようとしないのだろう。
彼女はジグの適当な相槌によくあることだと気にした様子もなく話を先へ進める。
「先に報酬のお話をしましょう。まず提供していただいた検体が二百万……処置が良かったと褒めていましたよ。こちらの聞き取り調査にご協力いただければ追加で五十万支払うとのことです」
「……多いな」
想像していた以上の金額に目を丸くする。
十万そこそこの謝礼が精々かと考えていたので嬉しい報告だ。普段であれば報酬が高すぎる依頼は裏がないか怪しむところだが、今回のは提供した物に対する謝礼かつギルド経由なので心配もない。
無表情が常であるジグの顔も綻ぶというもの。
「それだけ貴重な検体ですからね。……実はここだけの話、どうにかして本体を捕まえられないかと打診があったんです」
「受けなかったのか?」
「受けませんよ! あんな危険な魔獣……ただでさえ実際に遭遇した冒険者からの報告で、ギルドの等級評価が甘いと認識したばかりだったのに。副頭取が乗り気だったので、風来鮊の危険性をしたためた報告書十枚送りつけてやりました」
怒りの混ざった口調でシアンが声を荒げた。
実際に戦ったジグとしても同意見だ。あの時は街の防衛という依頼だったので逃げるわけにはいかなかったが、シアーシャとの冒険業で遭遇したら真っ先に撤退を選んだだろう。
まだ会ったこともない研究者たちが先ほど交渉したヨラン司祭と被って見えた。
「やれやれ、どいつもこいつも危険な物を捕まえたがっていかんな」
「……ええ本当に。どうしていつの時代も上は無理難題ばかり投げかけるのでしょうか?」
職種は違えど、上の無茶に振り回される辛さを知っている二人は静かに嘆息した。
シアンはここに来た経緯などを思い起こして黄昏ていたが、自分の仕事を思い出してなんとか持ち直す。
「……失礼、話が逸れてしまいましたね。聞き取り調査にご協力お願いします」
「了解した。それだけで金がもらえるなら楽なものだ」
「現金ですね」
「傭兵だからな」
不敵に笑う彼女へ軽く返し、勝手知ったるやり取りで話を進めていく。時間はそこまで経っていないが、付き合いの濃さという意味ではシアンともそれなりになっていた。
用意された項目通りに出される質問に覚えていることを詳細に話していく。
個人的な所感ではなく事実のみを、具体的にだ。専門家が素人の余計な感想など求めていないことくらいはジグにも分かる。
大きさ、飛ぶ速度、旋回性、攻撃性や威嚇の仕方などなど。
報酬が支払われる正式な依頼である以上、ジグも適当な答えはせずに一つ一つ丁寧に答えていく。
質問の数も多く想像していたよりも時間を取られたが、幸い緊急の応援を求められるようなことはなかった。
「はい、ご協力感謝いたします」
最後の項目を書き終えたシアンが書類の束をまとめる。
話し疲れたジグがお茶を飲んで一息ついていると、シアンがふと思い出したように顔を上げた。
「あ、すみません。最後に一つだけよろしいですか? これは魔獣のことではなくあなたに関することなので、無理にとは言いませんが……」
少し申し訳なさそうな顔で尋ねる彼女へ、茶を飲みながら顎をしゃくって先を促す。
慣れぬ長話に疲れてはいるが、ここまで来たら一つ二つ増えたところで大差はない。
「風来鮊の鋸尾を切断したという武器ですが、今使っている物で間違いありませんよね? 確か、血晶纏竜の頭角を主な材料としているとか」
「よく知っているな……そうだ」
何故ギルドが冒険者でもないジグの武器を知っているのかと怪訝に眉を顰める。
シアンはわずかに不審を抱いたジグに気づくと、慌てて首を振りながら弁明した。
「少し前に預かっていたので」
言われて思い出してみれば、少し前にストリゴに転移された時に残された双刃剣の面倒を彼女が見てくれていたのだったか。特徴的な色合いの刀身をしているので魔獣に詳しい彼女であれば知っていてもおかしくはない。
「それがどうかしたか?」
「ああ、いえ。武器がどうというよりですね……風来鮊の脅威度が低く見積もられていたこともあり、調べられることは少しでも調べようと研究者たちが張り切ったみたいですね。それで鋸尾の強度試験を行ったところ、かなりの靭性と剛性がありまして」
確かにあの尾は厄介だった。
鋸状の刃はそこまでではなかったものの、芯の部分がかなり硬かったのは直接斬り結んだ手が覚えている。蒼双兜の刃では斬られていたのはジグの方だったかもしれない。
「だろうな、武器と防具を新調しておいてよかったよ。高い金を出しただけのことはある」
ガントにいい土産話が出来た。あの謎の多い魔獣に打ち勝ったと知れば喜ぶだろう。機嫌を取って仕事をさせる際に使えるかもしれない。
そんなことを考えていると、シアンが曖昧な顔で首を振った。
「いえ、それがですね……血晶纏竜の武器は確かにいい品ではあるんですけど」
「まどろっこしいな。結論を言え」
奥歯にものが挟まったような物言いをする彼女を促すと、ややあってから真剣な顔で打ち明けた。
「では率直に言います。血晶纏竜の両剣ではあの鋸尾を斬ることは出来ません」
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