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千早(22)・前へ進む力



 流されてきた子供は、しばらく寝たり起きたりを繰り返していた。

 眠って、薄っすらと目を開けて、また気を失うように眠りに引き込まれていく。時々うわ言のような言葉は出るものの、それも本人が意識して口を動かしているわけではないから、ほとんどが聞き取れない。

 それ以外は、話すことはおろか、こちらが話しかける声も耳に入っていないのではないかというほど、夢と現の狭間を行ったり来たりするような、朦朧とした状態が続いていた。

 ……らしい。



          ***



「二日もそんなのが続いたもんだから、ひなちゃんなんて、もうこっちが見ていられないくらい身を絞るようにして心配しちゃってね。子供が病気になるのを見慣れてる八重さんが、『大丈夫だよ』って何度も言ったんだけど、ほとんど夜も眠らずつきっきりで看病してたわ」

「そういう時の交代要員として、お前がいるんじゃねえのか」

 十野の報告に、そう突っ込んだのは千船だ。

 土間のところで刀を研いでいる千早も、口には出さないが、その言葉に心から同意見だった。


 ちょこちょことひなと千船のところを往復している十野は、本人の話を聞く限り、ただの観察と報告と伝令の役にしか立っていない。


「だって、休んだら、って言っても聞く耳持たないんだもん」

 千船の枕元に座った十野は、唇を尖らせて反論している。十野は基本的にお節介だし、ひなにあまり体力のないことだって承知だから、さぞかし喧しく言っただろうことは察しがつく。それでも折れなかったということか。あれで、けっこう頑固なところがあるからなあ……と目線だけは手元の作業にやりながら、千早は内心でこっそり思った。

「大丈夫です、平気です、の一点張り。あの子にじっと見つめられて、『お願いですからやらせてください』なんて言われると、あたしも弱いのよね」

 確かにな、とひそかに納得してしまったのは、千早にも身に覚えがあるからだ。


 多分ひなは、他人の面倒を見るのならまずは最低限自分のことを考えるべきだということを、まだよく理解していない。

 あんなにもきっぱりと「もう無様なところは見せない」と言い切ったのだから、意地でも倒れたりはしないだろうが、それはそれでまた問題のような気がする。


「それに、ひなちゃん、おじさんのこともずっと気にしてるの。だからあたしが、代わるわ、って言うと、それだったら千船さまの様子を見に行っていただけませんか、と返ってくるわけよ。こちらに来られなくて申し訳ありませんと伝えて欲しい、ってホントに心苦しそうな顔してたわよ」

 実際、今日も、十野はひなに言われて、何度かこっちに顔を出したらしい。自分の家仕事の合間合間に、ひなの家に行って子供の様子を見ては、千船のところにも来ているのだから、十野なりにいろいろと忙しく動いてくれてはいるのだろう。しかし、今のように夜になってまで来る必要があるのかは、ちょっと疑問だ。

「まあ、俺のことは全然構わなくていいんだけどよ……」

 途中で言いよどみ、千船がぽりぽりと顎の髭を掻いたが、十野はお構いなしに一方的に喋り続けている。最初から、千船の反応や返事は、さして問題ではないらしい。


 声が一段階高くなり、そもそも決して小さくはない声が余計に家の中に響き渡る。うるさい。耳を塞ぐのを、千早は何とか我慢した。


「そんな調子だから、あの子が熱を出した時には、もう大変だったのよ。三左が薬草を持ってきてくれたからよかったようなものの、そうでなきゃ自分で山の中に採りに行きかねないくらいだったんだから。一日中、頭を冷やして、身体を拭いて、水を飲ませて、そりゃもう涙ぐましいほど献身的にやってんのよ。ねえ、聞いてる?!」

 十野の台詞は、尻上がりにどんどん高く大きくなっていく。その音量に、とうとう千船が耳に手を当てて、「こりゃ拷問だ……」と音を上げた。

「お前のその声は、人を一人殺せるくらいの威力があるぞ、十野」

「聞こえないようだから、聞こえるように言ってるのよ」

「はっきり言って、その声は本島にまで届くくらいだと思うんだが」

「そんなことはないでしょ、同じこの家の中にいる人間には聞こえてないみたいだし。まったくどうなってんのかしら。っていうか、聞いてるの、千早!」

 十野は、千船との会話を装って千早に対するあてこすりをすることに、いい加減じれったくなってきたらしい。もともと単純な性格だから、遠回りなことには向いていないのだ。

 土間に座り込んで黙々と刀を研いでいた千早のほうをくるりと向いて、今度は直接怒鳴ってきた。


 ずっと知らんぷりを続けていた千早も、さすがに手を止め、嫌々ながら顔を上げて十野と目を合わせた。


「……どうやったら、この距離で、お前のその騒々しいお喋りが聞こえないなんてことがあるんだよ」

 そんな便利な耳があるのなら、海の果てでもすぐに駆けつけて取りに行くところだ。

「じゃ、なんで返事をしないのよ?」

「お前が今、話し相手にしてたのは親父だろうが。なんで俺が返事をしないといけないんだ?」

 質問に対して質問で返したのは、別に逃げるためでも、嫌がらせのためでもなく、本気で十野の理不尽な言い分が疑問だったからなのに、十野はますます眦を吊り上げびしりと人差し指を千早に向かって突きたてた。


「じゃあ、今度はちゃんとあんたに向かって言うから、その耳かっぽじってよく聞きなさいよ! ひなちゃんはね、そんなにまで一生懸命、男の子の面倒を見てんのよ!」


「……へー」

「だから!」

 ばんっ、と十野が平手で思いきり床を叩いた。ぎしぎしと不吉な音がする。床板に穴が開いたら、自分で直して欲しい。

「あんたは一体、なにしてんのよ!」

 十野は、かなり心の底から怒っているようだった。しょっちゅう訳の判らない理由で怒る十野だが、今回ばかりは、どうして怒っているのか判らないこともないので、千早は黙って彼女を見返す。


「男の子を運んでから、あんた、一度も見に行ってないでしょう! ひなちゃんにあの子の世話を押しつけてそれっきり、ってどういうことよ! 本来だったら、あたしがいちいちおじさんにこんな報告をしてること自体がおかしいのよ、わかってんの、千早!」


「……うん」

 続けてまくし立てようとしていた十野は、千早があっさりと頷いたことに、明らかに拍子抜けしたらしい。心持ちつんのめるようにして、口を半ば開けたまま、声だけを喉のところで止めた。

「で、今は熱も下がって、落ち着いてるんだろ?」

「え……あ、う、うん。まだはっきりとは目が覚めないけど」

 口ごもりつつ答える十野の言葉に、そうか、と頷く。それなら、明日あたり、話が出来るかもしれない。

「悪かったな、十野」

 研いだ刀を鞘にしまい、改めて十野に向き直って謝ると、十野は非常に戸惑うような顔をした。幼馴染のそんな表情は珍しく、千早は可笑しくなって軽く噴き出してしまう。


「明日には、ちゃんと見に行くからよ」


 笑いながらはっきりと言うと、十野は口を閉じてちょっと黙り、それから安心したように「遅いのよ」と文句を言った。

 千早はそのまま、ちらりと父親のほうに視線をやる。

 親父にも近いうちにきちんと話をしねえとなあ、と思った途端、千船がにやりと笑った。

「俺も早く、ひなさんの声が聞きたいねえ」

「…………」

 ずっと家の中で寝ているだけのこの父親が、果たしてどこからどこまでを知っていて、判っているのか──それは、大いなる謎である。



          ***



 翌日、ひなの家の入り口の手前まで来たところで、莚の向こうから人の話し声が聞こえてくることに気づいた。

 一人はひなの声だ。

 まだそんなに馴染みのあるわけではないその声が、妙に心に沁みる。ほんの二日か三日、聞いていないだけなのに、随分と懐かしいような気がした。「千早さま」と彼女が自分の名を呼ぶ時の、優しい音色のような声が耳に甦って、胸のあたりがくすぐったい。

 あともう一人の声は、まったくはじめて聞く声だった。少し高めの子供独特の声は、けれど子供らしくないくらいにしっかりとして、落ち着いている。すると、これが流されてきた子供の声らしい。目を覚ましたのか。


「ひな」

 外から声だけをかけると、中の話し声がぴたりと止まった。


 張り詰めた緊張感だけが伝わってくる。けれどそれは一瞬のことで、すぐに「どうぞ、お入りください」というひなの返事が聞こえた。

 手で筵を押し上げて、足を一歩踏み出し、家の中に入る。

 そこでは、ひなと子供が囲炉裏を挟むように向かい合って座っていた。いちばんはじめに目に入ったのは、入り口の正面に座っていたひなの、固い表情だった。

 口許はぎゅっと結ばれたまま、それでも顔は、こちらに真っ直ぐ向けられている。

 目は瞬きもせず千早を見ていた。伏せそうになるのを、必死で堪えているようなのが見て取れる。動揺と狼狽を乗せないように、懸命に踏ん張っている。

 千早はその顔を、静かな気持ちで真っ向から見返した。怒りはまったく湧いてこなかった。


 ちょっと憎たらしいけど、いとしい瞳。


(悪いけど)

 と、心の中で呟く。

(……そんなんで、騙されてやる気にはなれねえよ)


 どうしたって、泣きそうな顔にしか見えないのに。


 同じようにこちらを向いた子供のほうが、よっぽど読めない表情をしていた。二太よりも少し年上くらいの年齢に見えるが、雰囲気は数段大人びている。理知的な光を湛えた目には、子供っぽい無邪気さがほとんどない。少しこけた頬が、痛々しさよりも鋭さを感じさせた。

 その両の手には、それぞれ箸と木の椀があった。よく見れば、囲炉裏にかかっている鍋の中では、粥だか重湯だかがぐつぐつと煮えているのが見える。そんな場合ではないのに、つい口をついて言葉が出てしまった。


「それ、ひなが作ったのか?」


 唐突な質問に、子供がきょとんとする。こういう表情をすると、年齢相応な子供の顔だった。

「……そうです」

 と答えたのは、ひなのほうだ。薄く頬を染めて、身構えるように見上げているのは、千早がまた魚のことを持ち出すのではないかと警戒しているのだろう。この件について、自分はひなに、かなり根に持たれているらしい。無理もないが。

「旨いか?」

 訊ねると、子供は少し当惑しながらも、こくりと頷いた。

 へえ……と、素直に感心した。


(ひなも、進歩してるんだな)


 不器用で要領も悪くて、ただしょんぼりと途方に暮れているだけだった、何も出来ない「お嬢さん」が。

 今ではこうして、ちゃんと子供の面倒を見られるまでになっている。

 そうだよな、だってあんなにも毎日頑張っていた。八重や周囲に教わりながら知って覚えたことを、自分自身の実にしていく、やる気も力もあった。ひなはそれだけの努力をしてきたんだ。

 時に困って、時に悩んで、少しずつ少しずつ、けれど着実に。

 時間は進んでいるのだ。ひなだけじゃない、人も、世の中も、どんどん進んで、変わっていく。

 そりゃそうだ、当たり前だ。

 それが、生きていくということなのだから。


 千早一人が、同じ場所で止まり続けているなんてこと、出来るわけがない。


「座っていいか?」

 千早が言うと、ひなが恥じ入るように慌てて立ち上がり、場所を開けてくれた。自分もひなも、ここは子供から事情を聞くのが最優先だということは判っている。 

「あの……わたしは、席を外して」

「ここにいろ」

 言いかけた言葉を遮るようにぴしゃりと命令した。これからもこの子供の面倒を見るというのなら、事の成り行きを知っておく義務があるはずだ。

 千早が向かい合うようにして座ると、男の子は大人しく持っていた箸と椀を床に置いた。食事も出来るようになったとはいえ、この小さな身体はまだ休息を必要としているだろう。なるべく手早く済ませないとな、と頭に刻んだ。


「俺は、この羽衣島の頭代理をしてる、千早だ」


 男の子は驚いたように目を見張った。代理とはいえ、こんな若い頭? という驚きにはうんざりするくらい慣れているから、千早はそれには構わない。

「お前の名前は?」

 問いかけた一瞬、子供の顔の上に、青白い色をした頼りない娘の顔がだぶって見えた。自分の名前も過去も判らず、一人ぼっちで流されてきた娘。


「……コハク」


 だから、その口からちゃんと名前が出たことに、かなり本心からほっとした。

「コハク、自分がどうして海に落ちたのか、覚えてるか?」

 その問いにも、こっくりと頷く。

 ひなとは違って、コハクの着ている着物は、この羽衣島に住む子供達が着ているものと大差ない。細いながらも筋肉のついた腕や足は、普段から労働に慣れた子供のそれだ。暮らしぶりも似たようなものなのだろうと知れた。


「……俺、ここからずっと離れた島に住んでた」


 ぽつりと落とすような言葉は、ほんの少し震えてはいるが、芯が通っている。コハクは見た目だけではなく、中身もしっかりしているようだった。

「小さな島で、住んでる人間だって多くない。全員で身を寄せ合って細々と暮らしてるような島だった。貧しかったし、毎日働いてばっかりだったけど、それでも島民みんなで仲良くやってた。助け合って、支え合って、つらいことがあったらみんなで笑い飛ばして……そんな、平和な島だった」

 だった、と言うたび、コハクの瞳はどんどん翳りを帯びていく。膝の上に置いた拳が、ぐっと力を込めて握られた。


「けど……ある日、海賊が」


 唇の端から低く漏れる声が苦しげに乱れた。まだ回復しきっていない身体のせいばかりではないようだ。

「海賊が、突然島に攻め込んできて、島のものをあるだけ奪っていった。米も、酒も、畑でとれた作物も、少しばかり蓄えた小金も、みんなみんな、根こそぎ力ずくで取り上げていった」

 コハクの後ろで話を聞いていたひなは色を失くして、言葉もない。昔から、そういう話を日常的に耳に入れている千早とは違って、こんな非道さはすぐに受け付けられるものではないだろう。

 千早だって、見知らぬ島とその住人たちを哀れだとは思う。思うが、同情するばかりではいられない。この戦乱の世では、いつ自分たちも同じ目に遭うか判らないのだから。


 踏みつけにされないようにするには、強くなるしかないのだ。


「──島は、どうなった?」

 静かに訊ねると、コハクは深くうな垂れて、ゆっくりと頭を横に振った。小さなつむじが、力なく揺れている。コハクが自分の生まれ育った島の名を口にしないのは、もうその場所が、故郷の地として存在し得なくなってしまったからなのだろう。

「もう……ダメだ。奴ら、島中の家に火をつけて、畑もすべて焼き払って行ったんだ。男たちや年寄りがたくさん殺された。子供も、生まれたばかりの赤ん坊まで。それから、女たちは」

 奴らに連れて行かれた──と、細い声が呻くように言った。

 それからまた顔を上げる。こちらに向けられたコハクの目には、真っ暗な闇がちらちらと見え隠れしていた。

 可哀想にな、とそれを見て、千早は思う。


 ……この齢で、こいつは「絶望」ってものを知ってしまったんだ。


「俺、死ぬまでずっと忘れない」

 抑揚のない声で、コハクは続けた。

「襲ってきた船には、真っ赤な布がついてた。人の血で染め上げたみたいな、色だった」

 ひながはっとしたような顔をして、千早を見た。





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