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光が収まった時、そこはまさに戦場だった。
転移石板の放つ光を貫通するかのように響く怒号と慌ただしく動く足音。
「おい! 追加の怪我人来たぞ、かかれ!!」
こちらに気づいた職員たちが鬼の形相で迫り、担架ごと怪我人たちを毟り取っていく。
冒険者たちも慣れたもので、彼らの邪魔をするまいと素早く道を開けて職員の指示に従う。
「あ、あの! 依頼の報告……」
「馬鹿野郎!! 今それどころじゃないのが分からねえのか! その能天気な頭から治療してやろうかぁ!?」
「す、すいませぇん!」
しかし中にはまだその手の空気に不慣れな者もいるようだ。
別の場所で仕事を終えて帰って来た冒険者が殺気立った職員に怒鳴りつけられている。
すごすごと引き下がった新人らしき若者が年嵩の冒険者に拳骨を貰っていた。
野戦病院のような有様となっているギルドでは事務作業は一時中断し、怪我人の対処を優先している。
まずは応急処置。主に止血を済ませ、重傷者から空いている病院に担ぎ込む。
医者の数には限りがあるので、受け入れきれない分はギルドで面倒を見ている。
ギルド職員の中には医療の心得がある者もおり、彼らが中心となって指示を出してこの局面を乗り切ろうとしていた。
奔走しているのは職員だけでなく、手の空いている冒険者たちもそこに混ざって動き回っている。
「おいそこの! そこで突っ立っているなら薬の買い出しに行ってこい!」
目を血走らせた職員がノートンたちに気づくと詰め寄ってきて買い出しを命令してくる。
「え、僕かい?」
「“僕かい?” じゃねえだろさっさと行け!!」
非常時ということもあり、普段は文官のような雰囲気をしているギルド職員たちは漁師にも劣らぬ荒々しさを発揮していた。
もうこうなってしまえば等級もへったくれもない。
高位冒険者だろうと関係ないと言わんばかりに必要な物のリストをノートンに押し付けてくる。
「え、ちょ……」
「それに書いてるものをあるだけ買い占めてこい。金は後でギルドから支払う。ちょろまかしたら殺す」
「……うわぁ」
シアーシャが思わず引くほどの剣幕だ。
本気の殺意が混じった視線に無言で頷いたシバシクル一同が迅速に動く。
鬼の形相でそれを見送った職員の視線が次はジグたちへ向けられる。
「そこのデカいの……は、部外者か。失礼」
「いや、構わん。何をすればいい?」
気は立っているがかろうじて分別はなくしていない職員に、ジグは気にした様子もなく手伝いを申し出る。
野戦病院のような雰囲気はかつての戦場を思い出す。
こういう空気はジグも慣れたものだ。
「いや、あんたは副頭取がお呼びだ。上に行ってくれ。そっちの魔術師は手を貸してくれ」
「了解した。シアーシャ」
「はい。こちらはお任せください」
この場をシアーシャに任せると、騒然とした一階を後にしてジグは階段を上る。
以前使った応接を覗いてみたが誰もいない。いつジグたちが戻るかわからないのに応接にいる訳もないかと思い直して奥へ進むと、それらしき立派な扉のある部屋を叩いて声をかける。
「俺だ。今戻った」
「入りたまえ」
返答を待って中に入る。
部屋は広いが内装は簡素であまり飾り気がないのは彼の気風によるものだろうか。
広い仕事机の向かいに来客用と思しき向かい合った四人掛けのソファー。
中ではカークが書類仕事をしていた。
彼も今回の事件で忙しくしているようだが、髪の毛はきっちりと後ろに撫でつけられていて疲れた様子もない。冒険者ギルドの副頭取ともなるとこういったことは慣れっこなのだろう。
カークは書類を見たまま身振りでソファーに座るように促す。
空いているところにジグが座ると、彼は筆を動かしながら視線も向けずに切り出す。
「ご苦労だった。報告は先に戻った冒険者から大体聞いている」
先手を打つようにこちらの逃げ道を潰すカーク。
つまり誤魔化しは効かないということだ。
「生存者は五十三名。死亡、もしくは行方不明が三十名……悪くない。死んだ者たちのことは残念だが、状況を考慮すれば最善を尽くしたといえるだろう」
そこで言葉を切ると、書き終えた筆を置いたカークが手を顔の前に組んでジグを見据える。
鋭い眼光には如何なる嘘をも見通しそうな凄みを帯びている。
実際ジグ程度の嘘など容易に見抜いてしまうだろう。それぐらい彼とは経験の差がある。
「それで、君は何人助けたのかな?」
「……三人だ。全員三十歳未満の冒険者」
苦々しく成果を告げるジグ。
大見得を切っておきながらこの体たらく、流石に決まりが悪い。
カークは何を考えているか悟らせない無表情でふむ、と頷くと再び筆をとって手元の書類にいくつか書き加えた。
「事前の取り決め通り、救助人数一人当たり四万が三人で十二万。その半分の六万を支払おう」
「……ああ」
淡々と告げられる金額に頷くことしかできない。
全く割に合わないが、結果は結果だ。
事情があった、なんて言い訳は通用しない。不測の事態込みで受けた依頼を後から契約内容に不備があったなどと言うような真似はするほど恥知らずではない。
忸怩たる思いでそれを受け入れる。
続くカークの言葉が下を向いたジグの上を通り過ぎていく。
「それと」
それよりも信用問題の方が深刻だ。
ただの依頼人であればその人物からの仕事がなくなるのと評判が下がる程度で済むが、相手はギルドの副頭取。
その信用を失ったとなれば評判だけでなくギルドでの行動に影響が出る可能性もある。
以前交わした契約があるので出入り禁止になるということはないだろうが、こちらの仕事がやりづらくなるようにする方法などいくらでもあるだろう。
逆にカークとのコネがあれば冒険者とのもめ事などの際に色々と面倒なことを回避できたはずだ。
失ったメリットとこれから被るデメリットを考えるとため息しか出てこない。
そうしている間にも事態は進んでいく。
小さな紙切れを持ったカークが席を立ち、項垂れるジグの正面に腰掛けた。
そして罪を受け入れるかのように黙っているジグに裁定を下す。
「―――それと刃蜂の誘導、および撃破の報酬八十万。合わせて八十六万」
「……は?」
言っている意味が分からない。
何か聞き間違えたかとジグが顔を上げると、カークが目の前に小さな紙切れを差し出す。
事情が呑み込めないジグが間抜けに口を開けたままそれを見る。
「これをもって下の受付に声を掛ければ報酬が支払われる。……あぁ、分かっているだろうが、くれぐれも下が落ち着いてから持っていくように。君には悪いが、今は何よりも人命が優先なのでね。如何に君とて、殺気立っている職員たちを敵に回したくはあるまい?」
カークの言葉が右から左へ通り抜けていく。
見間違いでなければ、そこにはカークの署名でジグへ八十六万の支払いを命じる指示が書かれていた。
「金額が不満かね? しかしうちも無制限に金を出せるわけでは」
「いや、そうではない……」
ゆっくりと事前の契約内容を思い出しながらジグがカークへ尋ねる。
「……俺が助けられたのはたったの三人だけなんだぞ。事前の取り決めでは助けた人数のみで報酬が支払われる契約だっただろう?」
「君は馬鹿かね」
直球の罵倒に思わずジグが怯む。
カークは心底呆れたといった様子で半眼でジグを見ると、ため息をついて眼鏡を指で押し上げる。
「確かにより多く人数を助ければそれだけ金を出すと言ったが、数を稼ぐことに傾倒するあまり他者の邪魔をするような愚か者がどうして評価できよう。君はより多くを助けるために刃蜂を誘導することが最善と考えたのではないのかね?」
カークは整然と理屈を並べ立てる。
「君は刃蜂を振り切って彼らを見殺しにすることもできた。数を稼ぐだけならばその方がよほど手っ取り早いし、楽だったろう。だがそれをしなかったのは、君が全体を考えて最も生存者が多くなるよう動いたからだろう」
トントン、と机を指で叩いて見せる。
「結果は結果だ。君が直接助けたのは三人で、それ以上でもそれ以下でもない。だが私は言ったはずだ。“出来具合で評価が決まる”“依頼の終了条件は君が決めろ”」
仕事を受けた時に口にした言葉を繰り返しながら紙切れを指差し、カークはなおも続ける。
「一度しか言わんぞ? ……よくやってくれた。うちの冒険者を救ってくれたことを、当ギルドを代表して感謝する」




