【4】
「――ってことで、祓われずには済んだけど、女磨きをすることになりまして……」
明け方。昇る太陽を眺めながら民家の屋根に座り、瑠衣はお兄さんに報告をした。
「へえ、よかったじゃない! いい機会だから、素敵な女の子になるといいよ。応援してる」
お兄さんはその報告を好意的に受け入れて、笑顔でそう言ってくれた。
「ドゥフフ……そう言ってもらえるとうれしいです……けど、その教官がちょっとアレで……」
「アレ?」
口ごもる瑠衣に、お兄さんが首をかしげる。瑠衣は握りこぶしでお兄さんに食って掛かった。
「すっっっっっっっっごいイケメンなんですけど、すっっっっっっっごい乱暴者なんです! 口は悪いし、優しくないし……うう、きっと私、またいじめられるんだ……」
「おおう、それはそれは……けど、僕らみたいな死者の声をちゃんと聞いて、未練をなくして成仏させてくれるなんて、いいひとだと思うんだけどな。普通霊法に違反したら即刻祓われてもおかしくないのに」
「アレが『イイヒト』ですって!? デリカシーのカケラもない修造もどきのスパルタ教官ですよ!? きっとあのきれいな顔の下で私のこと笑ってるんだ……!」
「まあまあ。すぐ卑屈になるのは瑠衣ちゃんの悪い癖だよ。もっと自信持って。大丈夫、きっと理想の女の子になれるよ。瑠衣ちゃんは悪い子じゃないんだから、僕が保証する」
「うう……不安すぎる……!」
「あ、ほら、あれが『鬼教官』じゃない?」
お兄さんが民家の下を指さした。つられて視線を向けると、そこには腕を組んでむっつりとこちらを睨み上げる密と、ひらひらと笑顔で手を振るデス子さんの姿があった。
「とっとと降りてこい! 時間は待っちゃくれねえぞ!」
生前動画サイトで見たネイビーシールズの訓練映像を思い出してげんなりする。
「ほら、行っておいで。帰ってきたときのことを楽しみにしてるから」
お兄さんに送り出されて、瑠衣は渋々地上へ降り立った。
「遅い! 言われたらとっとと動け! ノロマ!」
「まあまあ、朝からそんなんじゃ先が思いやられるわよ。ってことで、おはよう、瑠衣」
「……おはようございます」
「声が小さい!」
「お、おはようございまぁす!」
密に怒鳴られて、何とか声を絞り出した。
「挨拶くらいマトモにできるようになれ。いいな?」
「はい……」
うつむく瑠衣の目の前に、ぽいっと何かが投げ出される。よくよく見れば、それは華奢な赤いパンプスだった。控えめな花飾りがついている、まず自分では選ばないような一足。
「あの、これは……?」
拷問具ではないかと恐る恐る尋ねると、密は不機嫌そうな顔で答えてくれた。
「お前の霊体を地面に固定するための靴だ。浮いてばっかりじゃ幽霊になった癖が抜けないし、地脈の霊気を吸ったほうが効果が上がる。何より、お前はすぐ逃げ出しそうだしな。レッスン中は常にこれを履いてろ」
地脈とやらがよくわからなかったが、これを履けばあら不思議、すぐに素敵な女の子になれるらしい。瑠衣は元履いていた靴を脱ぎ捨てて、言われるがままパンプスに履き替えた。ふわふわしていたからだが地面に結び付けられる感覚がわかった。
「……『いい靴を履きなさい。いい靴は履き主をいい場所へ連れて行ってくれる』」
「へ?」
ぼそりとつぶやいた密の言葉に、瑠衣は首を傾げる。聞かれるとは思わなかったのか、密は少し頬を赤らめて乱暴な口調で付け加えた。
「イタリアのことわざだよ! そんくらい知っとけバーカ!」
「ふふ、この靴ね、密が選んで買ったのよ。密から瑠衣へ、最初のプレゼントってわけね」
「よ、余計なこと言うなデス子!」
デス子さんを睨む密を見やり、へえ、と瑠衣は目を丸くした。このデリカシーのない鬼教官が、こんなかわいい靴を。『いい場所』へ瑠衣を連れていくために。
次に湧き上がってきたのは、なんだかくすぐったい笑みだった。口元がむずむずしてつい笑ってしまってから、あ、また怒られる!と笑みを引っ込める。
しかし、密はその笑みを見て怒鳴るようなこともなく、どころか少し機嫌よさそうににやりと笑った。
「そうだ。そういう笑顔でいろよ。どんなやつでも、笑顔が一番魅力的だ」
それだけ言ってくるりと踵を返す。ひとりで勝手にどんどん先へ行ってしまうので、急いで追いかけた。履慣れない靴ではなかなか歩調が整わず、たまに転びそうになったりする。
「ちょっ、どこ行くんですか……? あの、早速足が痛いんですけど……?」
「こんな往来でレッスンなんてできるか。落ち着ける場所だ。靴は履いてるうちに慣れる。ってか、慣れろ」
「ふひぃ、そんなぁ……!」
ひょこひょこ、生まれたての小鹿のような足取りで半泣きになりながらも、なんとか後についていく。浮かぶ大鎌に魔女のように腰かけて進めるデス子さんがうらやましくなった。だいぶん距離が開いてしまって、額に脂汗がにじむ。
このまま置いて行ってくれないかな……と思っていると、前を歩いていた密が立ち止まり、じっとこっちを見つめてくる。特に怒られもしないので、その間に開いた距離をがんばって歩いた。瑠衣が二人のところまでたどり着くと、また歩き出す密。
その繰り返しを何度かしているうちに、あれ、これって待ってくれてるのかな……?と気づき始める。どうやら密なりの不器用な気遣いらしい。意外な一面に驚きつつも、ひいひい言いながら歩いていると、次第に辺りに木々が目立ち始めた。木々はやがて森になり、やがてその突き当りに古びた洋館が見えてくる。
「ついたぞ」
端的に言って、密が洋館の鉄扉を開く。玄関まで続くアプローチをずんずん歩いて行った。
「あの……! ここ! どこ!?」
「俺んち」
ここが? こんな年季の入った豪奢な洋館に住んでいるなんて、密はもしかしたら本物の王子様なのではないだろうか? と頭の中で考える。
玄関を開くと、そこは古い洋画のセットのようなシャンデリアに赤じゅうたんのロビーになっていた。ほへー、と間抜け面をさらしながら、高そうな絵画や壺が飾られた廊下を行く。時折メイドらしき姿のひとたちが密に礼を送っていた。
広い屋敷の一室の扉を開く。そこは窓のない、大きな姿見と革張りのソファ、たくさんの衣装が並ぶ、衣裳部屋らしき一室だった。ただし、ところどころに呪符のようなものが張られていて、床には魔法陣が描かれている。
「今日からここでレッスンを受けてもらう」
ようやく振り返った密がそう宣言した。
「まずは現状確認だ。おい、そこの鏡の前に立ってみろ」
「鏡、って言ったって、私幽霊だから映らな……」
「いいから!」
密の声にせかされて、わかりましたよぅ! と渋々鏡の前に立つ。
「あ、あれ……?」
そこには、生前と変わらない瑠衣の姿が映っていた。
小太りの冴えない体躯に、あか抜けない着こなしの制服。だらしなく伸ばした黒髪の隙間からは死んだ魚のようなシジミ目がのぞいており、荒れた肌の上にはどどんと豚鼻が乗っている。可憐な靴だけが悪目立ちしていた。
改めて見ると相当にひどい。現実を突きつけられた瑠衣はつい泣きそうになった。
「おら、泣くな。これが今のお前の出発点だ。現実を受け入れろ」
「だって……こんなの、あんまりだよ……」
「泣いてる暇があったらスタート地点に立て。いいか、今のお前はたしかにブスだ。どうしようもないくらいブスだ。おまけにバカで卑屈で臆病者だ。さらに言えば根性なしのヘタレ豆腐メンタルだ」
「……ひどい……そこまで言わなくても……」
「現実を受け入れろって言ってんだろ……そんなお前が、ここから変わるんだ。変われるんだ。どんな女にだってなれる。お前、どんな女になりたい?」
「どんな、って……」
言われても、想像がつかない。長く染みついたモテないブス根性がその想像の翼を手折る。自分はどこにも行けない、なににもなれない、どうすることもできない。そんな無力感が長年積み重なっていて、どうやっても『理想像』にたどり着けなかった。
うんうんうなった末に絞り出した答えは、あまりにも漠然としすぎていて、荒唐無稽で、口にするのがはばかられるものだった。
しかし、考え抜いた末に出した答えだ、小さな、小さな声で何とか口にした。
「……ような、女の子」
「あ?」
聞こえなかったらしい密が不機嫌そうにすごむ。
ここで逃げては、自分はずっとダメなままだ。ありったけの勇気を振り絞って、瑠衣は密の碧眼をまっすぐに見つめて告げた。
「あなたを、ぎゃふんと言わせるような、女の子」
「…………は?」
珍しくきょとんとした顔をする密に、瑠衣はもじもじと居心地悪そうにしていた。
静寂ののち、まず聞こえたのはデス子さんの笑い声だった。
「ふっ、あはははははは! やるじゃない瑠衣、今の密の顔見た? お見事、一本よ!」
「うっ、うるさい!」
「だって……あははははは! おっかしい!」
腹を抱えて笑うデス子さんに怒りの声を上げる密だったが、どうやら彼女相手には効果が薄いらしい。デス子さんはひとしきり笑ってから、ぽんぽんと瑠衣の肩をたたいた。
「素敵じゃない。密をぎゃふんと言わせるほどの、いい女。やってやりましょうよ。きっとできるわ」
「そ、そうですかね……? なんか自信ないんですけど……」
「……俺相手にそんな大それた啖呵切ったんだ、『やれない』とは言わせねえぞ」
ふてくされたような顔で瑠衣を睨みつける密は、しかしその目標を笑ったりはしなかった。
代わりに、びし、と人差し指を突き付けて居丈高に言い放つ。
「いいだろう、俺をぎゃふんと言わせてみろ。それがお前の目標だ。相当キツいから、覚悟しとけよ」
「うひっ……精進します……」




