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20/22

【20】

 バケモノを退けてから数日。よくよく休息を取った密はすっかり回復していた。

 瑠衣も始めのうちはキスしちゃったよ……と意識しすぎてぎくしゃくしていたが、普段通りの密のふるまいに、考えすぎか、と次第にわだかまりをなくしていった。

 すべてが終わって、そして。

 やるべきことは、まだひとつ残っていた。

「……よし」

 ある夜、瑠衣はいつか密が選んでくれた若草色のスカートを身に着けて姿見を覗き込んだ。

 容姿のことでさげすまれていたときとはまるで別人だ。

 可憐で清楚。理想の女の子。

 今なら、自信を持って最後の試練に挑める気がする。

「……行くんだな」

 衣裳部屋のソファに座った密が静かに問いかける。

 瑠衣は言葉もなくうなずくと、密が贈ってくれた靴を履いた。

 そして、決意を胸に衣裳部屋の扉を開く。

「ねえ、密」

 出ていく寸前、瑠衣は密に語り掛ける。

「……私は、密がぎゃふんと言うような女の子になれたかな?」

 問いかけには、沈黙が返ってきた。密は怒っているような難しい顔をして腕を組んで瞑目している。

「密?」

「……ぎゃふん」

「へ?」

「ぎゃふん! ぎゃふん!! ああもう、これでいいだろ! お前はイイ女だ、とっととケリつけてこい!」

 密なりの精いっぱいの白旗に、瑠衣はくすりと笑った。

「いってきます!」

「おう、いってこい」

 そうして、スカートのすそを翻して部屋を出ていく。

 街を歩いて、やがて一軒の民家の前にたどり着いた。田井中君の家だ。幽霊なのでその気になれば扉はすり抜けられる。玄関の扉を通り抜けて、屋内に足を踏み入れた。

 幽霊とはいえ不法侵入というのは気が引けるもので、自然と忍び足になる。階段を上り、田井中君の部屋の扉をすり抜けた。

 真っ暗な部屋の中、田井中君はベッドで眠っていた。室内は几帳面に整えられており、生真面目で誠実な彼のひととなりを表しているようだった。

 瑠衣はそろそろと枕元に歩み寄り、田井中君が目覚めるのを待つ。

「……う、んー……」

 何度も寝返りを打つ田井中君が、やがてうっすらと目を開けた。寝ぼけているのか、なかなか瑠衣に焦点が合わない。

「……え……?」

 それでもやがて瑠衣の姿を認め、田井中君は目を見開いた。

「……誰、だ?」

「蜷川瑠衣だよ。こんな時間にごめんね、田井中君」

「……蜷川……?」

 よもや忘れられていないだろうかと心配していたが、田井中君はその名前をきちんと覚えているようだった。ただ、姿と名前が一致しないだけで。

「蜷川って、あの蜷川か……?」

「そう、田井中君に告白しようとしてトラックに轢かれて死んじゃった蜷川瑠衣。今は幽霊やってるの」

「幽霊?」

 一瞬、田井中君の瞳の中に恐れの色が差し込む。それはそうだろう、普通に接してくれる密や清覧の方が異端なのだ。普通のひとは幽霊と聞いたら怖がって当然だ。

 しかし、田井中君はその恐れの色を引っ込めた。布団から出ると、ベッドに腰かけて瑠衣と向き合う。

「……これ、夢か?」

「夢だと思ってくれていいよ」

「……そうか……」

 そうつぶやくと、田井中君はしばらく黙り込んだ。瑠衣はなにも言わないまま次の言葉を待つ。

「……あのときは、本当に悪かった。あんなことになるとは思わなくて……せっかく勇気出して告白しようとしてくれたのにな。あのときの野球部の連中とはもう疎遠になったよ。正直、友達付き合いしていく自信がなかったから……本当に、ごめんな」

「ううん、気にしてないよ。そのおかげでこうしていられるんだもん」

「けど、幽霊になるってことは未練?があったんだろ。多分、俺に関して」

「……そうだね」

「……恨んでるんだろ?」

 悲しそうに問いかける田井中君に、瑠衣は勢いよく首を横に振った。

「そんな! 恨んでなんかいないよ! 田井中君はなにも悪くないもん! これはその、私の問題で……」

 途端に歯切れが悪くなる。田井中君を前にするとブスだったころの自分を思い出して、今ひとつ勇気が出ない。

 けど、言わなくてはいけない。未練を断ち切るためにも、自分の中でケリをつけるためにも。

「……私、田井中君にちゃんと告白できなかったのがすごく心残りだったんだ。告白のひとつも満足にできないのか、ってすごくみじめだった。けど、いろいろあって自分が誇れる自分になって帰ってきた。だから、もう一回告白させて?」

 瑠衣のお願いに、田井中君は目を丸くした。それから、

「……わかった」

 真剣なまなざしでうなずく。

 瑠衣は大きく息を吸い込んで、そして一息に言ってしまった。

「田井中君、私はあなたが、好きでした」

 死んでからずっと言いたかったことを、とうとう告げることができた。それだけで、瑠衣の胸は達成感でいっぱいになった。

 田井中君はしばらく黙ってから、やがて口を開く。

「……蜷川、すごくきれいになったよな」

「そっ、そうかな!?」

「うん。見違えた。それに、なんか雰囲気まで明るくなった」

 ほかならぬ田井中君にそう言われて、瑠衣は自然、笑顔になった。

 その表情を見て、田井中君は苦笑する。

「誰かの影響なのか?」

「それは……」

「いや、いいんだ。さっきの告白だって過去形だったし、今は他に好きなやつがいるんだろ?」

「うう……!」

 ずばり指摘されて浮かんだのは、密の姿だった。なにも言い返せない。

 赤くなっている瑠衣を見て、田井中君はやさしく微笑んだ。

「よっぽどいい男なんだろうなあ……けど、告白は告白だ。せっかく勇気出して言ってくれたんだ、俺もちゃんと答えないとな」

 もう終わってしまった恋だというのに、田井中君はどこまでも誠実だった。笑みを引っ込め、真剣な顔で瑠衣を見つめる。

「……ごめん、俺は蜷川の気持ちには応えられない。なにも蜷川がかわいくないから、性格が良くないから、ってわけじゃない。実は俺、高二のころからマネージャーと付き合ってたんだ。周りにはないしょにしてたけどな。今も恋人同士だ。正直、他の女の子のことは考えられない。だから……蜷川の思いは、ありがたいけど受け取れない」

「……そっか」

 あれほど待ち望んでいた正式な失恋は、ひどくあっさりとしたものだった。しかし、瑠衣のこころは晴れやかだった。ずっとわだかまっていた心残りが消えた。いわば瑠衣のコンプレックスの根っこだった体験は、とてもやさしい言葉とともに解消された。

 もう告白すらマトモにできない臆病な女の子ではない。

 きちんと思いを告げて、きちんと失恋できた。

 最後の心残りがなくなる。

「……それに、蜷川にはもう、別の好きなひとができたんだろ? 俺に惚れてるよりよっぽどいい。今の蜷川なら、きっとその恋叶えられるよ」

「だといいんだけどね」

 苦笑して、瑠衣は言った。

「俺は蜷川の気持ちには応えられないけど、蜷川が死んでからしあわせになってくれるなら、あのときの俺の心残りも消えるってもんだ……俺も、ずっと蜷川の告白ちゃんと断れなかったこと、後悔してたんだ」

「田井中君……」

 やっぱり、田井中君は誠実でやさしいひとだ。つんと鼻の奥が痛むのをこらえて、瑠衣は微笑んだ。

「私、田井中君を好きになってよかった」

 そう言って、瑠衣はきびすを返す。来たときと同様扉をすり抜けて去ろうとする、その間際。

「蜷川!」

 田井中君に呼び止められて振り返る。彼は少しさみしそうな笑顔で瑠衣を見つめていた。

「……ありがとな。うれしかった。どうか、しあわせに」

 祈るような言葉とともに、瑠衣を見送る田井中君。瑠衣は小さく笑って手を振った。

「こちらこそ、ありがとう……さよなら、田井中君」

 そう、心残りのなくなった今、瑠衣はこれから成仏することになる。田井中君ともお別れだ。

 手を振り返す田井中君を残して、瑠衣は部屋を後にした。きっと彼は夢だと思うだろう。けど、それでもいい。


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