13話
体のラインにぴったり添った最高に動きにくそうな真っ赤なドレスを翻して、お姉様は私に近づいてきた。高くて真っ赤なヒールがたてる音がまるで管弦楽器のように響いて、芋虫のように転がされている私の前でピタリと止まる。
芸術と評価しても差し支えないほど美しい柳眉をひそめて、私の最愛のお姉様は、真っ赤なルージュが引かれた唇を動かした。
「まぁ、あたくしの可愛い妹。そうしているあなたもなかなか可愛らしいけれど、夫婦生活の刺激としてはいささか悪趣味ではありませんこと?…あらそんな顔しないで。ほんの冗談じゃありませんの」
「…は、は」
一ミリも変わりの無いお姉様に思わず笑いがこぼれる。信じられないほど細い腕で軽々重火器を扱って、恐ろしく高圧的なしゃべり方をする、訳がわからないくらい美しい、私のお姉様。
煙を上げている重火器を、まるでティーカップをそうするかのように無造作に地面に置いたお姉様は、私の手を拘束している縄をほどき始めた。暫く奮闘していたらしいが、固く縛られている紐が解けないと分かると痛烈な舌打ちをして、どこからともなく鞘付きの小型ナイフを取り出す。お姉様、それどこから出しました?私の目が急に乱視になったのでなければ、その白くまぶしい胸の谷間から引きずり出したように見えたんですが。
「来てくださると…思っておりました」
「もちろんですわ、可愛い妹が危険に晒されていると聞いて、このあたくしが黙っているとでも思って?」
「とんでもない!ほんとうにありがとうございます」
恐らくハンナから連絡がいったのだろう。あの魔女は、戦闘能力は低いが状況判断能力が異常に長けている。この騒動を解決できる一番手っ取り早い方法は、お姉様に連絡を取ることだと判断したのだ。そしてそれはまさしく正解だった。
ようやく芋虫状態から解放された私は、ぐるりと辺りを見回した。
「お姉様、ここは」
「お隣の国との国境近くですわ。もう少し行った先で陣営が張られて軍が待機しておりましてよ」
「はぁ、まだ戦争は始まっていないんですか」
「あなたが攫われてまだ1日しか経っておりませんもの。フランツが急いで魔術痕を辿ってここまで連れてきてくれましたの。ねぇ、フランツ?」
「――やぁ、ずいぶん派手にやらかしたんだねぇ、奥さん」
瓦礫の向こうから、のんびりした声が聞こえた。お姉様の夫のフランツさんである。今日も前回お会いした時と寸分違わず素敵無敵にイケメンですね。後光が差しているようにさえ感じます。
「フランツさん。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「いや、大丈夫だよ。君こそなんだか大変なことに巻き込まれているみたいだねぇ」
世界で3本の指に入ると確信できるほど穏やかな声で、フランツさんが私を慰めてくれた。彼の穏やかさは天使に匹敵するほどで、情け容赦のない我が最愛のお姉様の暴言も真綿で包むように受け止めてしまう。
お姉様は「それはフランツがあたくしを愛しているからよ」と自信満々に胸を張っているが、私は知っている。フランツさんのその底抜けの穏やかさと忍耐強さは、彼が幼少のころから彼のお兄様の傍若無人の尻拭いをし続けてきた賜物である。
フランツさんのお兄様は、フランツさんと並ぶ想像を絶するイケメンで、だがしかし天上天下唯我独尊を地でいく、いい年してまだ爵位を継がず放浪の旅に身をゆだねている変わりものだ。爵位を継がない理由は「本当に惚れた女とまだ出会っていないから」という意味不明なロマンチストでもある。
惚れた女を連れて帰った暁には爵位を継ぐと約束して、現在は補佐の次男フランツさんが家を切り盛りしているらしいが、私はフランツさんがそのまま公爵になったほうが数万倍いいと思っている。
「しかし、念の入った誘拐だね。こんな複雑な魔術、兄が家の軟禁から抜け出した時に見て以来だ」
「そのことなんですが、私をここに連れてきた方、魔術痕から推定することって出来ます?」
「うーん、個人を特定することはできないね。空間移動は上級魔術だし、魔術痕も上手く見えないようにされてたから、相当の使い手だろうなぁ」
「真っ黒いローブ着たまっくろくろすけの男だったんですけど」
フランツさんが首を傾げる。
「僕の知り合いにはいないなぁ。奥さん、君の知り合いにそういう人いない?」
「あたくしの不貞を疑うと仰るの?」
「わぁ、びっくりするほど話が飛んだね。うん、とりあえず、そのナイフをしまってくれると嬉しいんだけど」
尋常ではないイケメンでもできないことがあるのだと分かってよかった。これで犯人をぽんぽん特定された日には、イケメンに限って付属される数々の特権が根底を成す世の中の仕組みに絶望するところだった。いやまぁ犯人は分かった方がいいんだけど。
なぜかべた甘な痴話げんかに発展している姉夫婦を見ながらそんな事を思った。随分心に余裕が出来てきたみたいだ。今ならものすごく理不尽なことが起こっても、大人の余裕で聞きながすことができるかもしれない。それくらい余裕があった。
事件が起こったのはそのすぐ後である。
「―――!?」
突然、姉夫婦が崩れ落ちた。糸が切れたようにその場に倒れ込んでぴくりとも動かなくなったのだ。本当に突然だったので、たっぷり10秒は反応できずに固まった。寄り添って倒れる夫婦が麗しすぎて、神がその美しさに嫉妬して魂を引っこ抜いたのかとさえ思った。
正気に返って2人に駆け寄る私の背後で、突然、調子外れの声が、聞こえた。
「大丈夫だよ、2人にはちょっと眠ってもらっただけだからね!」
絶対に振り向きたくない。
振り向いたら生まれてきたことを後悔する自信がある。とんでもない厄介事に巻き込まれそうな自信がある。振り向きたくない。私の宝石箱に入っているなけなしの宝石を全部あげていいから振り向かずに済む権利が欲しい。
まあそんな願いもむなしく、私は振り向くしかなかった。姉夫婦は壮絶に美しい顔で眠っていて頼れる状況ではなかったし、起きる気配もない。頼れるのは己のみだったからである。
深呼吸をして、3,2,1で振り向こう。さあいくぞ、3,2,1!
「………」
「派手に壊してくれたね、お嬢さん。そんな君に、一度だけチャンスをあげよう!わぁー僕ってなんて優しいんだろ!」
どうしよう頭がおかしい人だ。
見なきゃよかった。本当に見なきゃよかった。
まっくろくろすけが、見なれた獅子をなぜか2匹もつれて、そこに立っていた。嫌な予感しかしない。
流石の私の心の余裕も、こればっかりは受け流してくれそうになかった。
この壁壊したのはお姉様なんですけど、そういう訂正はいらないんでしょうね。
さぁ、話がぽんぽん進んでいきますよ




