【21】
屋敷に戻るころにはすっかり日が昇っていて、衣裳部屋では密、清覧、デス子さんが瑠衣の帰りを待っていてくれた。
「……未練は晴れたか?」
密の問いかけに、瑠衣はこくりとうなずく。
その瞬間、張り詰めていたものが一気に崩壊して、ぼろぼろと涙がこぼれてきた。涙はあとからあとから枯れることなく流れ続けて、顔がくしゃくしゃになる。
「……ふっ、うえええ……!……フラれちゃったよ……!」
必死に涙をぬぐいながらも大泣きする瑠衣を、密はそっと抱きしめてくれた。あたたかい強さがからだを包み込む。
「……よくやった」
「わっ、わたし……!……ちゃんと失恋できたよ……!けどっ、けど……うえええ……!」
「……泣くなよ」
「うっ、うう……!だって、だって……!」
泣きじゃくる瑠衣をあやすように背中をなでながら、密はぽつりとつぶやいた。
「……俺にしとけよ」
「……へ?」
間抜けな声を漏らす瑠衣にいらついたように密は声を荒らげる。
「だーかーらー! そんなやつのこと忘れて、俺にしとけって言ってんだよ!」
「えっ、ちょっ、」
「俺はイイ男だろ! そんでお前はイイ女だ! すげえイイ女だ! この俺が認めてんだよ!……そのっ!」
勢いよく言い募っていた密だったが、そのまま言いよどんでしまう。瑠衣が泣きながら言葉を待っていると、密は顔を真っ赤にして怒鳴った。
「……好きなんだよ! 好きになっちまったんだよ、お前のこと! わかれ、この鈍感女!」
これは告白……なのだろうか?
だとしたら、密もまた勇気を振り絞って思いを伝えてくれたということだ。
あんな風に自分を蔑んでいた密が。
はっとして顔を上げた瑠衣を、密の碧眼が見つめている。目をそらせないほど、その目は真剣な色をしていた。
棒を飲んだような顔をしていた瑠衣も、次第に表情をやわらげる。
「……私も」
涙でぐしゃぐしゃになった顔で精いっぱい笑いながら、瑠衣はその告白に応えた。
「私も、密のこと、大好きだよ」
「……そうか」
思いを通じ合わせて、密はため息のような吐息をこぼした。なにか言うよりも先に、抱きしめる腕にちからを込める。痛いくらいに抱きしめられて、瑠衣もまた密の背中に手を回す。
「大好きだよ、密……愛してる」
「……俺もだ」
しばらくの間、ふたりは言葉もなく抱き合っていた。同じ気持ちでいることがわかったら、あとはなにも言わなくても満足だった。ただただ、互いの体温に耽溺する。
いとしい、いとしい。
このいとしさと同じくらいのいとしさを、密も感じてくれているのだろうか?
だとしたら、もう思い残すことはない。
――そう思った瞬間、瑠衣のからだは足元から光の粒子に包まれていった。
「……ずっといっしょにいたかったけど、もう時間みたい」
さみしそうに笑いながら、瑠衣は終わりのときが来るのを実感していた。
未練を解消した幽霊は成仏する。
最初からわかっていたことだ。
「……ああ、それでいい」
密も引き留めるようなことはしない。少し腕の力を緩めて、腕の中の瑠衣の顔にじっと見入った。
足元から立ち上る光の粒子が全身を包み込んでいく。
「私のこと、忘れないでね」
せめて最後は笑顔でわかれたかった。密もまた、やさしく微笑んで、
「忘れるもんか。俺が惚れた女だ」
「ふへへ、うれし……」
自分が消えても、ずっと彼の中に記憶として生きていく。それだけで充分だった。
全身を包み込む光がまぶしくて、目を細める。意識がだんだんとぼやけていく。
「……さよならは言わないよ。またどこか同じ空の下に生まれたときは、そのときは、私を見つけてね」
「きっと見つける。だから、安心して逝ってこい」
「うん……ありがとう、密」
「好きだ、瑠衣……どうか、良い旅路を」
その言葉に答えないまま、膨大な光の渦に巻き込まれて、瑠衣は笑顔を浮かべた。
ようやく、終わる。
これで、ようやく…………
…………しかし、いつまでたっても瑠衣の姿は消失しなかった。
それどころか、光の粒子はだんだんと勢いを失っていき、やがて消える。
「えっ? えっ? なんで??」
ひととしての形を保ったままの瑠衣は、盛大に疑問符を浮かべながら自分のからだを見下ろした。消えるどころか、以前よりくっきりしているような気さえする。
「どういうことだ?」
密も想定外だったらしく、腕をほどくことすら忘れて瑠衣をあちこち見回している。
「はいはーい、説明しまーす」
そこへ、事の成り行きを見守っていたデス子さんが挙手した。どこか面白そうにしている。
「説明しろ!」
「だから今からするっていうの。いいこと? 瑠衣はあのバケモノに食われて消えかけてたとき、密の霊力を分け与えられたわよね?」
「だからなんだ!?」
「落ち着きなさいって。分け与えられたのが少しだったらまだよかったんだけどね、消えかけた幽霊が再生するくらいの霊力よ。今の瑠衣のからだは、ほとんどが密の霊力で構成されてる状態ね。それで、ひとつ聞くけど、生者の霊力でできた幽霊がすんなり成仏できると思う?」
「……あ」
瑠衣の口から間抜けな声が出た。密も理解したのか、苦虫を嚙み潰したような顔をする。
「そういうこと。瑠衣は密の霊力をもらいすぎたの。これじゃ成仏もなにもできないわ。だからあのとき、『霊法上まずい』って言おうとしたんだけど、聞かないんだもの。本来なら、生者の霊力を死者に、それも大量に貸与するなんて霊法違反なのに……まあ、見逃した私も私だけど」
「じゃ、じゃあ、私、未練なくなったけど、成仏は……?」
おそるおそる聞く瑠衣に、デス子さんはきれいな笑顔で答えた。
「できないわね、当分」
「ええええええ!?」
素っ頓狂な声を上げて、それから瑠衣は逝き際?に言ったことを思い出して赤面してしまった。顔から火が出そうとはこのことだ。好きだ、とか、忘れないで、とか……ほかにもくっさいことを山ほど言ったような気がする……
それは密も同じだったようで、すぐに腕をほどいて離れていった。代わりに瑠衣に負けないくらい真っ赤な顔でデス子さんに詰め寄る。
「……なんでそんな大事なこと、今まで黙ってた……!?」
今にも噛みつかれそうな雰囲気だというのに、デス子さんは至って涼し気な顔をして答えた。
「だって、切羽詰まらないとあなたたち、素直に気持ちを伝えられなかったでしょ?」
「それは……!」
「後押ししてあげたんだから、むしろ感謝してほしいくらいだわ」
「ひーそか!」
ぷるぷる震える密の後ろから、清覧が肩を抱く。すごくにやにやしている。
「なになにー? そんなに好きだったんだ、瑠衣ちゃんのことー? なんだっけ、『好きになっちまったんだよ、お前のこと!』だっけ?」
「くっ……お前……!」
愉快そうに茶化す清覧を、密は射殺しそうな目で睨んでいる。しかしなにも言い返せず拳を握りしめているばかりだ。
「あ、あの……じゃあ、私これからどうしたら……?」
おずおずと尋ねる瑠衣に、デス子さんはうーんとうなって、
「そうねえ、しばらくは密の使い魔って扱いになるわね。よかったじゃない、好きなひとといっしょにいられて。愛してるんでしょ?」
「あああああああああ言わないでええええええええ!!」
自分の口から出た言葉を反復されて、こっぱずかしすぎて手で顔を覆ってその場に崩れ落ちる。
室内は阿鼻叫喚の地獄絵図だ。
「なーなー密ー、これって初恋ー?」
しつこく密を茶化す清覧に、
「うるさい黙れ口を閉じろ息の根止めるぞ!!」
赤い顔をして殺気立っている密に、
「あああああ私は、私はなんてことをおおおおおおいっそ殺してえええええ!!」
恥ずかしさでのたうち回っている瑠衣。
ただひとり、デス子さんだけが呆れたような笑顔でため息をついた。
「……まあ、結果オーライ、一件落着、ってことで」
つぶやき、さて、この事態を一体どうやって収束させようかと思案する。
しばらくの間、この騒ぎは続きそうだった。
それもまた一興、と微笑んで、デス子さんは騒乱の坩堝をにこにこと見守っていた。




