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「やれやれ……見た目によらず、手強い方だったな」
マフィアやハリアンのギルド職員たちとの話し合いが終わったヨランが溜息をついた。
澄人教は現在、宛がわれた古い屋敷に身を置いていた。冒険者共より質の低い場所を案内されたことに思う所がない訳ではないが、早い者勝ちだと言われてしまえばそれ以上文句も言えない。
「やり手でしたね、彼女」
赤法衣の護衛が先の話し合いを思い出して小さく笑みを浮かべる。
仮にも司教相手に一歩も退かないあの娘は年若いのに大したものであった。普段から荒くれ者を相手しているだけはある。
ストリゴの主導権を握ろうとするヨランの提案を巧みに阻止し、あくまで一協力者としての立場を決して崩さないあの姿勢。ただ上からの指示を伝えるだけの操り人形では出来ない。
「近頃の若い者は逞しいね。……まったく、上司の顔が見たいものだ」
称賛とも皮肉ともつかない愚痴をこぼしたヨランが、表情をがらりと変えた。
穏やかな笑みを絶やさない顔は鳴りを潜め、冷徹な無駄を省いた口調に切り替わる。
「それで、アレの痕跡は見つかったのか?」
「……今のところは、まだ」
ヨランは鋭い視線のまま、窓から見える荒れた街を見た。
魔獣の攻撃を受けたストリゴの有様は酷いもので、復興作業をしている街の住民にも深い疲労と苦痛が滲んでいる―――その程度だ。
「……そうであろうな」
「すぐにでも情報を集めさせます。そのことで、一つ提案が」
赤法衣の護衛は直立不動のまま、錫杖を手にフードから覗く目を光らせた。
鏡に映る彼女を流し見たヨランは無言で首肯し先を促した。
「あの冒険者たちの拠点、ハリアンの支部に応援要請を出すのは如何でしょうか。彼の地に赴任している免罪官の協力が得られれば心強いかと」
「ハリアンに免罪官が? 君はよく分かっているだろうが、免罪官は非常に厳しい訓練と数多の実績を積んだ者にのみ与えられる称号だ。あんな田舎に派遣できるほど数はいないはずだが……」
澄人教が抱える僧兵は多く、その練度も高い。
だが免罪官となると更に上だ。並ならぬ実力者たちの上澄みであり、書面や訓練だけの実力だけでなく実地での成果が求められる最精鋭なのだ。各地への布教と各支部の監視・監査を任とした百人からなるこの一団にも、免罪官は彼女一人しかいない。
いや、一人いるだけで破格の待遇と言っていい。
怪訝そうな顔で記憶を探るヨランに、しゃらりと錫杖を揺らして赤法衣の護衛が意識を引く。
「お忘れですか。最も模範的で、最も戒律に厳しいがゆえに、中央から外された免罪官のことを」
彼女の言葉にとある人物が思い当ったヨランが目を見開いた。
それは教えが形骸化し始めている今の澄人教内で、忌まわしくもあり、戒めにもなっている苦い記憶。
戒律に忠実すぎるあまり、己の欲のためにそれを破った大司教をも赦してしまった、禁句とも言える免罪官。
「……ヤサエル。ヤサエル=バーロン……! ハリアンに、奴が!?」
名を口にするヨランはそれまでの冷静な態度を保ちきれず、動揺が顔に出ていた。
ぶるりとだぶついた顔の肉を揺らしているさまは滑稽で、それまでの貫禄あるふくよかな体型とは程遠く感じる。
だが彼の反応を大袈裟と笑うことはできない。
澄人教、中でも立場のある高僧にとってその名はそれだけ重いモノであった。
「き、危険ではないか? 奴は中央の大司教たちに睨まれても無事だった男だぞ!?」
「落ち着いてください。あの男は確かに苛烈ですが、それはあくまでも戒律を破った者、澄人教の教義に反する者に対してだけです。ヨラン司教が教義に忠実であれば、頼れる駒となるでしょう」
「し、しかしだな……」
ヨランは腹を揺らして身を震わせている。
護衛は錫杖を握る手にわずかな力が入るのを自覚しながら、彼を説得するために言葉を重ねた。
「なにも常に傍に置く必要はないのです。中央からの指令をこなす間だけ、協力を要請する……その間だけ奴の前では澄人教の教義に忠実に振舞えば、何も問題はありません」
「う、うむ……」
彼女の言葉に少しだけ落ち着きを取り戻したのか、ヨランが額の汗を拭って椅子に腰かける。
水差しからがぶがぶと直接水を飲んでいる彼を見る護衛の視線は、不思議なほどに平坦だ。
「ふぅ……分かった。ハリアンに使いの者を出そう。確か、ハリアンから来た冒険者共は転移石板を利用して旅程を短縮させていたな? あれを使わせてもらおう」
「よろしいのですか? 冒険者ギルドは転移石板の利用を非常時のみと渋っていますが……」
「そのぐらいの無理は通すとも。司教の名は有効活用せねばね?」
新たな戦力が増えたことで配置が換わり、南と西を任された澄人教には幾人かの冒険者を付けることで連携とその動向を監視することになった。連中が何を企んでいるかは不明だが、教徒を増やすにしても亜人の頭を抑えるにしてもここを凌がなければ元も子もない。
そして戦力が増えたことで魔獣防衛は多少なりとも余裕ができた。
今のところ死者や重傷者は出ていないが、四日間に渡り戦い詰めだった冒険者の疲労も溜まっている。
シアンたち職員は二方面を任せられるようになったことから、冒険者たちに交代で休養を取らせこれを解消することとした。無論、有事の際には出動する必要はあるが。
冒険者たちは思い思いのやり方で休息を取っている。
中心部にある無事だった酒場に足を運ぶ者、溜まった欲を発散するために娼婦を買う者、疲労を完全に抜くために一日中寝て過ごす者。以前述べた理由からストリゴで娼婦を買うのは推奨できないが、そこは自己責任である。
ちなみに亜人冒険者たちは澄人教を警戒してか、あまり出歩かないようにしているようだ。
見かける知り合いもどこかピリピリしており、肉体的にはともかく精神的にはあまり休まっていないように見える。
そんな中でジグたちは、遊んでいた。
「なっ!? あの距離で当てるのか!」
即席で作られた木の札に的中した小石がころころと転がっていく。
驚愕した声を漏らしたリザが無意識に拳を握り締めるのを横目に、ジグが机に積まれた賭け金を引き寄せた。
「ふっ、鍛錬が足らんな」
「き、貴様……謀ったな!」
「おーすげぇ。的当てでリザに勝つとはなぁ」
不敵な笑みを浮かべるジグと、歯噛みするリザ。彼女の相方であるハインツは呑気に感心している。
少し離れた場所では酒を飲みながら二人の勝敗に賭けていた冒険者たちが一喜一憂していた。
剣の腕は知られていたが、遠距離を得意とするリザに勝てるわけがないと思われていたのか随分荒れた結果になったようだ。シアーシャとシャナイアがホクホク顔で賭け金を回収している。
いつの間にかマフィアまで混ざっており、どこぞの狐亜人が勝利の雄たけびを上げていた。
「……弓の腕前は大したことないって話だったのに」
事前に情報を集めていたのか、リザが金髪を揺らして項垂れた。
妙に乗り気だと思ったが、なるほど事前準備を済ませていたらしい。確かにその情報自体は間違っていないのだが、致命的な穴があった。
「それは事実だ。俺の弓は雑兵と変わらん」
ジグの弓は標的の付近に飛ばすのが精々で、止まった的への命中率も大して高くはない。本職に矢の無駄だから石でも投げていろと言われるのが関の山だ。
「だが酒の席を盛り上げるのは新兵の仕事でな」
しかし投石、指弾であれば話は違う。
傭兵団の先達は酒の席で面白い話や芸の一つも出来ない不器用な彼に、ならばと投擲芸を仕込んだのだ。そして鍛錬に実直なジグが馬鹿正直に繰り返した結果、一芸と呼べる段階にまで至った。
戦闘に役立っているのは意図しない副産物だ。だから手の内として隠しているわけでもない。
リザに流れた情報には意図的に隠された部分があったのだろう。でなければジグと相対してきた者たちが律儀に手の内を黙っていてくれていたかだ。
懐に仕舞われる金を未練たらしく目で追っていたリザが怪訝そうにジグを見た。
「……あれがただの宴会芸に過ぎないって?」
「まあな。こうして小銭を稼ぐには使えるし……レナード!」
声を掛けられた彼は飲みさしの葡萄酒を一気に呷ると、空の瓶を高く放った。
放物線を描きながらくるくると回転する瓶をその場にいる皆が見上げた。
「―――ッ」
ジグの手元が一瞬ブレた。
そう認識した時には放たれた硬貨が瓶の中心にめり込み、宙にある瓶がパリンと二つに割れていた。
ジグの指弾はそれにとどまらず、二発目三発目と更に瓶を砕く。
完全に落ちるまでに三発の指弾を打ちこまれた瓶は細かく砕け、床に破片を撒き散らして落下した。
この曲芸に賭けをしていた酔っ払い共も盛り上がる。
「やるねぇ兄ちゃん!」
「次は二本いってくれよ!」
ジグは騒ぎ立てる酔っ払いの歓声に控えめに片手を上げて応える。
こうして芸の一つでも見せてやれば、初めて訪れる場所や人間相手でも上手いこと馴染めた。
今思えばこういったことも見越して、傭兵団の仲間はこれを仕込んでくれたのかもしれない。
愛想もなく、話がうまくもない自分が孤立し過ぎないようにと。
(……考えすぎか)
昔を思い出して苦笑したジグは首を振ると、観客のご要望に応えて投げられる二本の瓶を狙い撃つべく硬貨を弾いた。
「―――で? 散らかした硝子は誰が掃除すると思っているんです?」
そして、騒ぎを聞きつけて注意しに来たギルド職員にこっぴどく叱られるのであった。




