【18】
三日後、密は宣言通り全回復していた。
瑠衣は言われた通り三日間を結界の中で過ごし、もやもやした気分のまま『計画』決行の夜を迎えた。
深夜、今は使われていないビルの屋上。ひび割れたコンクリートには雑草がまばらに生えている。屋上を囲っているのはさび付いた頼りないフェンスだけだ。
立っているのは瑠衣、密、清覧。清覧はいつもと違ってお寺の袈裟を着ており、首には幾重にも長い数珠が巻かれている。
「いいか、すべて手はず通りに」
「おけまるー。任しといて」
「わ、私はおとなしくしとけばいいんだよね……?」
「お前は釣り餌だからな、なにもしなくていい」
きっぱりと言われて、瑠衣は思わずたじろいだ。自分の無力さを痛感する。こんなとき、なにかできたらいいのに、自分はまた守られてばかりだ。
「……そろそろか」
密がつぶやいて、遠くの空に目をすがめた。
同じころ、その方向ではバケモノが民家やビルの屋根の上を飛び駆けていた。夜を跳躍し、着地しては走る。その後ろを追い立てるのは巨大な鎌。空を飛ぶデス子さんが、猟犬のようにバケモノを追いかけまわしていた。
「チッ……餌の気配が結界から出たと思ったらァ、これかよゥ……!」
地獄の生物として、死神の恐ろしさは知っているらしい。時折振り下ろされる鎌をかわしながら、また大きく跳ぶバケモノ。
「おあいにくさま、今夜の獲物はあなたよ……!」
紅を引いた赤いくちびるがにんまり笑う。鋭く薙がれた大鎌は、危ういところでバケモノをかすめた。だんっだんっ!とビルの壁を蹴ってより高い屋上に着地しながら、バケモノは笑う。
「きしししし! 笑えねえ冗談だァ!」
しかし、死神と交戦する気はないらしい。ひたすら追い立てるデス子さんから逃げるようにビルからビルへと飛び移る。
バケモノは気付いていた。デス子さんが追い立てる方向、餌のにおいがすることに。だからこそおとなしく追い立てられているのだ。
風切り音を立てる鎌をかいくぐりながら、バケモノはどんどん餌の方へと近づいていく。
その姿が、廃ビルの屋上で目を細めていた密にも見えた。
「……来たか」
じゃこん!と特殊警棒を伸ばし、密は瑠衣を背後にかばった。清覧も数珠を手に、何事か唱え始めている。
すぐ隣のビルから飛び上がってくるバケモノの笑みが見て取れた。デス子さんはその隣のビルで停止して、鎌を構えたまま成り行きを見守っている。
ずしゃ、と屋上に着地するバケモノ。にぃ、と牙だらけの口を笑みで歪ませ、
「餌ァ……食いにきてやったぞォ……!」
煮えたぎるような目で瑠衣を見つめる。
「ひっ……!」
「そう焦るな。前菜がまだだろ」
おびえる瑠衣を後ろにかばい、特殊警棒を構える密。それを見て、バケモノはきしるように笑った。
「きししし、なァんか罠張ってるらしいけどォ、ご苦労さんン、前菜ごと丸っといっただっきまァすゥ」
そう言って、がちんがちんと爪を鳴らす。
すう、と息を吸い込んだ密が聖なる言葉を連ねた。
「『天使よ、七度はばたけ。哀れなる悪魔に祝福の鉄槌を』」
ぱちん、と霊力がはじけ、特殊警棒にちからが宿る。
密は清覧に目配せすると、そのままバケモノに突っ込んでいった。
「この間ボコしてやったのォ、もう忘れちまったらしいなァ!」
一合、二合、叩きつけられる特殊警棒を爪で軽く弾きながらその場に踏みとどまり、バケモノは前蹴りを放た。すれすれでかわして、もう片方の手で銀の短剣を抜く密。
「『終末の喇叭は喝采である』!」
流れるように聖句を紡ぎ、爪を特殊警棒でしのぎながら短剣を突き出す。切っ先はバケモノの喉笛をうっすらと傷つけるにとどまった。
お返しとばかりに両の腕で覆いかぶさるように爪を振るうバケモノ。頭上に特殊警棒を構え、爪の重さに耐えるように密が踏ん張る。ぐぐ、とちからを込める爪を振り払うこともできず、密は舌打ちをした。
バケモノは喜悦に歪んだ目をすると、横合いから回し蹴りを放つ。その場から動けずにいた密はそれをもろに食らって吹っ飛んだ。それでも受け身は取れたのか、すぐにからだを翻すと銀の投げナイフを抜いて投擲する。
「しゃらくせェ!」
爪を振るって三本のナイフを一気に叩き落とすバケモノ。その隙に、密はバケモノの懐にもぐりこんだ。
特殊警棒の突きを、みぞおちを狙って放つ。先端はバケモノの腹をえぐり込んだ。
「ぐっ……!」
「まだまだ!」
腹を抱えようとするバケモノのこめかみに左フックを打ち込む密。がくん、と落ちたあごに掌底、更にはわき腹に回し蹴りをたたき込む。
連撃はさすがにこたえたのか、バケモノはふらふらしながら距離を取ろうと大きく後ろへ飛び退った。
「今だ、清覧!」
密の声に応じて、清覧が数珠を握りながら声高に叫ぶ。
「ナウマク・サマンダ・バザラダン・カン!」
指で印を切り、数珠をバケモノに向けて投げた。さらに印を結び、呪文を唱える。
「オン・キリウン・キャクウン!」
目まぐるしく変わる印と呪文に応えて、数珠は蛇のようにバケモノに巻き付いた。ばちっ、と紫電が走り、バケモノは口を大きく開かされた磔刑のような格好で拘束される。清覧は数珠の端をぐいっと引いて戒めをより強固なものとした。
「この……三下がァ……!」
「ざんねーん、緊縛に関しちゃ密より俺のが経験アリよりのアリなのよね! おら、口開け!」
「がうっ!?」
さらに印を変えると、長大な数珠で拘束されたバケモノの口が開かれる。
「ほら密、今がちゃーんす!」
「わかってる!」
ここまでは手はず通りだ。密は短剣を腰の後ろに戻すと、特殊警棒を握った右手にちからを込めた。
「『生命の樹に実りし赤き果実よ、我が血潮にちからを与えたまえ』!」
右手にばちばちとちからがほとばしる。密はそのまま拘束されたバケモノへと突っ込むと、その大きく開かれた口めがけて右手を叩き込んだ。
「しっかり味わえ、ケダモノ野郎!」
ぐん、と右手に光が集まる。強制的に霊力を注ぎ込まれたバケモノは、がくがくとからだを痙攣させて目を見開いた。
「あっ……ガッ……!」
――密の霊力は相当なものだ。特に生者の強力な霊力はさぞかし腹に貯まることだろう……貯まりすぎるくらいに。
『計画』は、要するにバケモノを拘束して無理やりに密の全霊力を注ぎ込み、パンクさせてしまおうということだった。空腹を感じる生物ならば必ず満腹という状態もあるはずだ。満腹を超えた状態になれば、あとは破裂してしまうしかない。バケモノの許容量がわからない以上、これは一種の賭けだったが。
デス子さんが追い込み、清覧が拘束し、密が霊力を叩き込む。全員の協力で『作戦』は成功した……かに、見えた。
密は全力で集中して右手に霊力を込めているが、一向にバケモノが音を上げる気配がない。額に冷たい汗が伝う。右手の光が徐々に強さをなくしていき、やがて……
「……くっ……!」
がくん、と密がひざをついた。生命維持ぎりぎりまでの霊力を注ぎ込んだせいで、マトモに立っていられない。荒い息をしながら、密は一縷の望みを託してバケモノを見上げた。
「……グッ、ゲフッ……!」
苦し気な呼吸だが、バケモノはたしかにニィと笑った。
――密たちは、賭けに負けたのだ。
「き、しし、ししし……! うまいこと考えたもんだがなァ、ちぃっとばかし力不足だったみたいだなァ……! ああー、胸やけするぜェ……さっすがにエクソシストの全霊力ってのはァ、ハラにこたえるなァ……けどまあァ、やっぱお前は前菜でしかねえよォ……!」
ぐ、とバケモノがちからを込めると、清覧の数珠が粉々にはじけて拘束が解かれる。こき、こき、と首を鳴らしながら、バケモノは瀕死の密に向かってゆっくりと歩み寄った。
「ごっそさんン……まあ、あとひとり分くらいの霊力があったらかなりヤバかったけどなァ……これ以上妙な動きされちゃたまんねェ、念のため全部食い尽くしてやんよォ……!」
「……ちっきしょ……!」
ちからなくバケモノを睨み上げる密が毒づく。バケモノはそれすらスパイスにするかのように、にんまりと笑って大きく口を開いた。牙のそろったあぎとが密に迫る。
「密!」




