5.組み敷いてしまえ、唐揚げ!
唐揚げ弁当の唐揚げの下には、大抵キャベツの千切りが敷き詰められているものだ。
白飯課長への感情はやっぱり憧れだったようで、金・土曜日とドリンク片手にファミリーレストランでぐちぐち零していたら、失恋で涙に明け暮れることもなく、したがって寝込むこともなく、いつも通りの仏頂面で会社に出勤することができた。日曜日、多少枕は涙で濡らしたが、本当にそれだけだ。いっそ呆気ないほどに。
現在、白飯課長に対して感じるのは、痛烈な苦しみといった自身が受ける気持ちではなく、ただ単に彼を失望するだけで自己完結している。だから、気持ちの切り替えは驚くほどあっさりできた。
心は凪いでいるから一安心――かと思いきや、一つだけ困ったことがある。
私は常々、心のポエムならぬ小説を書いてきた。それが生きがいともいえるし、ストレス発散の道具でもあり、娯楽だった。そのヒーローはもちろん白飯課長で、ヒロインは白飯課長に恋する乙女もしくは白飯課長が恋した乙女が望ましいと考えていた。だがしかし、白飯課長の女性関係が華々しいとわかった今、私の心の小説は全年齢対象から十八歳未満閲覧禁止のぶつになろうとしているのだ。
(なんてことだ……!)
この展開は予想だにしていなかった。
しかも、だ。私の白飯課長に対する興味は失せてしまった。心の小説最大の危機である。
(これは……対象をかえる時がきたのかもしれない)
心内で神妙に頷きながら、次なる対象を検討し始めた。ともすれば、かつてから注目していたキャベツさんと唐揚げくんに目が向くわけで。
とりあえずは一週間、二人を観察することにした。
月曜日。
仕事中、キャベツさんは唐揚げくんをちらりと見やる。今まで気づかなかったけれど、彼女の日課なのかもしれない。
昼食の時間、白飯課長が課に残ったいつものメンバーに飴を配った。一つずつ小分けされた飴玉。彼がそれを持っていることに意外性を感じる。
私はなんとなく、薄荷味を選択。結構人気のない味だから、残り物候補をとることにしたのだ。しかし、唐揚げくんも薄荷味を選んだ。キャベツさんは……薄荷味。唐揚げくんが選んだからだろうか。ちょっと健気すぎやしませんか。そして、白飯課長も薄荷味を口に含んだ。
(あれ? 人気がないと思ったんだけどなぁ……)
首を捻った。
火曜日。
仕事中、キャベツさんは唐揚げくんをちらりと見やる。……キャベツさんの日課、なのだろか。
昼食の時間、やはりいつものメンバーが課に残る。キャベツさんは全員分の飲み物を用意すると共に、手作り菓子を配った。今日のものも完成度が高い。おそらく、昨夜作ったものだろう。平日に菓子作りとは、なんて女子力が高いのだろうか。ラッピングもかわいらしい。
(……ん?)
白飯課長に違和感を覚える。――彼はもらった菓子を眺め、やけに嬉しそうだった。
水曜日。
仕事中、キャベツさんは唐揚げくんをちらりと見やる。間違いない。これはキャベツさんの日課だ。悟り、今後は気にしないようにしようと決める。
(……て、え? 白飯課長もキャベツさんをチラ見?)
思わず私の顔が引き攣ってしまった。嫌な予感。でも、それ以上におもしろい予感。つい、にやりと口尻をあげてしまった。
さて、いつもの昼食時間。今日も今日とていつものメンバー。で、今日なにかを配るのは唐揚げくんだった。こういうのは、結構暗黙の了解になってしまう。誰かがなにかを配ると、そのお礼もかねて、というやつで。かといって、くれた人にだけお礼になにか渡すのも他の人の目が気になるし、なにを返せばいいのかも迷う。だからこそ、同じくらいの値段のものを同じように全員に配る、という感じ。……つまり、明日は私か。
唐揚げくんが配ったのは、一口チョコレート。毎朝私が食べるものと同じメーカーだった。大好きなお菓子だから嬉しい。
キャベツさんは受け取るやいなや、花が綻ぶように笑んでいた。一瞬にして空気が春色になった気がする。白飯課長はどこかムッとしている。表面はにこやかではあるけれど、今まで彼を観察していた私を舐めたらいけない。
(あ、キャベツさん、食べずに飾った)
バレンタインチョコじゃないんだから、さっさと食べればいいのに、と思ってしまう私は女子力だけでなく、乙女度も足りないのかもしれない。要反省。
そんなこんなで、既に私のチョコレートは口の中。このほどよい甘さと口どけはやめられない、なんて考えながら夢心地に浸っていると、まだ傍にいた唐揚げくんが問うた。
「おいしい?」
私は正直に頷いた。すると、彼はもう一つチョコレートをくれた。いい人だ。
木曜日。
キャベツさん、唐揚げくんをチラ見。白飯課長、キャベツさんをチラ見。大変おいしゅう展開でございます。
昼食の時間、今日は私がお茶を淹れることにした。朝、出勤途中コンビニでスティックタイプの素シリーズを全種購入。紅茶とコーヒーは備え付けのものがあるからよしとして。生憎私は平日に手作り菓子という芸当はできないから、金にものをいわせてみた。
私は抹茶ラテ。キャベツさんはプラリネショコララテ。白飯課長はいわずもがな、キャベツさんと同じものを選択。ついからかいたくなって「ブラックコーヒーじゃなくていいんですか?」と小首を傾げて見せてみる。白飯課長は飲み物はブラックコーヒーなど、無糖ものを好む傾向にあるから。しかしそこは躱すのがうまい彼。
「朝飲んだからね」
そうサラリと笑みを返された。
最後に唐揚げくんになにがいいか尋ねると、「実物を見て決めようかな」と答えた。
……もしかしたら、白飯課長の気持ちに気づいているのかもしれない。悟った彼は、キャベツさんと白飯課長を二人きりにしようと思ったのかも……。危ない。これは危ない、キャベツさん。キャベツさんの気持ちに気づいている私にとってはなんとももどかしかった。が、茶を淹れると言い出したのは私。誰かにこの役目をかわってもらうわけにはいかない。
(すぐに戻れば大丈夫か)
逡巡してから、判じた私は小走りで給湯室へ向かった。
唐揚げくんは前言の通り実物を見るため、私についてきた。それぞれのフレーバーのスティックを眺めて彼が選んだのは抹茶ラテ。
飲み物が完成すると、唐揚げくんは二人分のマグカップを運んでくれた。白飯課長の分と、彼自身の分。
たまに、彼がキャベツさんの気持ちに気づいているのかわからなくなる。でも、関係者ではないから、訊くこともできない。とりあえず私は傍観だ。
でも、気が利く唐揚げくんは将来素敵な夫になりそうだ。キャベツさん、一押しです。
金曜日。
案の定、キャベツさんの視線は唐揚げくんへ。白飯課長の視線はキャベツさんへ。
今日は他部署の人が差入れにドーナツを持ってきてくれた。どれもプレーン味。なんて平等なんだろう。
昼食時間になると、私は自販機へと歩を進めた。ドーナツには牛乳。マイルールだ。
買った冷たい牛乳を持って、歩きながら考えるのは課の相関図。ここまでの復習をすれば、白飯課長はキャベツさんが好き。キャベツさんは唐揚げくんが好き。唐揚げくんは不明。私の心の小説がハッピーエンドを迎えるには、どの展開だろうか。
(白飯課長とキャベツさんの恋愛成就?)
そうすると、キャベツさんは失恋することになる。
(もしくは、キャベツさんと唐揚げくんの恋愛成就?)
となると、白飯課長は失恋する。
結局、誰かが失恋するのだ。
(思ったより複雑な関係だなぁ)
溜息を吐きながら課に戻る。そこには、ドーナツ箱に唐揚げくんと白飯課長、キャベツさんが群がっている。
(なんか、きゃっきゃうふふしてる)と思いつつ、ぼんやり眺めた。
みんな一方通行の恋。何これ、ちょっとおもしろい。でも、どこかもどかしい。いっそ唐揚げくんと白飯課長がキャベツさんに片思い、という展開なら、傍観者として抱く感情は違ったかもしれない。
でも、遊ぶ男と健気な女なら――私は健気なキャベツさんを応援しようと思う。
唐揚げくん、キャベツさん、白飯課長、と並ぶそこへ突進し、キャベツさんと白飯課長の間に割り込んだ。ついで、ドーナツを一つ取り出し、白飯課長に差し出す。
「はい、どうぞ」
満面の笑みで言えば、白飯課長は一瞬口を噤んだ。
「……ありがとう」
キャベツさんに取り入ろうとしても、そうは問屋が卸さない。私は今日からキャベツさんを応援することに決めた。勝手に決めた。そう決めた。
そして自分の分のドーナツをとり、席に戻ってかぶりつく。強い甘みをじっくりと味わい、その場に残ったキャベツさんと唐揚げくんをこっそり観察する。――と。
(え?)
唐揚げくんの視線はドーナツではなく、私に向けられていた。しかも、不機嫌そうな面持ちで。
気まずくなり、慌てて視線を逸らしてしまった。不自然だっただろうか。
とりあえず。
今後はキャベツさんをヒロイン、唐揚げくんをヒーローにした恋愛物語を書いていこうと思います。唐揚げくんはさっさとキャベツさんの同性も認める素晴らしさに気づいて、彼女を組み敷いてしまえばいいと思います。




