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東区から繁華街に戻る。
昼時になったここは盛況で、雑多な喧騒はジグの微妙な気分を洗い流してくれるような気がした。
「……昼食を食べ損ねたか」
鼻腔をくすぐる良い匂いにジグが苦々しく顔を歪める。
本当なら今日の昼食は、以前イサナと行った食事処にするつもりだった。あの店は最初こそ邪険に扱われた(らしい)ものの、今では時折顔を出すくらいには気に入っている店の一つとなっている。
しかしあんな事態になってしまっては顔を出し辛いこともあり、店に迷惑を掛ける可能性も考えると仕方なく諦めるしかなかったのだ。
「あそこの炒飯が食べたかったんだが……」
米と呼ばれる穀物を香ばしく炒めた料理の味を思い出すが、しばらくは時間を置く必要があるだろうことを考えたジグが肩を落とす。
ちなみにタライを器にしそうな量の炒飯を毎回頼むジグは、料理人の手首を破壊しかねない危険人物として警戒されているが、当人は知る由もない。
ジグが視線を巡らせるが、繁華街はどこも人で溢れておりすぐに食べられそうな場所はない。
ならば屋台はどうかと足を運んでみたが、今日に限ってはまばらな屋台に人が集っている状態である。なんでも朝に誰かさんが暴食の限りを尽くしたせいで、昼用の食材まで食い尽くされてしまった屋台が多いのだとか。
「……自業自得というやつか。仕方がない」
苦み走った顔で朝の自分を恨むが、あの時の空腹感を思えば止められるはずもない。
昼食を諦めたジグは他の用事を済ませてしまうことにする。
後ろ髪を引かれる思いを我慢しつつその場を離れると、この時間帯は比較的すいている方面へ。
向かった先は馴染みの鍛冶屋。
幾度となく足を運んだここが“エルネスタ工房”という店名であることを認識したのは割と最近のことだ。
あれだけ利用しておいて無頓着が過ぎると言われればその通りなのだが、一か所にあまりとどまらない生活をしていた影響もあり、店の名には意識を向けたことがなかったのだ。
複数の鍛冶師と契約することで幅広い顧客の要求に応えるのがウリのエルネスタ工房は、他の鍛冶屋と比較しても客の入りが多い。隠れた名店というフレーズには惹かれないこともないが、大通りに面した有名店の方が量の面でも質の面でも優秀なのが現実だ。
多少赤字を出す鍛冶師がいてもその赤字を受け入れ、多様な品揃えを優先することで冒険者の心を掴んでいるのは流石と言うべきか。数字だけ見て判断する経営者ではできない芸当だ。
ジグは慣れた様子で店に入ると並んでいる商品を一瞥し、そこに自分の求めるものが無いと判断すると手頃な店員に声を掛ける。
手甲自体は棚に陳列されているのだが、ジグが求めるような装甲の厚いものは表に出していないことが多い。というか、これまで注文してきた装備で表に出ていた物はほとんど無いと言っていい。
基本的に陳列されている装備は標準的な成人男女を基準としたサイズで作成されている。需要が少ない品を求めているのもあるが、そもそもジグのサイズに合う物自体が少ないのだ。
「少しいいか。頑丈な手甲を探しているんだが」
「はい……?」
男性店員は振り返ると、ジグの背丈を見上げる。その後、背の双刃剣へ目をやってから得心がいったとばかりに頷いて営業スマイルを浮かべる。
「ああ、はい。シェスカですね? 少々お待ちください」
そう言うと彼は頼んでもいないのに、馴染みの店員を呼ぼうとした。
「……いや、別に彼女を呼んでくれという訳では」
あまりに話が勝手に進んだので、ジグは思わずその背に待ったを掛ける。
別に彼女に不満があるわけではない。いつぞやカティアを護衛した時のように、買ったその日の内に壊したのならばいざ知らず、今回は購入してから十日以上も経っている。気に病むところは何一つない。
ただ鍛冶師のガントならばともかく、いち店員を表にいないのにわざわざ呼び出すのもどうかと思っただけだ。
そう思ってジグは待ったを掛けたのだが、男性店員は少し困ったように苦笑いしながらかぶりを振った。
「逆です。シェスカからあなたが来たら呼んでくれ、と言われているんです」
「なに?」
わざわざ自分を呼べと通達するとはどういう意味だろうか。
ジグの怪訝そうな顔を見てどう取ったのかは分からないが、彼はわずかに声を潜めて続ける。
「以前にウチを利用した際はマイア……別の店員に頼んだそうじゃないですか」
「鍛冶師ならばともかく、店員を指名などせんだろう。娼館じゃあるまいし」
「そうでもないですよ? 冒険者の中には女性店員を寄こせとおっしゃられるお客様もいますし、言わずとも選んで話しかける方も多いですから」
男性店員から聞かされた話にジグは無言で眉をひそめる。
彼とて男の性欲は否定しない。しかし場所は選ぶべきだろう。
それも自分の命を預ける商売道具を購入しようというのに、場を弁えずに盛るのがジグには理解できなかった。
「……そうか」
彼らに思う所がないでもないが、考え方はそれぞれだとそれ以上何も言わずに口を閉ざす。
自分の命だ。好きにすればいい。
男性店員は無言で不快を示すジグを見て、シェスカがなぜ自分を呼べと言ったのか理解した。
日々の糧を稼ぐという名目以上に仕事へ対して意欲的な彼女は、装備の購入に関してとても親身に対応する。たとえ安価な品物しか買えないような駆け出しが相手だとしても邪険にすることなく、懇切丁寧な対応を崩さない。
だからこそ、誤解されやすい。
“こんなに親身に対応してくれるということは、俺のことが好きに違いない”
そう勘違いする男が出るのを責めるのは……同じ男から見ても難しい。
絶世とまではいかなくとも綺麗目の顔つきとにこやかな営業スマイル。下品でない程度に主張する女性的な膨らみは、思春期真っ盛りの若者を惑わすには十分すぎた。
だが本人からすれば堪ったものではない。
真面目に装備の相談に乗っている相手の意識がどんどんと下半身に移っていく……これほど馬鹿らしいことはないだろう。
以来彼女は鍛冶師のスカウトや他の店員のフォローに回ることが多くなり、女性客への対応がほとんどとなっていった。
男性店員が事務所に入って見回す。
シェスカは端の方で資材の在庫を確認しながら、追加で鍛冶師から要望のあった素材のリストに目を通していた。鍛冶師という生き物は通らないと分かっていながらも、貴重な素材を使いたい欲求を隠しもしないものだ。
またぞろ無茶な要求をされたのだろう。シェスカは眉間に皺を寄せてリストに斜線を引き、いくつかの高額な物を弾いている。要求素材の許諾基準に鍛冶師の売上利益が大きく影響していることは言うまでもない。
「シェスカ。例のお客様が来ているぞ」
その背に声を掛けると、ガタリと勢い良く立ち上がった彼女が振り返る。
「どこを壊していましたか?」
「手甲の在庫を聞かれたが……ああ、そう言えば胸当ての類も着けていなかったな」
壊したこと前提の質問に、ややひきつった顔になりながら答える。
以前彼の購入した目録を見たが、決して脆い粗悪品ではなかった。冒険者が過酷な仕事であることを加味しても、大事に使えば二年は使えるような作りだ。
シェスカは日付を確認しながら指折り数えている。
指で数えられる程度しか経っていないことに呆れに似た感情を抱いていると、ポツリととんでもない呟きが耳に入って来た。
「―――最長記録ですね」
何故生きているんだ。そんな疑問が喉まで出かかったが、それを弁えるくらいの分別はある。
たとえ子供の玩具よりも儚い期間で壊されようと、使用者が生きているのならばきっとその役割を果たしたはずだ。
そうして自分を誤魔化していると、シェスカはリストの残りを手早く片付けて渡してきた。
「こちら確認済みのリストです。これで資材手配をお願いします」
「了解した……ガントさんの要求が全部省かれているんだが、いいのか?」
リストを一瞥すると、特定の人物の要求素材が軒並み斜線で消されていた。
確かに彼は赤字常連であり、多少の不利益にも寛容なエルネスタ工房でさえ次の契約解除を検討されていた。しかしここ最近は特定の顧客が付いたこともあり、多少は持ち直していたはず。
そう思って尋ねたのだが、シェスカは話にならないとばかりに鼻で笑い飛ばす。
「マイナスがゼロを少し超えたくらいです。あまり調子に乗らせてはいけません」
「手厳しいな」
「それに、今からちょうどお仕事が入ります。ガントさんにはそちらに注力していただきますので」
シェスカは自信満々にそう言い切ると、扉を開けて営業スマイルを作った。
8/31(土)、AKIHABARAゲーマーズ様本店にて私のサイン会を開催することになりました。
このかえる面を拝んでやろうという方がいましたら、ご参加いただけると幸いです。
18歳JKである可能性も捨てきれない以上、行ってみる価値はありますぜ!
https://www.gamers.co.jp/contents/event_fair/detail.php?id=5109




