137
情報を聞き終えたジグが鍛冶屋を出た頃には既に日も落ちていた。
装備のことで相談もしたかったが今日はガントは休みとのこと。
「しかし、早速当てが外れたな……」
暗くなった道を歩きながらジグが独り言ちた。
シェスカの話ではここ最近で市場に妙な動きはないらしい。食料品も武器も、特別おかしな大量購入などはなかった。
ギルドへ損害を与えたことで利益を得られる集団があるなら、何かしらの動きがあるはず。集団で動けばどうしても痕跡というものは残る。食料の大量購入や武器の仕入れなどだ。
そう考えたからこそ鍛冶屋……武器の需給に詳しい者へ尋ねたのだが、どうやら外れのようだ。
正確には、二件だけおかしな動きがあった。
一つはつい先日の事。ギルドが突然医療品を大量に買い付けに来た。
冒険者の怪我人が多数出たようで、多少の価格差など構わぬとばかりに店にある在庫を根こそぎ持っていったとのこと。
言うまでもなく刃蜂暴走事件のことなのでこれは除外。
もう一つは……まあこれも除外だ。
なんでも、黒髪の美しい女が街中で荷台一杯になるほどの食料を買い漁っていたという。その食料はとある診療所に運びこまれており、とても人間の消費するとは思えない量に魔獣を飼育しているのではないかとの疑いが掛かり、憲兵が調べたが事件性はないとか……
ともあれ、市場に変化はなかった。
「振出しに戻ったな」
やはり素人考えではこんなものか。
奴のようにはいかないな。
「しかしそうなると分からないな。集団や組織でもないのに、ギルドへ被害を与えることが目的となると私怨くらいしか思いつかんが……」
個人が利益を得るためにギルドへ喧嘩を売るのは些かリスクが大きすぎるように思える。
そうなると私怨の線だが、それこそ自分が調査した程度で分かるものではない。
取り出した容疑者リストを眺めながら顎に手を当てる。
歩き見ながら一つ、角を曲がる。
「…………ふむ」
―――当たり前の話ではあるが。
現在最も怪しいと感じているのは、先日話を聞いた森の牙の冒険者たちだ。
カークの話ではこのリストはギルドからの評価値順に並べられている。
日頃の行い、という面で見れば彼らは最も可能性が低い。
しかし素行の良し悪しなどあくまでその時点でのギルドの評価に過ぎず、何か切っ掛けがあって悪行へ走ることも十分に考えられる。
「人間からの酷い扱いに耐え切れなくなって復讐……真っ先に思いつくのはそれか」
セブの反応を見るに人間への反感や悪感情は若い亜人の方が強かった。
誰もがウルバスやバルトの様に耐えられるとは限らない。鬱屈した感情が亜人の許容量を越えて今回の事件を引き起こした……調べ始めた当初はそう考えていた。
「戦争の切っ掛けなんて、そんなものだ」
虐げられていた移民や異教が蜂起して起きた戦争なんていくらでも見てきた。
今でも、その可能性が一番高いと思っている。
ただこれは証拠ではなく、動機での予想……いや妄想の類だ。
所詮自分のしているのは情報屋の真似事でしかなく、見落としや的外れな考えをしている可能性は十分にある。
また一つ、角を曲がった。
得手不得手。適材適所。
情報屋には情報屋の、傭兵には傭兵の領分がある。そこを弁えておかねば、いつか痛い目を見るだろう。
手掛かりという紐を丁寧に手繰って答えを導き出すのが情報屋。
ならば、傭兵の領分とは?
―――目の前にある障害を捻じ伏せ、一か零かの結果を導き出すことだろう。
「……思ったよりも早かったな」
そうこぼして、街灯もなく月明かりすら届かない狭い路地で立ち止まる。
大通りから外れた人気のない夜道。
その暗闇の奥へ視線をやるジグが一つ息を吐いた。
「もう少し難儀な調査になるかと思ったが……こうも分かりやすく喰いつかれると逆に不安になる、なっ!」
言葉の途中、わずかに聞こえた風切り音。
それに反応したジグが振り向きざまに右手で顔前を薙ぐ。
軽い金属音が二つ。
弾かれたナイフが地に転がった。
首を狙ったそれは黒くつや消しを施されている。
ナイフの飛んできた方向、暗闇の中からぬるりと人影が滲み出てきた。
手入れのされていないぼさぼさの髪の毛と、痩せた体に襤褸の布を纏っただけの質素な姿。
どこにでもいそうな浮浪者の姿をしている。
ただし一点、その眼光の鋭さだけは磨かれた刃物のそれだ。
「……ただのゴロツキ、という訳ではなさそうだ」
ナイフを弾いた手で双刃剣の柄を握ったジグが油断なく視線を走らせる。
闇から這い出たのは二人の男。長身の男が正面を、小男が背後を。
二人は挟み込むように現れると、どちらも感情を窺わせぬ目で短剣を抜いた。
「……」
武器に手を添え、しかし抜かずに牽制しながら状況を見る。
狭い路地だ。人間二人がすれ違える程度の幅しかない。
長い得物では建物が邪魔になり満足に振れず、当然ながら双刃剣もその影響を受ける。
前後を挟まれ逃げ場もない。地の利は相手にあり、こちらのリーチ差は活かせない。
諸々有利な条件が揃ったのを確認してから仕掛けるあたり素人ではない。
「誰に頼まれた?」
「……」
(口も堅い、と)
問いを無視した正面の男が短剣の切っ先を向けた。
同時に背後の男が一歩距離を詰める。
じゃり
小石を踏みしめる音にジグが一瞬意識を動かした。
その間隙をついて長身の男がナイフを投げた。
横に三つ、胸と両肩を狙った投擲。
呼気も動き出しの力みも全くない、予備動作を極限まで減らした熟練の技。
投擲に合わせて背後の小男が距離を詰める。
先程の意識を引くための一歩ではなく、軽く跳ねるような踏み込み。
風の魔術で飛距離を伸ばした踏み込みはわずか一歩でジグとの間合いを食い潰し、地を這うほどの低い姿勢から足を狙った斬撃を繰り出す。
タイミングを合わせた完璧と呼べる挟撃。
それに対してジグがとった手段は……前進だった。
「―――っ!」
姿勢をわずかに低くして踏み込む。
肩を狙った二つのナイフの射線から逃れ、背後からの凶刃は前に出ることで空振らせる。
しかしそれでも窮地から脱してはいない。
胸を狙った投げナイフが下げた頭部へ迫り、その先には長身の男が走り出している。
背後の小男が空ぶった短刀を構えなおして再び斬りつけようとしている。
ナイフを防いでも挟撃から逃れること叶わず、依然状況は不利。
頭部、目前に迫るナイフ。
ジグは致命の一撃であるそれを掴み取ると、正面の長身の男へ投げ返した。
「ッ!?」
ナイフの速度とジグの踏み込み。
二つが合わさった相対速度は尋常ではない。
それを防ぐだけならともかく、掴んで投げ返すという常軌を逸した行動。
手甲で防いだところを挟撃、というのが相手の段取りだったのだろう。それまで無感情だった男の目に初めて動揺の色が浮かんだ。
「クッ!?」
当然それを真似できるわけもなく、長身の男は足を止めて投げ返されたナイフを弾いた。
不意を打たれた投擲返しに咄嗟に対応できる辺り、この襲撃者の力量も相当なものだ。
しかし足を止めてしまった。
それはつまり、短時間とはいえ二対一ではなくなったということ。
男がナイフを弾いて再び動き出すまでの数秒にも満たないわずかな時間。
それだけあれば、十分だった。
「ふんっ!」
踵で地面を蹴りつけて急ブレーキ。
地面を削りながら強引に反転したジグが双刃剣を抜く。
距離を詰める小男へ上段に構えて前に出る。
闇夜に赤黒い刀身が不気味に輝いた。
「……っ!」
魔術で跳ねるように動く小男は今更止まることができない。もっとも、止まった所でその隙を斬られるだけだ。
ならば迎え撃つより他はない。
狭いここでは相手の攻撃は突きか縦の斬撃に限られる。あの構えならば後者だろう。
そう判断した小男は勢いを緩めず飛び込む。
「しゃっ!」
右手に生み出した風の刃を撃ち出しながら、逆手に持った短刀で突っ込んだ。
暗さも相まって視認困難な初弾を避けさせ、振り下ろすより速く斬る。
結果的にだが、小男のその算段は甘かったと言わざるを得ない。
「せぁ!」
裂帛の気合と共に振り下ろされた双刃剣、その赤黒い刀身は不可視の風刃を完璧に捉えた。
魔力純度の高い結晶纏竜の頭角で造られた刀身が風刃を弾き散らす。
「馬鹿なっ!?」
軋んだ音を響かせながら霧散した風刃。
魔術を打ち消してなお止まらぬ双刃剣は短刀ごと驚愕の表情をしたままの小男を叩き潰した。
砕かれた頭蓋。
血と脳漿がぶちまけられ、その衝撃は斬られたというのにハンマーか何かで潰されたかのように頭部が消失している。
残心をとる間もなく背後に長身の男が迫っている。
仲間の死に憤るでもなく、ただ淡々とジグの隙を突く。
「しっ!」
向き直って構える暇はない。
下刃で裏突きを見舞うが、読まれていたのか容易く躱される。
頸筋を狙って突き出された短刀。
確実に息の根を止めるであろう一撃を、右の手甲で弾くようにして凌ぐ。
「シャァ!」
長身男は隙を逃さず双刃剣を右足で踏み落とし、長い左足でジグの胴を蹴る。
防具の隙間を狙った蹴りが横腹にめり込み、みしりと音を立てた。
「ぐっ……」
魔力で強化された、その細身からは想像もつかない威力に息を吐き出しながら後ろに下がる。
転がるようにして小男の死体横を通り過ぎ、その短刀を拾いながら立ち上がる。
起き上がりざまに投げつけられたナイフを左の手甲で弾き、相手の突きを右逆手に持った短刀で受ける。
「シィ!!」
その途端、長身男の短刀が蛇のように絡みついた。
半歩の入り身と同時、いなすようにくるりと刃を回し手首を切り落そうとする。
「……うおっ!?」
慌てて短刀を手放してそれを逃れる。
間一髪、掠めた相手の短刀は手袋を裂くだけに終わった。
落とした短刀を足で後ろに蹴りながらじわじわ距離を詰める長身男。
対して無手のジグは拳を構えた。
左足を前に出した半身になって左手を顎の前、右手を顎の横。
踵を地につけない安定性よりフットワークを重視した構え。
「…………ひひ」
長身男は無手のジグを見て笑みを浮かべた。
短刀で牽制しながら術を詠唱し、武器を持たぬ左手の人差し指を上に向ける。
足元から湧き上がる熱に気づいて後ろに素早くステップ。
地を蹴り、立ち上る火柱を裂くようにして長身男が飛び掛かる。
連続して振るわれる刃。
こちらに腕を取られぬよう体重を乗せず、軽さと斬り返しの速度を重視した連撃。
迂闊に腕を伸ばせば即座に脇へ短刀が刺し込まれるだろう。
小刻みに手甲を動かして捌いていく。
幾度目かの攻撃を凌いだ後、ジグが動く。
「しっ!」
相手の短刀が動き始めた瞬間を狙っての左ジャブ。
コンパクトな動きで放たれた鋭いジャブが、勢いに乗る前の短刀を手甲部分で弾きながら長身男の顔を打つ。
「がっ!?」
当たったが、短刀の間合いで戦っていたため浅い。
だがこれはあくまで牽制。相手の視界を隠すためのジャブ。続く右のストレートが空気を切り裂いて叩き込まれる。
「ひっひぃ!」
ジグの膂力で打ち出されるまともに当たれば死に至る必殺の一撃を、それでも相手は勘で回避して見せた。
戻される右腕を狙って短刀が閃く。
だが短刀が右腕を裂くより速く、閃光のような右下段蹴りが長身男の足を打った。
「がぁ!?」
ワンツー、ローのコンビネーション。
一息で流れる様に繋がる連撃がついに長身男の足を捉えた。
鈍い音を鳴らして足の骨を砕いた感覚がはっきりと伝わってくる。
脚甲を着けたジグの蹴りを横からまともに食らい、相手の体勢が大きく崩れた。
それを見逃すほど甘くはない。
苦し紛れに振られた短刀をスウェイで躱し、カウンターの左中段蹴りを腹部へ。
「げぇっ!」
蹴り飛ばさず、つま先をめり込ませるように食らった相手が短刀を落とし折れた足で膝をつく。
これで終わりだ。
蹴り足を軸足へ。
左足に重心を移しながら大きく体を右へ回す。
「くたばれ!!」
破城槌めいた轟音。
渾身の力を込めた右の後ろ回し蹴りが下がった男の頭部に直撃した。




