獅子と首の皮
陛下がまだ獅子の頃のお話。お口直しに。短いです。
伸びるな、と思った。
ものすごく伸びる。面白いくらい伸びる。柔らかくてあったかくてひっぱるとむにゅーっと伸びる。
なんて気持ちいいんだろう。いつまでもさわっていたい。伸ばしていたい。ああ、幸せ。
「…おい」
「はい?」
「首のところの皮を伸ばすのはやめてくれ」
だって陛下、これめちゃくちゃ気持ちいいんですよ。
私が陛下の言葉を無視してその首の余った皮をもふもふ伸ばしていると、「こら」とものすごく迷惑そうな声が聞こえて、片手でひっぺがされた。残念。
顎から首にかけてむにゅっと皺になっている皮は、伸ばされた状態から元の形に戻っていく。獣毛と人間の首の境目がよく見えた。被り物と聞いても信じそうになるくらい現実味がなかった。それでも、今まで伸ばしていた首の皮はうっかり心酔するほど暖かかった。
「ごめんなさい、痛かったですか?」
「痛くはないが…」
「どんな感じなんですか?」
「…伸びているな、と思う」
的確なんだかいい加減なんだかよくわからないことを言った陛下は、私が伸ばしていた箇所を肉球でさすった。首の皮が伸びるってどんな感覚なんだろう。愉快なものではないことだけは確かだろうけども。
ああ、でも、気持ちよかったのになぁ。ふさふさもふもふの獣毛の下にあんなにさわり心地のいい部分を隠しているなんてもったいない。痛くないのなら触らしてくれればいいのに。減るものでもないだろうに。
「…そんなに楽しかったのか?」
私がよほど口惜しそうな顔をしていたのか、陛下が首をかしげてきいてきた。それはどうも機嫌を損ねた主人の前でしゅんとしている犬のようにも見えて、陛下はまさか鬣を持った狼なんじゃないだろうかとちょっと心配になった。
「一生触っててもいいくらい楽しくて気持ちよかったです」
「いっしょう…」
私が心からの感想を口にすると、陛下は少し俯いた。なにかを考えるように、その手が机を緩く叩いている。多分人間の指がリズムをとって机を叩くのと同じ仕草なのだろう。肉球が机にあたって、ぺたんぺたんと尋常じゃなく可愛らしい音がする。私はそのあまりの可愛らしさに吹き出そうとするのを懸命にこらえているが故に震えを抑えきれないでいるが、陛下はそれを気にした様子もない。
「…そうか」
顔を上げた陛下は、獅子の顔にも関わらず上機嫌であることが窺い知れた。ゴロゴロ喉まで鳴らし始めた。やっぱり狼ではなく、ちゃんとした獅子だったようだ。よかった。
「伸ばしてもいいぞ」
「はい?」
「ほら」
もにゅっとしわになっている首の皮を惜しげもなくさらす陛下の心境に何の変化があったのだろう。触り心地がいいと言われたのがそんなに嬉しかったのだろうか。何にせよ、首の皮を触れるのは、嬉しいことである。
陛下の気が変わらないうちにと、もふもふの柔らかさを再び堪能する。ああ柔らかい。すごい伸びる。なんて気持ちいいんだろう。
「楽しいか?」
「それはもう」
「それはよかった」
陛下は、私が触れている喉を鳴らして、小さく笑った。
動物の首のとこの余った皮って伸ばしちゃうよねと言いたかっただけです。




