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ジグと免罪官を皮切りに突然始まった戦いは終わりを迎えた。
一見圧倒したように見えるが、実際はそこまで余裕のある勝利ではない。
初手を凌がれれば無手であるこちらが圧倒的に不利なのは間違いなく、敵の僧兵も決して弱くはないのだ。時間を掛ければどうなったかは分からない。
ジグとて互いに武器を持っていればこうも易々と制圧できはしなかった。
体格差とリーチ、近接戦闘の得手不得手などの条件も重なった勝利に過ぎない。
それでも勝ちは勝ちだ。
冒険者、傭兵、マフィア。異なる勢力を前に三人の僧兵は無力化され、残るはヨランひとりのみ。狼と蜥蜴に挟まれた、哀れな哀れな子豚が一匹。
「よぉ司祭サマ。これからその体にじっくり聞いてやるから覚悟してくれや」
「話せとは言わん。だが、どうしても聞いて欲しいというのならば……聞いてやらんこともない」
拳を鳴らすバルジと赤い舌を覗かせるクロコスが肩に手を置いた。
さあこれからどう料理してやろうかと皆の視線を一身に集めるヨランは……不気味なほどに落ち着きを取り戻していた。
「……無用です。拷問も脅迫も、必要ありません」
「あァ?」
この期に及んで虚勢を張るのかと凄むバルジ。口元から鋭い牙がずらりと並んでいる。
恐ろしいはずだ。何の戦闘能力もないヨランには。
しかし彼は面倒そうに鼻で息をつくと、肩に掛けられた二人の手を軽く払った。
大した力もないはずのそれに、しかし二人は思わず手を除けてしまい目を丸くした。
ヨランは逃げるでもなく部屋の中心に歩み出ると、客用のソファーに深く腰掛けた。
「―――で? なにから聞きたいのですかな?」
横柄ではないが、卑屈でもない。
高僧たる厳格な雰囲気を纏わせたヨランは堂々とそう言い放った。
「……貴様、なんの真似だ?」
自ら進んで話すというヨランを警戒したのか、クロコスが目を細めて低い声を出す。
ヨランはそちらも見もせずに僧兵……ジグに踏まれたままの免罪官へちらりと視線をやった。
「口を動かすのが私の仕事で、体を動かすのが彼らの仕事だ。どちらも負けた以上、素直に話す方が無駄がない……そうは思いませんかね、シアン嬢」
話を振られたシアンは嫌そうな顔で顔を歪ませた。必要以上にへりくだらない彼の態度は嫌味な上司を彷彿とさせるものだった。
「そう……ですね。あなたたちが何を知っているのか、何をしたのか……正直に話してくれるならば手荒な真似は致しません」
‟私たちは”
言外にそれを滲ませて返すシアン。
ヨランもそれを理解しているのか、入り口を塞ぐバルジと正面にどっかりと座り込んだクロコスを意識する。
「もちろんですとも。私の口が動く内は、嘘偽りなく答えさせていただきます」
皮肉を交えながらもその口調は穏やかな好々爺という体を崩さない。
「……ああ、ただ僧兵たちは……特にそこで倒れている二人には治療をしていただけませんかな? 力及ばずとはいえ、立派に役目を果たそうとしてた澄人たちです」
「分かりました。こちらで簡単な治療だけはしましょう」
「感謝いたします」
バルジとエルシアに倒された二人の僧兵が運ばれていく。
床を伝う血が生々しいが、ストリゴで耐性が付いたのか職員たちはあまり気にしていないようだ。
どちらも重傷だが、命には別状ない。日頃から鍛えている者たちなので回復も早いだろう。
シアンの目配せでジグも足を退ける。
片足をよろけさせながらも立ち上がる免罪官がギルド職員の手を断った。
「不要です。このくらいであれば自力で治せます」
戸惑う職員に構わず、回復術で骨折を治してしまう。
こういった怪我に慣れているのか、痛がる顔も見せずに骨の角度を調整して手際よく治している。
彼女はトントンと足の調子を確かめるようにつま先で床を叩くと、再びジグの横に並んで立った。
つい先ほど、自分の足首を踏み折った男の隣にだ。
その部屋の人間が呆気にとられジグですら小さく眉を動かす中、彼女は目深に被ったままのフードを脱いだ。緩く波打つ金髪がこぼれ、その顔を顕わにした。
「流石ですね。素手とはいえ、ここまで容易く制圧されたのは久しぶりです」
年の頃は二十代中盤くらいだろうか。
整った容貌は絵にかいたような聖職者を思わせ、しかしどこか冷たい無機質さを感じた。数々の戦いで磨き上げられた胆力は表情を作りものめいた面と化し、内心を悟らせない。
彼女は色素の薄い金髪を耳にかき上げ、褐色の瞳で柔らかく笑みを浮かべた。
「……?」
初対面のはずだ。だというのに、その眼と笑みに既視感を覚えた。
旧大陸での知り合いのはずはない。彼女は魔具を使用していたし、今目の前で回復術を使用した。
ならば必然、この地に来てからの知り合いということになるが……
「足の短刀を使わなかったのは何故だ?」
疑問を置いて免罪官へ尋ねる。
蹴りの際に見えたが、彼女は完全な丸腰という訳ではなかった。護身用の短刀だが、少なくとも素手で挑むよりは勝率が上がったはず。もっとも、無手でないのはお互い様だが。
彼女は微笑んで法衣の裾をそっと上げると、白い太腿に巻かれたベルトと短刀をジグだけに見せた。
流し見ながら周囲に聞こえぬよう近づくと、静かに耳うちをする。
「……こんなモノだしたら、それこそ引っ込みがつかなくなってしまいますから」
言って、そっとジグの左腕を撫でると元の位置へ。
流石は免罪官と言うべきか、グローブのことにもしっかり気づいているようだ。
もしあの場で彼女が刃物を出していたのならば、殺意ありとしてジグも相応の対処をした。
仕事に手を抜いたわけではないが、本気の殺し合いには発展させたくなかった……そういうことだろう。
「今の手合わせで確信できました」
彼女の言葉に意識を戻す。
隠し事は多い身だが、素手での格闘だけで何を読み取ったというのか。エルシアのような特殊な能力を持っている可能性もある。ハッタリと決めつけてしまうのは早計だ。
「……何をだ?」
だがわざわざ口にしたということはそれを教えるつもりがあるということ。
真意を問うように視線を投げれば、彼女は真っ向からそれを見返した。
血で血を洗うような戦いに身を置く者が持つ特有の眼だ。
戦争のないこの地でそれを持つ人間は限られる。
腕のいい冒険者……例えばイサナやエルシアであろうともこうはならない。魔獣討伐が劣るとは言わないが、その本質は狩りに近いものだ。
そして自身の欲を満たすために行動する快楽殺人者であるライカともまた違う。
この眼は同じ知性ある者を生きるため、必要に駆られて殺し続けてきた、そんな眼。
「……」
先の戦闘を思い出す。
容赦のない、苛烈ながらも冷徹に人体を破壊しようという攻撃。
力だけではなく技。速度と鋭さに重きを置いた必殺の連撃。
そして何より、あの蛇を思わせるような撓る蹴り。こちらの防御を掻い潜り、食い破らんとする変幻の一打。
彼女が持つ褐色の瞳が、奴と重なって見えた。
「まさか、お前は……」
ジグが気づいたことに彼女は頷くと、彼によく似た表情で笑う。
彼女は胸に手を当て、小さくお辞儀をして名乗った。
「私の名はレアヴェル―――レアヴェル=バーロン。免罪官、ヤサエル=バーロンは私の兄です」




