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獅子と私  作者: sin
本編
18/31

17話

さぁ、ようやく「ジャンル:恋愛」詐欺から脱却いたしますよ(当社比)




「それで、お嬢様はどうなさるのです?」



唐突な質問を投げかけてきたハンナは、いつものようににっこりと笑って私を見ていた。

痛くもない腹を探られるどころか抉られる勢いの視線から逃れるために、私はお茶を飲みほした。ああ美味しい。シェリのお茶は、いつだって、美味しい。


シェリがすかさず駆け寄ってきて、お茶のお代わりをくれる。



「そうだねぇ、まぁ新しい妃候補が来るまでのんびりしておくかな」

「あら、妃候補として名乗りを上げませんの?」

「まさか。後宮には残るつもりだけど、陛下はもうここには来ないよ」



陛下があの時一番欲していたのは、獅子になって不安定になった心を好奇心で逸らしてくれる人だった。意志を持たない獣になってもいいと許して居場所をくれる人だった。どちらかというとそれは、“動物のお医者さん”の役割に似ていた。私は、いつだって、傷ついた動物が逃げ場を求めてしがみついてきているような錯覚を覚えていたのだ。



だがこれからは違う。陛下がこれから必要とするのは、“妃”としての役割をきちんとこなしてくれる人である。日々の業務の疲れに安らぎを。ささくれて傷ついた心にぬくもりを。悲しみ涙するその瞳に微笑みを。そして、共に生き共に歩む喜びを。全てを与えて、全てを包んでくれる人を、これから無数に広がる選択肢の中から選ばなければならないのだ。



そしてそれは、きっと私ではない。私はあまりにもふさわしくない。何せ私は、めんどくさくない人生を送りたいがために後宮に足を踏み入れたような、ナマケモノもびっくりな女である。獅子の陛下と戯れた実績があろうと、それはそれ、これはこれ。お医者さんは決して妃にはなれないのである。


誠に残念ながら私一押しのプレスコット公爵令嬢はすでに放蕩ロマンチスト野郎がお買い上げしてしまったが、世界にはいい女なんて他にもたくさんいる。後宮に入りたがっているお嬢様方は長蛇の列だとか。より取り見取りである。




「まぁ、獅子の姿から解放されたんだから、もう選び放題でしょ。なんてったって、き…奇跡の…奇跡の御子なんだからね」

「お嬢様、顔が笑っておいでですわ。その名前を言うたびに笑うのはおやめになったらいかがです」

「失礼な、精一杯の祝福の顔のつもりだよ。とにかく、私はお役御免。また気ままな後宮ライフを送れるような計画を立てなきゃね」




伸びをして椅子に身を投げ出したその一瞬、大きなベッドが視界に映った。




記憶の奥底から無理矢理引き摺り出されるように、獣の鬣が見えた気がした。とうとうみつあみをすることが叶わず、顔を埋めたらお日さまの匂いがした、あの茶金の鬣。ぷにぷにの肉球。縛り付けられるような腕の強さ。暖かくて、柔らかくて、ほんの少しだけ鼻をくすぐる、獣の匂い。





私のやることなすこと全てに、面白そうに喉を鳴らして低く優しく笑った、獅子の王様。






「…これでようやく、めんどくさくない人生が送れそうだよ」





――自分の声かどうか、一瞬分からなかった。喉に何かがつっかえたような、言葉尻が掠れた妙な声だった。



喉が渇いているのだろうと思ってお茶を飲んだ。いつかのように、お湯を飲んでいるような気がした。まるで味がしない。

シェリが粗相をしてお茶が薄かったのだろうか。いや、そうに違いない。可愛い子犬は、お茶の淹れ方を失敗したと言って酷く心を痛めるだろう。早く飲み干さなければ。


この、今にも飛び出していきそうな、喉をふさぐ重苦しい何かと共に、飲みこんで、消化しなければ。




「温くなったものは私がいただきますわ。お嬢様はこちらを」




飲み干そうと持ちあげたティーカップが、急にハンナによって取り上げられた。

いきなりのことに反論もできなかった私に、熱いお茶が入ったティーカップが渡される。立ち上る湯気の向こうで、私から取り上げたお茶を魔女が口に含むのを見た。



「シェリ、やっぱりあなたのお茶は冷めても美味しいわね」

「わぁ、ありがとうございます!ものすごく久しぶりにハンナさんに褒められました!」

「このお茶に免じて、壊した掃除用のモップを黙って焼却したことは許してあげるわ」

「ば、ばれてましたか…」



私が味を感じなかったお茶を美味しいと笑う可愛いメイドたちの会話も、聞かなかったふりをする。

一瞬だけ垣間見えたハンナの鋭い目も、見なかったふりをする。

お茶と一緒に飲みこめなかったものを、胸の奥に無理矢理ぐっと押し込んだ。鉛を飲み込んだような重さだった。それにも、気付かないふりをする。




明日になったら、ベッドを変えてしまおう。二周りくらい小さなベッドで、私だけが眠れるやつを手配しよう。

明後日になったら、首元を飾る薔薇の飾りを、宝石箱にしまってしまおう。どの宝石よりも奥深くに、もう目にすることがないように。





そうしたら、ふとした拍子にあの優しい笑い声を思い出さなくても済むだろう。

そうしたら、この胸につかえる重たい鉛も、気のせいだったと思えるだろう。





よかったお渡りなくて。そしてこの先も、一生なくて。ああ、よかった。














決意を固くした私に今夜陛下のお渡りがあると女官長から伝言があったのは、その僅か30分後でした。…なんでやねん。



前にそう思った時は、こんな気持ちになっただろうか

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