破壊神と放蕩ロマンチスト
陛下結婚後、王宮内での一コマ。フランツさんの兄・プレスコット公爵令嬢の夫である“放蕩ロマンチスト”と、魔女の夫“破壊神”のお話。
「これは驚いた、“破壊神”殿ではないか!毎度毎度、そんな腑抜けた顔をさらしてよく歩いていられるものだな!面を買い与えてやろうか?」
ウェーブがかかった黒い髪を靡かせた美しい男が、尊大に胸を張って、肉食獣が獲物に牙を突き立てたような笑顔を浮かべた。
「…おやぁ、“放蕩ロマンチスト”殿。こんなところで何をなさっているんです?よほど仕事を回してもらえなくて暇と見えますな、公爵家家長であらせられるのに」
ひょろ長く情けない風貌の男が、その瞳を氷より冷たく瞬かせて、猛禽類が獲物をその爪で捕らえたような笑顔を浮かべた。
麗らかな春の日差しが美しい王宮の中庭で、季節外れのブリザードが吹き荒れていた。
「…そのふざけた呼び名は何なのだ?」
「我が国の王妃さまが仰っていたことです。まさかケチをつけるなんてことはありますまい?“放蕩ロマンチスト”殿」
「………ほう、王妃さまが。それは光栄だな。名も頂けない男よりは幾分ましだ」
「ええ、そうでしょうね。私はきちんと名前で呼ばれておりますが、愛称で呼ばれるとは恐れ入ります。さすが“放蕩ロマンチスト”殿」
にっこり笑ったニコルは、まさか自分が王妃から陰で“盲目被虐嗜好”“魔女の犬”“破壊神(笑)”と呼ばれていることなど露とも知らない。恐らく永遠に知らなくてもいいことである。
そのニコルが対峙する黒髪の男は、つい先日フランツから公爵家を引き継いだメイラー公爵である。その精悍な顔つきにはどことなく甘さが滲んで、とにかくイケメンの一言に尽きた。ひょろ長いニコルと並ぶと、2倍の横幅はありそうなほど鍛え上げられた身体付きである。
彼は王妃の言うところの“放蕩ロマンチスト野郎”であるが、本当に惚れた女を探すため全国を旅して、放浪の末にプレスコット公爵家令嬢と結ばれた。今まであまりにもふらふらしていたものだから公爵家を引き継ぐときにひと悶着あったのだが、全国放浪の経験が意外と功を奏したようで、上手いこと領地を治めている。
この2人は以前から交友があり、しょっちゅうブリザードを呼び寄せるということで、王宮内ではある意味名物コンビとして名を馳せていた。
「そういえば、結婚なさったとお聞きいたしました。改めてお祝い申し上げます。そちらのブローチは、奥様からの贈りものでしょうか?」
ニコルが、まるで教科書に載っているお手本のように腰を折った。慇懃無礼と取られても仕方がないその仕草だったが、メイラー公爵が気を取り直すには十分な話題転換だった。美しい顔を更に美しく輝かせて、ぐっと張った胸には、青緑色の宝石がついたブローチが日の光を浴びて煌めいている。
「ほう、やはり参謀、目の付けどころが違うな」
「恐れ入ります」
「俺の美しい花嫁の話を聞きたそうな顔をしているようだが」
「いっ…いいえ、滅相もございません」
「遠慮するな。そんなに聞きたいのであれば存分に聞かせてやる。俺とあいつの甘美な新婚生活を余すところなく教えてやろうではないか」
「謹んで辞退させていただきます」
「いいから聞け、俺のハニーとの新婚生活の話で、おまえのそのろくでもない作戦だけが詰まった脳みその中身を入れ替えてやろう」
遠回しに「絶対に聞きたくありません頭おかしいんですか?」と言いたかったのであろうニコルの言葉は頭からすべて無視される形となった。ものすごく嫌そうに顔をしかめたニコルにお構いなしに、メイラー公爵の嫁自慢が始まった。
やれあの恥ずかしがり方がかわいいだの、本当は愛情の裏返しなのだだの、あれは俺の運命の女だの、散々言い募ったメイラー公爵は、げんなりしているニコルに向けてつやつやした笑顔を見せた。
「あまり俺のハニーの良さを語ってしまうとお前がハニーに惚れかねんからな。これぐらいにしておこう」
「……お気づかいは非常にありがたいですが、それはありえませんね。私にも愛しい妻がおりますので」
「ああ!そうだったな!破壊神のお前が結婚とは、随分人間らしいことをすると思ったものだ。それで、お前のところの嫁はいったい、どんな女なんだ?」
メイラー公爵は馬鹿ではない。ただ自分の嫁をとても愛しているだけの、いたって普通の男である。ちょっとロマンチストの気があるが、それは微笑ましささえ誘う些細なものだった。ここで、良き喧嘩相手のニコルと俺の嫁自慢合戦を繰り広げたいと思った彼に罪は無い。彼の脳内では、ニコルが恥じらいながら自分の嫁の良さを語り、その後「だけど俺のハニーの方が可愛いもんね!」「なんですって!そんなことあるわけないでしょうが!」「くやしかったら嫁さん大切にしろバーカ!」みたいなプチいい話が展開される予定だったのである。
もう一度言うが、彼に罪は無い。ただ彼は、“破壊神”の本当の恐ろしさを知らなかっただけである。
「――――私の愛しい妻の事を聞きたいのですね?」
結婚して更に加速した“破壊神”の演説は、それから1時間ほど途切れることがなかった。
「…そ、それでは失礼するとしよう。あまり頭を使いすぎて、その重さで針金のような身体が折れてしまわぬよう気をつけることだな」
まだまだ続く気配は見せているものの一応終わりを告げた演説に体力気力ともに根こそぎ奪われたメイラー公爵が、精一杯の体面を保ったまま口を開いた。公爵家の意地が無かったら今すぐにでもその場にぶっ倒れたいと思っているような顔をしていた。心なしか、均整の取れた身体が萎んだようにも見える。
対して、まるで水を得た魚のごとく生き生きとしたニコルは、輝かんばかりの笑顔を浮かべた。
「ええごきげんよう。顔だけはご立派なのですから、くれぐれも傷などつけぬようになさいませ。何なら騎士団御用達の鍛冶屋で顔面保護用兜もご用意しますよ」
「……」
その毒舌に言い返す気力を、メイラー公爵はもはや持ち得ていなかった。
「…と、止めなくていいかしら」
「あぁ、大丈夫大丈夫。ああやっていつもストレス解消してるんだって陛下が言ってたよ」
中庭裏。
王妃とプレスコット公爵令嬢の女子会が開催されていた。久しぶりに王宮に遊びに来たプレスコット公爵令嬢を前にテンションが上がった王妃が、中庭裏での秘密のお茶会を提案したのである。王妃が偶然見つけたという秘密の場所でお茶会をしていると、彼女たちは急激な気温の低下を察知した。不審に思って中庭を覗いてみると、“破壊神”と“放蕩ロマンチスト”の言い合いが繰り広げられていたのである。
渋るプレスコット公爵家令嬢を何とかして宥め、王妃は好奇心駄々漏れの様子を隠そうともせずに、中庭の喧騒に今まで聞き耳を立てていた。何のことは無い、ただの出歯亀である。悪夢のような毒舌合戦が終息を見せ始めたあたりでプレスコット公爵令嬢が耐えられないというように声を上げたが、王妃の暢気な言葉で簡単になだめられてしまった。
なおも心配そうに中庭を覗くプレスコット公爵令嬢に向けてにんまり笑った王妃は、頬づえをついたままクッキーを頬張り始めた。
「…それにしても、なに?ハニーって呼ばれてるの?」
「…っ!そ、それがなによ!」
「いやぁ、アツアツだねぇ。『俺以外見なくていいだろ』って1週間屋敷から出してもらえなかったってほんとなの?」
「ちょっと!その話はもういいでしょ!」
王妃が、今までメイラー公爵が語っていた素敵無敵にロマンチックな新婚生活の一部を口に出すと、プレスコット公爵令嬢の首から上が一瞬にして真っ赤に染まった。可愛い喧嘩友達を見ながら、王妃は優雅にお茶を飲み干す。その口元は隠しきれない笑顔が浮かんでいる。その表情を正確に読み取るとしたら、『放蕩ロマンチストまじでロマンチストの真骨頂だな…』である。
「で?なんて呼んでるの」
「は、はぁ?なにがよ」
「とぼけちゃってぇ、メイラー公爵のことだよ。ハニーって呼ばれてるのに、普通に名前で呼んでるの?」
「なんでもいいじゃない!なんであんたにそんなこと教えなくちゃいけないのよ!」
「いいじゃん減るもんじゃないし。ほーら、言って楽になっちゃえ」
にやにや笑う王妃を真っ赤な顔で恨めしそうに睨んでいたプレスコット公爵令嬢は、しかし観念したように息をついた。昔から、この状態の王妃から逃れられた事など一度もなかったからだ。この分では、この場をうまく乗り来たっとしても、怒涛の手紙攻撃が待ち受けているのは目に見えていた。
「…よ」
「え?なんて?」
「…ダーリンよ!悪い!?別に私がそう呼びたいってわけじゃないのよ!あいつが呼べって言ったんだから!」
やけくそのように叫ぶプレスコット公爵令嬢を前に、王妃はとうとう耐えきれなくなったように声を上げて笑い始めた。
プレスコット公爵令嬢改め、メイラー公爵夫人が、一向に笑いを治めようとしない王妃を烈火のごとく怒って追いかけまわすまで、あともう少し。
だいたいいつも引き分けなんだけども、お嫁さんのことになると破壊神が勝っちゃう。仲良しさんなんです。本人たちは認めないだけで。




