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「……澄人教だと?」
ちょきちょきという音が頭上で鳴る中、ジグは聞かされた話にハインツの方を見た。
予想外の情報に思わず頭を動かしてしまい、シアーシャが焦ったように非難の声を上げる。
「ちょ、ちょっとジグさん突然動かないで下さいよ! 耳切っちゃいます!」
「すまんすまん」
彼女に謝りながら頭の向きを戻すと、視線だけでどういう事だと問いかける。
話を持ってきたハインツとリザは戸惑ったように顔を見合わせた。
「あー……その前に、何で髪切ってんの?」
彼らが困惑しているのも無理はない。
二人はロビーの端で麻布を広げ、さらに頭から穴を開けた布を被ったジグの髪をシアーシャが切っていた。どこか焦げ臭いが、ジグに目立った外傷は見当たらない。
「今日は南に灼光蜥蜴の群れが現れたので、加勢に向かったんだが……」
見張りのマフィアから支援要請を受けたジグは現場に向かい、魔獣の討伐に加わった。高威力の熱線を列になって放つ灼光蜥蜴は等級以上に厄介だったが、障害物を上手く使って射線を切ることで距離を詰め、ウルバスたちと連携し着実に数を減らしていった。
しかし戦っている最中、熱線を照射する直前の魔獣に矢が刺さり、穴の空いた場所からこぼれた熱線が頭部を掠めたのだ。
「怪我はなかったんだが、髪の毛が炙られてしまってな……焦げ臭くてかなわんから処理を頼んだんだ」
「そういうわけなんです」
ちょきちょきと鋏を動かしながらシアーシャが髪のちぢれた部分を切除していく。
ちなみに好奇心から一応聞いてみたのだが、回復術で失われた髪の毛は生えてこないそうだ。
「あ、そういえばシャナイアちゃん、すげぇな! あんな魔術は初めて見たぜ!」
話の先を促そうとしたが、ハインツは先にシャナイアのことで盛り上がり始めてしまった。
「そうね。疑っていたわけじゃないけど、あそこまで使えるなんて、ちょっと意外」
冷静なリザまで少し興奮気味にシャナイアを褒めていた。
彼女は随分と活躍したようで、二人からの評価は高いようだ。魔女がやる気を出せばこのくらいは朝飯前だろうが、それを知らぬ者にとっては望外の働きに見えるはずだ。
「なんか黒い帯みたいな魔術? で敵をバッサバッサと切り捨ててさ。かなり楽させてもらったぜ!」
「良ければこれからも彼女の力を借りたいんだけど、頼めるかしら?」
「問題ない。好きなだけ使ってくれていい」
掛けられた迷惑と労力を考えればこれぐらいで文句は言わせない。
遠慮がちに頼んでくる二人にジグは鷹揚に頷こうとして、シアーシャに動くなとばかりにがっしり掴まれた。
「それで、何故奴らがここに?」
話を澄人教のことに戻す。
「建前はハリアンと同じで救援要請があったからって話だぜ? ま、信じてる奴は誰もいないがね」
「窮している状態の人間は特定の思考に染めやすいから、それ狙いじゃないかって予想はしているけどね」
肩を竦めるハインツにリザが追従する。
二人を横目にジグも奴らが何のために来たのかを考えた。
確かにリザの言う通り布教のためにというのが一番分かりやすいが、それでも選ぶ街が悪すぎるような気がする。この街の住民が助けられた程度で入信するほど殊勝だとは思えない。
あるいは、亜人が街の主導権を握ることを警戒しているのかもしれない。
今のストリゴの代表が誰かと問えば、間違いなくファミリアだという答えが返ってくるだろう。このまま順調に街が復興すれば、彼らが治める……とまではいかなくとも、重要な場所に収まることは明白。
それを許せぬ奴らが支援という形で街の再興に食い込もうとしているのならば納得も行く。
「もしかして、邪魔しに来たんでしょうか……埋めます?」
「……いや、奴らも冒険者ギルドの妨害をするほど短絡的ではあるまい。放っておけばすぐに潰れると思っていた街が存外に粘るから、粉を掛けておこうという腹積もりだろう。……こちらから仕掛けるのはなしだ」
下手に手出ししないよう彼女に釘を刺しておく。
ハリアンにいた熱狂的な信徒は皆殺しにしたので他の街には漏れておらず、今のところ音沙汰なくやれているのだ。無用に波風を立てる必要もない。
切った髪の毛を息で飛ばすと、少しだけ残念そうにシアーシャが口を尖らせた。
「えー。地面に埋めると毒抜きできるって本で読んだから、試したかったのに……はい、終わりです」
「毒を抜いたら何も残らないんじゃないか? ありがとう」
礼を言いながら切った髪の毛を麻布で包んでいると、扉が開いて話題の者たちが姿を現した。
「げっ、来たぜ」
「……」
片づけながらジグが横目で窺う。
高僧らしき太った男と護衛らしき赤法衣の僧兵。
二人の澄人教徒がいるが、ジグが気になったのは護衛の方であった。少し距離がある上にフードを被っているので人相は分からないが、どこか引っかかるものを感じた。それが何かまでは分からなかったが。
代表者二人がギルド職員の案内で奥へ通されるのを見ながら、ハインツは複雑そうな顔で頭を掻いた。
「胡散臭い奴らだけど戦力としては当てにできるし、これでちょっとは楽できるといいんだがな」
「魔獣以上の面倒ごとを起こさないといいけどね」
「やめてくれよ縁起でもない」
リザとハインツは嫌なものから目を背けるようにして自分の部屋に戻って行った。
二人が居なくなっても、ジグだけは奥へ行った二人を見続けていた。
不思議に思ったシアーシャが髪の毛を垂らして横から覗き込んでくる。
「ジグさん?」
「……いや、何でもない」
たとえ澄人教が来ようとも、ジグのすべきことが変わるわけではない。
協力するなら一時的に手を組み、邪魔をするなら排除するだけだ。
だが―――
去り際にもう一度だけ、振り返る。
このタイミングで奴らが来たことは偶然ではなく、何か大きなことが起こる前触れのように感じられるのであった。
「どうかしたかね?」
自身の護衛が足を止めていることに気づいたヨランが、赤法衣の僧兵を振り返る。
体格だけなら自分よりも小柄だが、ヨランはこの護衛の実力を疑ったことはない。
人柄や実績を知っているわけではないし、長い付き合いがあるわけでもない。
ただその肩書だけで、絶対の信頼を置くに相応しいと知っているがゆえに。
彼女はフードから覗く白いかんばせにわずかな興味を浮かべて、ロビーの方を見ていた。
「あの男」
言われて視線をそちらに向ける。
彼女が誰を指しているかはすぐに分かった。ギルド職員や冒険者たちが行き交う中でも、その大きな体と背にした異様な武器は目立つ。傍らに長い黒髪の女性を連れているが、彼女が気にしているのは大男の方だった。
しかしヨランではそれ以上の感想はない。
武に通じていない自分では見ただけで力量を見抜くような観察眼もなく、なぜこの護衛が興味を抱いたのかも分からない。彼としては、後ろ姿を見ただけでも分かるほどに美しい女性の方が気になっていた。
「あの男が、なにか?」
「……少しだけ、似ていると思って」
何をと聞く間もなく彼女は視線を切って歩き出すと、ギルド職員について行った。
「ヨラン殿、どうされましたか?」
しかしそれを追求するより先に、足を止めたことに気づいたギルド職員が怪訝そうに声を掛けてくる。
「皆さんは街を護るために、精力的に働いておりますね。素晴らしいことです」
穏やかに笑い、もっともらしいことを言って聖職者としての印象付けを行っておく。白々しいが、こういった積み重ねは存外馬鹿にできないものだとヨランは知っていた。
「それがハリアンの意向ですから。ウチの冒険者は……」
こう言っておだてておけば機嫌をよくしてペラペラと聞いてもいないことまで喋ってくれる。
まったく素晴らしいものだ。立場や権力というものは。




