2話
とまあ、ある意味打算と欲望まみれの私が、後宮入りしたのが2週間ほど前。
最愛のお姉様とのお別れもきちんと済ませて(お姉様は私の計画をすべてお見通しだった。さすが、稀代の美貌と謳われたフランツさんを2日で陥落させただけのことはある…え、関係ない?)、お屋敷からメイドを2人連れて、女の園へと乗り込んだのである。
メイドの1人、シェリは小柄でちまちま動く子犬の様な酷く可愛い女の子である。女は顔より仕草だと私に初めて納得させた女の子でもあり、こんな可愛い女の子がいるんだったら私は男に生まれたかったと思うくらい可愛いメイドさんである。お茶を入れるのが大の得意で、おっちょこちょいで、何事にも全力で一生懸命な私の可愛い可愛いちいちゃな犬っこ…メイドさん。
もう1人、ハンナはメイドでありながら私の悪友ともいうべき間柄であり、幼少から両親に成り代わって公爵家の子どもたちを厳しく育て上げたスパルタ教師でもある。素晴らしいスタイルをメイド服に包んだ壮絶な美女、公爵家の子どもたちの間での通称は『魔女』。過ぎた美貌は害にしかならないが、使い方次第でどうとでもなると私に実感させてくれた人間でもある。そんな美しい彼女のおかげで、私を含めた公爵家の子どもたちは甘ったれに育たずに済んだというわけだ。彼女に年齢を聞いた人間は翌日から忽然と姿を消してしまうのだが、まぁその2つの出来事に因果関係を見出すのは早計だろう。
さて、そんな2人と私が現在くつろいでいるのは、後宮の中の私にあてがわれたお部屋の中だった。
午後のティータイムということで、シェリがお茶を淹れてくれている。その真剣な横顔からはドングリのような大きな目が零れ落ちそうだ。
ああそんなところも可愛い。お茶の葉が開くのを待っているのは待てを命じられた犬の様だ。
「それにしても」
私が可愛いメイドさんを思わずガン見していると、その隣に控えていたハンナがゆるりと笑って口を開いた。とてもではないが、シェリと同じメイドだとは思えない。
おっとりしたしゃべり方に負けず劣らずおっとりした表情だが、見方を少しでも変えれば妖艶としか言いようのない、形のいい垂れた目が此方を見ている。『魔女』の流し目は鬼をも殺す。我らが公爵家の子どもたちが何度も心に刻みこんだ教訓である。今日も素敵な威力をお持ちのお目目ですこと。
「陛下が、お渡りどころか初日のご挨拶にもお顔をお見せにならないなんて、前代未聞ですわ。案外、お嬢様の計画が事前に通達されていたのではありませんこと?」
「ハンナさん!お嬢様になんてことを!」
口調は馬鹿丁寧だが言っていることは結構辛辣な皮肉である。思わずと言ったようにシェリが反論した。忠犬っぷりが駄々漏れだ。
そろそろ目が零れ落ちても不思議に思わないくらい目を見開いてプルプル震える子犬から目を逸らし、私は、(私からはにやにやとしか見えないが世間一般的に言うと)おっとりと控え目に笑う魔女のほうを向いた。相変わらずその美しさに衰えはないようで。羨ましいことである。
「いーのいーの、それと引き換えにもっといいものもらったから」
「…い、いいもの、ですか?」
「あらお嬢様、それは何か教えてくださいます?」
子犬がおどおど、魔女が慇懃無礼にそれぞれ問いかけてきた。ほんとうにこのメイド2人は対照的だ。
「ああ、教えてしんぜよう。それはね、後宮のお嬢様方からの侮蔑と憐れみだよ」
芝居がかった私の仕草に、ハンナはにっこり微笑んだ。そうするとおっとりした顔が更に優しくなって、聖母のように見る。粗野な口調が目立つ私と見比べると、知らない人が見たらハンナの方がお妃候補だと口を揃えるに違いない。この清らかさにだまされて骨の髄まで絞り取られた男を知っている私としては全力で逃げろと言いたくなるような笑顔だ。
一方シェリは何が何だか分からないと言うように首を傾げたが、すぐに小さく悲鳴を上げた。お茶の用意の途中だったことを思い出したのだ。お茶の葉を蒸らし過ぎたのだろう。ああ可愛らしい。こんなに可愛い生き物がいるなんて信じられない。私の心の癒しである。
さて、私たちが何の話をしているかというと、私が後宮に入った日の、思わぬ事件のことだ。何と、顔見せも兼ねた謁見の間でのご挨拶に、国王陛下が現れなかったのである。
通常ならば、一応自分の側女になる女との対面の場であるということで、歴代の令嬢には挨拶代わりの拝謁と、今夜の“お渡り”の示唆――つまり、今夜抱きにいってやるから準備しておけという類のたいそうありがたいお言葉――をくださっていた、らしい。
それが、私のときにはきれいさっぱりなかったのだ。謁見の間で小一時間待たされた挙げ句、青ざめた大臣が「現在陛下のお体が思わしくなく云々」と言ってきたときには正直ちょっと焦った。こちらの計画が本当にばれているのかと思ったくらいだ。
そうして私は、これ幸いと早々に謁見の間を辞して、後宮の自分の部屋へと入ったのである。もちろんその夜、お渡りは無かった。嬉しすぎて一人で祝杯を上げた。自分の主人が一人でニヤニヤしながらグラスを掲げて「ひゃっほう!」などと騒いでいるのを見ているにもかかわらずいまだに忠犬っぷりを発揮するシェリは、案外一番精神力が強いのかもしれない。
体調云々の話が口実でも真実でも、こちらとしては万々歳だった。存分に私を無視してください。どちらかというと清い体のままの期間が長い方が、こちらの精神衛生上も大変よろしいので。
さて、一方そんな考え方がまるっきり出来ない方々がいた。早くから後宮入りを果たしていたお貴族のお嬢様方である。
私としては好き好んで早いうちからこの後宮に入っているなど正気の沙汰とは思えないが、あちらからしてみれば、陛下のお顔さえ拝見することが叶わず、その後もお渡りの気配すらない私の方が異端者に見えたようだ。可愛らしいお嬢様方は、暫く此方を馬鹿にするような言動が目立った。日ごろ取り澄ました公爵家令嬢が冷遇されているのがよほど痛快だったのだろう。
しかし、日がたつに連れて、彼女たちは同情的にすらなってきていた。私へのお渡りがいつまでたっても気配すらないからだ。後宮に入って最初のお渡りは通過儀礼のようなもので、嫉妬の対象にすらならないのに、それさえ与えられていない私はよほど哀れに見えたらしい。
要するに、その事件があったおかげで、私の身体が清いままであるだけでなく、後宮のお嬢様からの理不尽な嫉妬や嫌がらせも今のところ皆無だというありがたい現状を掴み取ることが出来たのだ。何か王宮側に不手際があったようだが、お渡りがないなんてそんな事はどうでもいい。お嬢様の同情なんて輪をかけてどうでもいい。本当は心の中で小躍りしているのだ。重苦しいドレスを強要されていなければ実際に踊っていたかもしれない。
「あのプレスコット公爵令嬢に『陛下のお加減が悪いなら仕方ないですわ…』とか言われた時には感動すら覚えたね」
「あのご令嬢はお嬢様の陰口が生きがいですものね」
「まぁその後すぐに鮮やかな罵倒を繰り広げてくれたけどね。やっぱりあの子はああじゃなくちゃ、変に優しいと気持ち悪い」
「『それにしても陛下は貴女によほど魅力を感じられませんでしたのね、こんなところでふらふらしてないで自分磨きでもしたらどうですの?』でしたか?」
「なんで一言一句違わず覚えてんのこわいしかも声真似ガチで上手い」
ハンナとふざけていたら、シェリが無言でぷるぷるしながらお茶を運んできた。
彼女にもこの度の計画は話しているが、それでも納得できないのだろう。自分のご主人さまにだけ陛下のお渡りがないことで、魅力なしとのレッテルを貼られるのが我慢ならないのだ。本当の子犬の様だ、可愛い。出来るなら今すぐにでも撫でくり回してやりたいが、それをするとハンナに尋常じゃないほど冷たい視線を向けられるので我慢するとする。社交界で何が一番磨かれたって、そりゃあもう『自制心』一択ですから。
「まぁしばらく様子を見ようよ。まだ来て2週間しかたってないし」
「そうですわねぇ」
話題の国王陛下から、後宮入りしたご令嬢方全員に召集命令が下ったのは、その日の夕方のことだった。
ようやくご対面です




