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双刃剣を手にしたジグが駆ける。
木の枝から逆さまにぶら下がった薄刃首狩蟲は上半身を揺らしながら、感情の読めない複眼でそれを見ているだけだ。
シアーシャが岩槍を放ち、ジグを追い抜くようにして魔獣へ迫る。
狙いは木を掴む下半身。
より危険度の高い魔術に薄刃首狩蟲が反応した。
木を掴んでいた脚を放すと上半身を中心に反転、音もなく地へ降り立つ。
頭部の位置がまるで変わらないままに体の上下を入れ替える一連の動きは不気味なほどに静かだ。
魔術の射線から逃れ、それでも避けきれない岩槍を上半身のみの動きで捌いた。
薄刃首狩蟲の複眼がジグへ向けられる。
攻撃を避けた直後を狙って距離を詰めたジグが双刃剣を持つ手に力を籠める。
静音性を高めるためか、薄刃首狩蟲の体は見るからに防御力が欠けている。避けられぬタイミングで本気の攻撃を叩き込めば一発で倒しきれるはずだ。
間合いまであと一歩。
振りかぶった双刃剣が動き始める瞬間。
緑の鎌が、ブレた。
「っ!」
目を見張ったジグが攻撃動作を咄嗟に中断し、首を守るように双刃剣を動かす。
甲高い音と共に首元で止まった二本の緑鎌が赤黒い刀身と競り合った。
よく磨かれた刃の様な刀身がジグの驚いた表情を映す。
―――速い!
想像を絶するほどの剣速に一筋の汗がジグの額を伝った。
速く、そして長い。
腕を伸ばしただけでなく、上半身を傾けながら振るわれた鎌は双刃剣のリーチすら上回る。
「だが……軽い!」
気合と共に鎌を跳ね上げる。
バネを伸ばすように振るう鎌は速く鋭いが、二撃目が遅い。
先程の不意打ちを回避した際のように一本ずつ繰り出すのが精々だ。
「ふっ!」
跳ね上げた勢いそのままに胴を薙ぐ斬撃。
しかし体勢を崩したと思われた薄刃首狩蟲は傾けた上半身を引くことでこれを回避。
思っていたよりも下半身の足が屈強のようで、強引に体勢を整えてしまう。
人とは違う構造を活かした体幹で窮地を脱した薄刃首狩蟲は後ろに跳ぶ。
滑空するように距離を稼ぐと、先程とは違う木に張り付くと登りだす。
どうやら形勢不利と見て逃げ出すようだ。
「させませんよ」
逃がすまいと走るジグを余所に、掌を大地に着けたシアーシャが魔力を練る。
途端、その木が激しく揺れ始めた。
大地を操ったシアーシャにより根っこごと木が揺さぶられる。
堪らず地に降りた薄刃首狩蟲にジグが追い付く。
威嚇するように翅を広げると、迫るジグへその鎌を振るった。
「その速度、もう慣れたぞ」
工夫のない軌道は速くとも読みやすい。
容易く受け止めたが、響いた剣戟音は一つのみ。
遅れて振るわれたもう一刃がジグの首を落とさんと、緑の軌跡を描いて迫りくる。
「双刃は……」
跳ね上がる下刃がそれを阻む。
左からの鎌を上から押さえつけ、右からの鎌を下から押し上げる。
「お前の専売ではない!」
気合一閃。
力任せに振り切られた双刃剣が反時計回りに弧を描き、薄刃首狩蟲の鎌を根元から砕いた。
青い血と鎌の破片が飛び散る中、魔獣はぎちぎちと音を立てて鎌のない腕を必死に動かしながら藻掻く。
最後の抵抗とばかりに口吻をジグの頭へ突き立てようと狙いを定めた瞬間、その頭部に岩槍が突き刺さる。
続く赤の斬撃は、呆気ないほどに容易く魔獣の胴を断ち斬った。
「け、結構危なかったですね……」
倒した薄刃首狩蟲の死体を見てシアーシャが冷や汗を流す。
戦闘自体は問題なく終わった。彼女の言っているのはその前の不意打ちの事だろう。
「魔術を使わない魔獣の隠密性がこれほどだとはな」
親指で頬の傷を撫でた。
隠蔽魔術を使って近づいて来たのならばシアーシャは必ず気が付く。魔女はそれだけ魔力に敏感だ。
だが魔力を使わない技量のみで隠れた場合、彼女の感知能力は大幅に下がってしまう。
「……初手で狙われたら私、終わってました?」
恐る恐る首元を撫でるシアーシャ。
彼女が肝を冷やしているところを見たのは初めてかもしれない、などと余所事を考えながら首を振って否定する。
「それはない。いつ敵が来ても動けるように、お前を見ていたからな」
「えっ?」
「……ぬ」
あまり深く考えず口にした言葉にシアーシャが反応した。
驚いて声を上げる彼女を見て、口を滑らせたとばかりに唸るジグ。
「もしかして、今までずっと……?」
「…………」
目をぱちくりとさせたシアーシャがジグを見やる。如何なる感情か、蒼い瞳が丸くなっている。
じっと見つめてくる視線から逃れるように明後日の方向へ顔を向ける。
そのまま黙って立ち上がると、魔獣の素材を荷台に乗せて武器を仕舞う。
「…………」
横目でちらりと見れば、ずっとこちらを見ていたシアーシャと視線がぶつかった。
やはり無言で頭を掻く。
依頼主を守るのは当然とはいえ、態々口にする必要のないことを言ってしまった。とはいえ訂正するのも今更だ。
何を口にするべきか悩んだ挙句、出てきたのは何の面白みもない無難な言葉だけだった。
「……ここは稼げそうだからいい場所だが、一人で来るのは避けた方が良いな。さっきのこともある、行くぞ」
一方的にそう口にしたジグが返答も待たずに歩き出した。
彼が後ろを振り向くことはなかった。
「…………」
わずかに早足で歩くジグ。その背を呆と見つめる。
いつも一定のペースで歩く彼が早足で逃げるように歩くなど、とても珍しいことだなと。
どこか他人事のように考えていたところに、ようやく先程の言葉が胸に落ちてきた。
誰かが自分のことを見てくれている。口にすればそれだけの事。
ただそれだけの事がとても新鮮で、得難いものだったというだけの話。
「……ふふっ」
気が付くと、いつの間にか口の端がつり上がっている。
不思議な心地だ。
今のこの感情になんという名前をつければいいのか、自分には分からない。
だから衝動の赴くままに、動くことにした。
地を蹴り、先を行く彼に駆け寄る。
振り返らずとも歩調を緩めて待っていてくれた彼の腕に、勢いそのまま飛びついた。
「あははっ」
堪らず笑い声が口をついて出る。
長く生きてきた中でこれほど良い気分になったことはかつてなかった。
「……どうした?」
らしくない笑い方をする自分に彼が目を向ける。
既に切り替えたのだろう、いつも通りの彼だ。
返事の代わりに腕を抱いて、ぶら下がるように寄りかかる。
自分がどれほど寄りかかろうとも小揺るぎもしない、古い大樹の様な男。この大きな体に支えられたことは一度や二度ではない。
憐れみを向けるでもなく、恐れるでもない。彼はいつも対等に接してきた。
魔女ではなく、“シアーシャ”を見てくれている。
「さぁ、帰りましょう。臨時収入もあるし今日の稼ぎは期待できますよ!」
「いやいや鎌壊しちゃ駄目でしょう……ここが一番大事な素材なんですから」
しかしそう上手く行くほど、世の中甘くはなかった。
持ち込まれた素材を見て受付嬢、シアンは額に手を当ててそうこぼした。
「……そうか、駄目か」
「駄目ですねぇ」
シアンは魔獣の価値ある素材情報が記載されている本を確認しながら首を振った。
薄刃首狩蟲の鎌はジグの双刃剣と打ち合ってものの見事に粉砕されていた。
切れ味を考えれば十分に硬度もあったのだが、ジグの腕力に加えて頑丈さを追求した双刃剣……結晶纏竜の頭角相手ではさすがに分が悪すぎる。
半ばから砕けた刀身はナイフ程度にしか刃渡りもなく、武器としての使用は難しいだろう。
「薄刃首狩蟲は鋭い鎌とリーチに加えて魔術を用いない隠密性が特徴なんですが、甲殻はそこまで硬くもないし特別な魔術を使う訳でもないんですよ」
頑丈な甲殻を鎧えば重量、あるいは魔力消費量が増して動きの柔軟性も阻害される。
正面切って戦わず、搦め手で攻める魔獣が防御を固める必要がないのは当然だろう。
「その代わり体も軽くて静かに素早く動けるんですけどね。力がそこまで無いからこそ、鎌の鋭さに頼っているんです。その鎌がない魔獣なんて、具のないミートパイも同じです。軽くて味の薄いガワしか残りません」
せめて口吻があればまだ価値あったんですけどね、と言いながら比較的無事な鎌の先端を手に取る。
刃に触れぬよう気をつけながらメモ紙に滑らせれば、さして力も込めていないのにすっぱりと切れた。
「ペーパーナイフに……いや切れすぎて危ないかな。一応捨て値にはなっちゃいますけど引き取ることはできますよ?」
「どうしましょう?」
シアーシャが困ったように笑いながらジグに尋ねてくる。
「……任せる」
「では売らずにとっておきます。ナイフ程度なら使えそうですし」
ジグが投げやりに任せるとシアーシャが布で包んで仕舞った。
「薄刃首狩蟲に不意打ちされて被害がないのも凄いですし、倒したのもお見事というほかありません。でも今は討伐依頼もないし素材もこの様なので、ギルドからしてあげられることは何もないですね!」
良い笑顔でそう伝えられた二人が受付を後にする。
「くたびれ儲けになっちゃいましたね」
「そうだな」
肩透かしを食らったが、シアーシャはどこか嬉しそうだ。
それを見ていると自分も悪くはない気分になってくるものだから不思議だ。
「まあ、そんなこともあるか」
そう思える程度には、悪くはない今日の冒険業であった。




