【19】
気が付いたら飛び出していた。牙が密に食らいつく直前、そのからだを突き飛ばすと、入れ替わるようにしてバケモノと相対する。
そして、そのままバケモノの口の中へと飛び込んでいった。
『あとひとり分くらいの霊力』があれば、こいつを追いつめられる。当初狙っていたパンク作戦を成功させられる。最後のひと勝負だ。
不思議と怖くはなかった。たとえ自分の目論見が失敗したとしても、密ならなんとかしてくれると信じていた。
バケモノの『中』は暗く、生臭く、ぬるかった。すぐさま瑠衣という輪郭は消失し、ちからが抜けていく。ふっと消えてしまう、その寸前。
「……グッ……! あああああああァ!!」
瑠衣を吸収したバケモノが苦悶の声を上げる。腹を抑えてよろめくと、その場にひざまずいて、
「……ゲ、グハァァァァァ!!」
悲鳴を上げながらきらきらしたものを嘔吐し始める。
過剰な霊力吸収によるオーバーフロー。瑠衣は捨て身の賭けに勝ったのだ。
バケモノはひとしきり吸収した霊力を吐き出すと、ふらりとその場に立ち上がった。バケモノ自身の霊力も放出してしまったらしく、そのからだの輪郭は陽炎のように揺らめいて形を保ってもいられないようだ。
「……やって、くれた、なァ……!……あァ、もうカスみてェな霊力しかァ、残ってねェじゃねえかァ……!」
憎々しげな顔をして、バケモノは自分の巨大な手を見つめた。ぐねぐねと不定形に歪み、今にも崩れ落ちそうだ。
バケモノはふらりと後退すると、フェンスの破れた部分までなんとかたどり着いた。
「……けど、やっぱうまかったなァ……今度は、こんな形じゃなくてェ、しっかりハラ減らして食いに来てやるよゥ……!」
「待ちなさい!」
隣のビルで待機していたデス子さんが声を上げるのと、フェンスの穴からバケモノがからだを投げ出すのは同時だった。落下して逃げるとは思っていなかった。ビルのはざまに消えていくバケモノは、これくらいでは死なないだろう。まんまと逃げおおせられて、デス子さんはらしくもなく舌打ちをした。
あとにはただ、何事もなかったかのような静寂が残った。
「……瑠衣……」
倒れ伏した密は、呆然とバケモノが残していった霊力の残滓に手を伸ばす。
伸ばした手の先で、ふときらめきが揺らいだ。
それは次第に横たわる瑠衣の形を取り始め、やがて瑠衣は意識と輪郭を取り戻した。
「瑠衣!」
叫びながら這いずる密に向けて目をうっすらと開き、瑠衣は小さく笑う。
「……へへ、密、大丈夫……?……あいつ、やっつけられた……?」
しかし、その声や姿にはノイズのようなものが走り、今にも瑠衣の姿はかき消されてしまいそうだ。
密の表情に悲痛なものが走る。
「……ああ、なんとかな」
「……ふへへ、よかった……」
つぶやく瑠衣はひどく眠そうで、目をつむるとすぐそこに闇があった。
「……あれ、私……このまま、消えちゃうのかな……?」
漠然と、自分という概念が崩れていく感覚があった。そうしているうちにもノイズは大きくなり、瑠衣を消し去ろうとする。
密はなにかをこらえるようにぐっと歯噛みすると、決意を秘めた眼差しで消えゆく瑠衣を見つめた。
「……消えさせねえよ」
「……けど……もう……」
「俺が消えるなって言ってんだ、消えるな!!」
怒鳴り散らされて、びくっとする。その間に、密は横たわる瑠衣に覆いかぶさるような格好になった。
顔が近い。まつげの数さえ数えられそうだ、とぼんやり思う。
「俺が許さない限り、お前は消えない。そんなの、絶対に許さない……!」
「密! それは霊法上……!」
デス子さんが止める間もなく、密は瑠衣のくちびるにキスをした。
そのあたたかさとやわらかさを遠く感じながら、次第にからだに活力が巡っていくのを感じる。
長いキスだった。
やがて瑠衣のからだを覆っていたノイズが途切れ途切れになり、消える。
くちびるを離した密は、間近で心配そうに瑠衣を見つめながら問いかけた。
「……俺がわかるか?」
「……わかるよ、密……って、あれ? 今、なんか、すごいことを、した、ような、気が、するんです、けど!?!?」
急に現実に引き戻されてあたふたする瑠衣のからだの上に、ずしりと倒れ込む密。はは、とちからのない笑い声が耳元で聞こえる。
「……すごかねえよ……お前に、比べたら……」
「いや、だって、キ、キキキキキ、キス、とか……!!」
「……これくらいでうろたえんな、バカ……残ってた俺の霊力を分け与えただけだ……人工呼吸みたいなもんだろ……」
「うぐぐ……!」
そう言われてしまったら、うろたえている方がカッコ悪い気がする。口をつぐむ瑠衣に折り重なるように倒れ込んだ密が動かなくなる。
「密?」
「……俺の霊力も種切れだ……あと、たの、む……」
そう言って意識を失う密。慌てた瑠衣はがくがくと気を失った密の肩を揺さぶる。
「ちょっ、密!? 密ー!!」
答えはなかった。すぐさま駆け寄ってきたデス子さんと清覧が密のからだを抱き起す。
死んではいないようで、浅い呼吸をしていた。
「まったく、無茶苦茶してくれちゃって……!」
なかば怒り交じり、呆れ交じりのデス子さんと、
「うっわ、役得してくれちゃって……!」
にやにや笑う清覧が、それぞれ両脇から密を抱え、瑠衣だけがおろおろと落ち着かない。
「大丈夫だよね!? 密大丈夫だよね!?」
「死にかけてはいるけど、まあ大丈夫よ。屋敷へ運ばなきゃ」
あきらめたような顔で大きくため息をつくデス子さんの言葉に、瑠衣の顔色も明るくなる。
ふたりに引きずられるようにして、密は非常階段へと運ばれていった。
大勝負の余韻も残さないコンクリートの屋上には、ただ静かに夜風が吹き流れている。
やがて夜が明け――




