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主な戦力となる二十五名の冒険者と、雑用兼哨戒役の十五名。
当たり前の話だが、たったそれだけの人数で街全体をフォローできるわけもない。方角単位での担当場所を決めて監視から報告が入り次第、最も近い冒険者が駆けつける……のもこの人数では無理だ。発見次第該当区画から住民の避難を行う、これが現実的な次善案か。
正しく着の身着のままである彼らは身軽だ。避難後に魔獣を誘導し、討伐が最善だが……そこまで期待できるかは微妙なところだ。
東西南北の四分割で一方角あたり六人。マフィアの中から戦える者が補助に回るので六人だけで維持するわけではないが、決して余裕のある人数ではない。
中心にいるギルド職員たちの護衛に割くのを一人にするとは随分思い切った采配だが、「ここまで攻め込まれたらどちらにしろ終わりです」というシアンの鶴の一声で通された。
思い切りのいい性格なのか、事ここに至って彼女は腹を括っている。性格だけなら戦力外共より余程冒険者向き、というのはカスカベの評だ。
本音を言えば八分割にしたいところだが、一か所三人では手薄過ぎるため却下。
各方角の間は戦力外十五名で補ってもらうこととした。どこまで当てにできるかは甚だ疑問だが、注意を引いたり安全な位置から魔術を撃つくらいならば出来るはず。本人たちには伝えていないが、最悪の場合撤退時に殿を務めさせる予定だ。
そしてジグはと言うと―――
「……たった一人の遊撃隊とは、随分無茶を言う」
一人だけの軍隊ならばシアーシャの方が余程適切だろうに。
あまりな不適材に愚痴の一つもこぼしたくなるというもの。
しかし他に適任もいない。シアーシャの火力と魔力量は人の及ぶ域にはないが、体力は見た目通りの女性並しかない。あっちへ行ったりこっちへ行ったりと長距離移動させていればすぐに動けなくなってしまう。
「確かに体力はあるが……」
一人遊撃隊を命じたシアンもまさか本当にジグを一日中走らせるつもりではない。
魔獣の発見報告と冒険者の消耗具合を考慮した上で、戦力に不安のある場所にジグを派遣という運用をする予定だ。それでも長距離の移動が伴うのは間違いないが。
東区からはハリアンの第二陣が来る準備のため、魔獣の駆除と整地が急務とされている。
浮遊型の荷台であれば多少の地形の影響は受けないが、大量の物資を輸送する商隊規模でそんな高価な魔具を揃えるのは不可能だ。最低でも荷馬車が通れる程度には瓦礫を片づけ、安全な道を確保する必要がある。
そのため東区には最も戦力の高いエルシアたち三人と、瓦礫撤去役にシアーシャが配置されている。
本人は不満そうだが、土の魔術はこういった土木作業に適しており汎用性に富んでいるのも特徴だ。互いの魔術の干渉を考える必要がなく、一人で数十人以上の働きが出来るシアーシャに適任と言える。
そして一人遊撃隊の初日の仕事だが……待機だ。
昨日の仇猿はこちらの全戦力で当たれたためほとんど消耗していない。加えてこの体制になって初日なので、どこが戦力不足なのかも不明。となれば待機以外にない。
「……暇だな」
「だからと言って何故私の所に……」
いざという時に動けるようにと言う意味での待機なので、鍛錬をして疲れてしまうわけにもいかない。非常時にすぐ連絡が付く必要があるためぶらつくわけにもいかず、仕方がないのでカスカベの所に顔を出していた。彼はストリゴの物資などをまとめた資料作りをしている最中のようで、迷惑そうだ。
「そう邪険にするな。肩くらい揉むぞ?」
「砕けるのでやめてください。それにしても、ジグ様はストリゴに慣れてらっしゃるので? ……あ、どうも」
すげなく断られたので代わりに私物の茶をカスカベの分も淹れる。
乾燥させた茶葉は保存性携行性に優れるので行軍中の嗜好品として定番だ。煙草の類を嗜まないジグは茶を飲むことが多かった。
「慣れているわけではないが、先日受けた依頼で来たばかりでな」
「一体どんな依頼を……ああいえ、忘れて下さい」
カスカベは思わず口から疑問が出るが、ジグの仕事に関する口の堅さを知ってか訂正する。
誤解から生じたワダツミでの乱闘騒ぎはカスカベ一生の不覚として、戒めとしているのだ。
ジグは苦笑しながら茶を呷り、そんなこともあったなと思い出す。
「半分事故みたいなものだがな。カスカベは初めてか?」
「実際に来るとは夢にも思っていなかったですよ。姉から聞いていますが、かなり酷いんですよね?」
「まあ、な。どの程度の認識でいる?」
「絶対に一人では外に出ない」
悪くはない。悪くはないが、足りない。
それはある程度自分の身を護れることが前提の話であり、カスカベのように事務方の人間の振る舞いとしては適切ではない。
「この街の人間に一対一で接するな。ファミリアに対してもだ。上は話せるからともかく、所詮はマフィアだ。弱味を見せると食い物にされるぞ」
「帰りたい……」
クロコスには信用できる者を護衛に付けるよう頼んだので大丈夫だとは思うが、油断はしないに越したことはない。多少脅すくらいでちょうどいい。
しばらく半泣きで茶を啜っていたカスカベだったが、思い出したようにジグを見る。
「ジグ様、こちらの魔獣はどの程度把握していますか?」
「事前に調べておく時間もなかったからな。ほとんど知らん」
近場にフュエル岩山と言う魔獣の生息域があるおかげで、ストリゴは魔獣の出現率が低いとは知っている。あそこの魔獣はあまり生息域外に出ることが少なく、出るにしてもストリゴではなく森林のあるハリアン側へ行くことが多いのだとか。
「では、僭越ながら私が説明を」
「お前事務方じゃないのか?」
「これくらい出来なくてはクランの事務など務まりませんよ。それに一時はギルド職員を目指していた時期もありましてね」
彼はそう言って少し得意気に眼鏡を押し上げる。
ワダツミに入ったのは姉と比べられるのが嫌なのと、クランを盛り立てることにやりがいを見出したからだそうだ。どこか捻くれたところのあるカスカベらしい。
どちらにしても魔獣の情報は有り難い。相手のことを事前に知っているかどうかは命に関わる。
ジグはとりあえず金貨を取り出してカスカベの方に滑らせようとするが、
「ああ、情報料は結構です。姉にあなたへ便宜を図るよう命じられていますので」
命じられている、の辺りに彼とアオイの力関係が如実に表れていてなんだかもの悲しい。
ジグは滑らせようとした金貨の行き場を失ってくるくると指で回しながら尋ねる。
「いいのか?」
「はい。……その代わりと言っては何ですが、有事の際には何卒、命だけは助けていただけますようお願い申し上げます」
割と切実なカスカベの頼みに、思わず呆れた顔を向けるジグ。
確かに金で動くのが傭兵だが、多少なりとも縁のある知り合いが死にそうになっていたら助けるくらいはする。流石に身銭や命を削ってまで、とはいかないが。
「……お前、俺が金を払わなければ知り合いでも平気で見捨てると思っていないか?」
「勿論、思っていませんとも。だからこれは依頼ではなくお願いです。この情報が役に立ったと感じた分、私の命を気に掛けてくださいね?」
そう言ってニコリと腹の読めない笑顔を浮かべるカスカベ。
食えない男だ。要望を訴える矛先がこちらの良心ではなく、主義にするあたりが特に。
だが嫌いではない。
こちらをいい様に使おうとするのではなく、あくまで保険を掛ける程度に留めるあたりが良く分かっている。
「……出来る範囲でな」
投げやりにそう答えれば、彼はやはりニコリと食えない笑みを浮かべるのであった。
「この辺りの魔獣に関してですが、基本的にはジグ様の認識であっております。ここは裕福な土地ではありませんから、魔獣自体が寄り付かない。鉱山が本格的に稼働していた頃は違ったのでしょうが」
鉱石の類を主食とする魔獣からすれば鉱山都市は美味しい餌場となる。
しかし近場にもっと豊富なフュエル岩山があるのでそちらに移ってしまった。
偶に出る魔獣も縄張りから追い出されたはぐれだったりと、そこまで苦労する手合いではなかったらしい。
ところがだ。
先日の地割れから周辺地域の魔獣が集まってくるようになり、まともな備えをしていないストリゴはいい様に蹂躙されることとなった。
「主に確認されているのは昨日も倒した仇猿と、剛槌蜥蜴、岩蟲、岩石蜥蜴、大きいところだと削岩竜といったところです」
「フュエル岩山からの魔獣が多いな」
近場の魔獣が集まってきているという認識は間違っていないようだ。
思えば、先の石切り場周辺で襲ってきた魔獣もストリゴに引き寄せられていたのかもしれない。今となっては想像でしかないが。
「……これはまだ表に出していない話なのですが」
カスカベは声のトーンを落とすと、そう断ってから小声で話し出す。
「未確認の魔獣を見たという情報もあります。ただ信憑性に欠けるのもあってギルド職員たちで審議中のようです」
「……魔獣を見慣れていない奴が勘違いしたんじゃないのか?」
未確認の基準は自分の知識だ。魔獣の出現率が低く、かつ諸々の教養が足りていないストリゴでならいくらでも見たことのない魔獣はいるはず。
「その可能性は高いですがね。ただ魔獣とは基本的に、通常の生物と似通った部分があります。他の生物と共通点のない、あまりにも異様過ぎる魔獣って見たことがないでしょう?」
「言われてみれば、確かに……」
ジグはそれまで見てきた魔獣を思い出してみる。
魔獣は確かに異形の生物だが、必ず何かに例えることができた。鮫のような魔獣、蜥蜴のような魔獣、虫のような魔獣、猿のような魔獣、などなど。
御伽噺で聞いたような幽霊だとか、翼を広げて空を飛ぶ竜だとかは見たことがない。真っ黒いナナフシと翅のある小さい蜥蜴が精々だ。
それが何を意味するのかは、専門家でもないジグには分からない。何か重要な意味があるのかもしれないし、ただの偶然かもしれない。
分からないが―――
「報告にあった魔獣は何と言いますか……それらのどれにも似つかない、まさしく化け物のようであったらしいのです」
あまり無視していい情報ではなさそうだ。
これまで波乱の多い人生を歩んできた彼の直感が、そう告げていた。




