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腹ごしらえは終えたが、どこかすっきりしない気持ちが残ってしまった。
なんとなくすぐ帰る気にもなれず、あてもなく散歩をしながら街を見て回る。
先の一件と言い相変わらず治安の悪いストリゴだが、今は多少なりともマシになって来たように感じる。これは搾取され続けた住民の意識が変化していることもあるが、大部分は警邏をしている冒険者のおかげだ。
魔獣の脅威はマフィアなどとは比べ物にならない。それを文字通り実感している彼らが、魔獣と正面からぶつかって打ち勝つ冒険者相手に下手な真似をしようと考えないのは当然とも言える。
多くの人間は冒険者が何をしているのかを知っていても実際に目にしたことはない。それがどれほど危険で恐ろしいことなのか、知識でのみ知っている。
魔獣と相対するのがどういうことなのか、それを本当の意味で理解した彼らは冒険者を侮らない。
たとえそれが、前線から逃げた様な半端者であろうとも。
「……存外、役に立つではないか」
以前来た時よりも大分大人しくなった街の様子を見てジグが苦笑いする。
魔獣に荒らされた方が結果的に治安が良くなるとはなんたる皮肉か。腐りきった土台は一度徹底的にぶち壊した方が良くなるという暴論を聞いたことがあるが、こうして目の当たりにするとあながち馬鹿にできない。
「なぁあんた、買わない? 上物だよ」
もっとも、完全に変わるにはまだまだ足りない。
今もこうしてしわがれた老婆が道の端で薬物を売っているのだから。
「間に合っている……?」
ジグは適当にあしらおうと老婆を流し見て、どこか既視感のある顔つきに足を止める。
相手も特徴的な容貌のジグを覚えていたらしく、目を丸くして酒に焼けた声を上げた。
「あんた……あの時の大男じゃないか」
「宿屋の店主か。生きていたとはな」
そこにいたのは以前ストリゴに飛ばされてシャナイアの依頼を受けた際、二人で宿に泊まった時の店主であった。歳も歳だったのでとうに死んでいたと思っていたが、良く生きていたものだ。
「そりゃお互い様だよ」
老婆はそう言ってひっひとくぐもった声で低く笑うと、懐からすっと紙包みを取り出してみせる。どこで手に入れたかなどを気にしても仕方がない。元々その辺で流通していたような街だ、火事場泥棒でもなんでもすればいくらでも手に入る。
「やれやれ……勝手に薬の売人など、マフィアに消されるぞ?」
「何がマフィアだよ、肝心な時に役立たないチンピラ共が。こちとら宿が吹っ飛んじまったせいで今日食べる飯にも苦しんでんだよ。ほれ、買っていきな」
縄張り意識の強いマフィアを無視して商売とは、なんとも度胸のある婆さんだ。
ジグは逞しい老婆に苦笑すると、懐から銀貨を二枚取り出して渡す。歳を思わせぬ速度でそれを奪い取った彼女は銀貨を噛んで確かめると、満足気に懐へ仕舞った。
「ん」
引き換えに差し出された出所の怪しいそれを手で断り、怪訝な顔の老婆にいつぞやを思い出すような交渉をする。
「最近、妙な動きをしている奴らはいるか?」
「……なんだい、また情報かい? あたしゃ宿屋のババアだってのに……」
老婆はひとしきり文句を言って鷲鼻を擦ると、ため息と共に話し出す。
「最近は、そうだねぇ……妙な動きをしている連中を誰かが始末しているって話くらいさね」
「……なに?」
元はマフィアが跋扈する街だ、この機に乗じてよからぬことを企む輩が動いていることには驚かない。
しかしそれを誰かが始末して回っているとなれば話が違う。
少し前ならば亜人を目の敵にする澄人教かとも考えたが、奴らの目的はあの化け物を確保することだ。それにヨランを始め、どうにも奴らには亜人へ対する嫌悪感というものに欠けている節が見られる。不審な動きをしている程度で奴らが乗り出すというのはどうにも違和感がある。
「他のマフィアか?」
「いんや、あたしの勘だと違うね。それが何かまでは分からんけど」
直接見たわけでもないのに、やたらと自信満々に言い切る老婆。
何の裏付けもない言葉だ。だがストリゴで長く生きてきた者がそう感じたのならば、その勘には一定の信用が置けるとジグは考える。
一応、シアン辺りの耳に入れておくべきか。
「助かった」
「ひっひ、毎度あり」
そこまで求めていたわけではなかったが、思わぬ情報を得られた。
亀の甲より年の劫。戦う力や財力がないが、やはりこの歳まで生きてきた人間は侮れない。
礼を言って背を向けるジグへ、銀貨を眺める老婆が誰ともなしに呟いた。
「……あんた、まだあの娘といるのかい?」
酒で焼けた声を更に低く、ともすれば聞き逃してしまうような雑音交じりの声。
だが不思議とその声は耳に良く届いた。
「ああ」
思えばこの老婆はあの時も、シャナイアと共にいることへの警告染みたことを口にしていた。
魔女と気づいているわけではない、はずだ。生来の勘の鋭さと長年生きてきた経験から、魔女という生物の異質さを感じ取っているのだろう。
「やめときな。……身を滅ぼすよ」
関われば身を滅ぼしかねない異物が今は二人いると伝えたら……この侮れない老婆はどんな顔をするだろうか。そんなあり得ないもしもを想像してもう一度苦笑した。
老婆は知らずに警告しているが、魔女と関わり続けることの危険性はジグも理解している。
異質な存在に引き寄せられるように起こる魔獣関係の騒動。もっとも人間関係の騒ぎには少なからず自業自得な面もあるが……澄人教の追う化け物の一件がただの偶然だと考えるほど、ジグも能天気ではない。
「承知の上だ」
しかしどうしてか、彼女たちから離れる気が起きない自分を自覚している。
この変化こそが、老婆の言う身を滅ぼす事態に繋がるのかもしれない。
だが―――
「容易く滅ぼされるつもりもない」
今度こそ去るジグへ、老婆が諦めたように首を振ってため息をついた。
「……馬鹿は死ななきゃ治らないさ」
老婆と別れ、街をしばらく散策した頃には日の傾きを感じ始めていた。
夕食にはまだ早いが、小腹が減り始める時間帯だ。もうしばらくすれば冒険者たちも戻ってくるだろう。
屋台でもあればと周囲を見るも、あるのは怪しげな魔獣の可食部を調理したものばかり。
さてどうしたものかと足を進めると、賑やかな声が聞こえてきた。
音に誘われてそちらを見ると、酒場らしき店があった。
ストリゴにある割にはしっかりした作りをしているあたり、マフィアが利用していた店なのだろう。
他の建物に比べれば比較的無事だが、なぜか入り口が扉ごと無くなっており床にも複数の穴が空いている。人型に穴の開いた床は何とも言えない趣すら感じる。
「魔獣の被害にでもあったのか?」
それにしては半端な壊れ具合というか、人同士が争ったような痕跡を感じないでもない。
もし仮にそうだとしたら、かなり一方的な展開であったことは間違いないが。
夕食までここで時間を潰すことにしたジグが開放感のある店へ入る。
中には複数の男が賑やかに酒を飲んでおり、意外にも雰囲気は悪くなかった。
「よお兄さん、足場が悪いから気ぃ付けてくれや」
いかにも元マフィアといった風貌の男が店内とは思えない注意喚起をしてくる。
そこに疑問を覚えないでもないが、ジグもあまり細かいことは気にしない方だ。酒が飲めるのであれば多少足場が悪いくらいは問題ない。
適当に端にある空いているテーブルに陣取る。
基本的にジグは店の端を選びがちだ。扉を背にするのが危険だとか傭兵らしい理由もあるのだが、最も大きい理由は武器と体が邪魔なせいだ。並の人間より大きいジグが並みの人間では持てないほどの双刃剣を背にすると、かなりの場所を取る。
体が成長するにつれて持つ武器も大きくなったジグは、自然とこういった場では邪魔にならない端を選びがちになった。
「麦酒を頼む」
「あるが……なんだ、そんなガタイで葡萄酒飲まねぇのか?」
「最近そればかりでな。たまには違うものが飲みたい」
ストリゴは葡萄酒が主に飲まれるようで、あまり麦酒は好まれない。この街に限らず荒っぽい場所では酒精の低い麦酒は子供の飲み物と捉えられることもあるので、そのせいだろう。
「まあ冒険者じゃそんなに酔うわけにもいかねぇか」
勝手に勘違いした店主が樽から杯に注ぎ、雑に差し出す。
派手にこぼれるそれを手にして一口。
「……ぬるい」
しかし飲んだ口から出てきたのは歓喜のため息ではなく微妙な不満の声であった。
魔術で氷を出せるがゆえに出てくる贅沢な文句だが、ここ最近は冷えた麦酒に慣れきってしまっていた。
「文句がありゃ自分で出しな」
店主は鼻で笑って去っていく。
ストリゴでそこまでの手間を期待する方が悪いのだが、久しぶりの麦酒に期待してしまったジグの落胆は大きかった。
そして魔術など使えないジグはぬるい麦酒を飲むしかない。
「贅沢な舌になるのも考え物だな」
琥珀色の液体を見て今日何度目か分からない苦笑い。
さっさと飲んで出てしまおうと杯を傾ける途中、魔術の匂いを感じ取った。
「……」
かなり小さな反応だが、間違いなくジグに向けて行使されている。
水でも掛けて嫌がらせをするつもりかと当たりを付けると、魔術が組みあがった瞬間に動いた。
片足を軸に反転。
今いる場所から身を翻して魔術を躱しながら、相手の顔に手にした麦酒をぶっかけようと……
「……え?」
「む?」
したところで、術者と顔が合った。
片や意外な顔に驚き、片やほんのわずかな魔術に気づかれたことに驚き、固まる。
からん。
二人が動きを止める中、涼し気な音がして杯に氷が落とされた。




