【17】
「……にしても、潔く切ったもんだわねえ」
瑠衣の髪を整えてくれたデス子さんが、呆れ半分の笑顔で言った。前回と同じく大鎌でダイナミックに散髪されたが、今の瑠衣の髪型はちょうどいい感じのショートボブに収まっている。デス子さんの腕がいいのだろう、どこか都会的な雰囲気が漂っていた。
「や、けっこう勢いで思いっきりやっちゃったっていうか……」
「あなたってたまに暴走するわよね。その勢いがいいところなんだと思うけど」
ふふ、と笑ってデス子さんは瑠衣を姿見の前に手招いた。
「さあ、早速鏡で見てみなさいな。髪型もそうだけど、きっともっとびっくりすることがあるわよ!」
清覧といい、デス子さんといい、そんなに鏡を見せたがって何があるというのだろう?
怪訝に思いながら何気なく鏡をのぞくと、そこにはさっぱりとした髪型になった自分が映っていた。いや、それよりも明らかな変化があった。
「…………ふひっ!?」
驚きすぎて一歩引いてしまう。それでも鏡をのぞき直し、まじまじと自分の顔を眺める。
「……鼻、鼻が……!」
一番のコンプレックスだった豚鼻が、見事に筋の通った鼻へと変化していた。鏡に映っているのは、まさに求めてやまなかった理想の女の子の姿だ。鼻ひとつでこんなに変わるとは。
「ふふ、びっくりしたでしょ? 今のあなた、とってもきれいよ。素敵な女の子だわ」
デス子さんにもお墨付きをいただいた。はぁー!と感嘆のため息をこぼしながら、瑠衣は飽きず鏡を見つめ続けていた。
「これが、私……!」
「そうよ、あなたのたましいのあるべき姿……昨日の夜、密を担ぎこんできたときになにかあったのね?」
やさしく肩に手を置くデス子さんに図星を刺されて、う、と言葉に詰まる。
密は今、傷を癒すために自室で眠っているという。というわけで、今ここにはデス子さんと瑠衣しかいない。
言うなら今だ、と覚悟を決めて、瑠衣は口を開いた。
「……デス子さん、ごめんなさいっ!」
「…………へ?」
いきなり謝られて、デス子さんは目を丸くした。構わずまくしたてる。
「私、密のこと好きなの! そりゃあ、密にはデス子さんっていう恋人がいるっていうのはわかってるけど、でも、この気持ちは止められないの! いや、密に告白してどうこうなろうなんて大それたこと思ってないよ!? ただ思ってるだけだから! だから、デス子さんから密を取ろうなんて思ってもみな」
「ふっ、あはははははは!!」
瑠衣の言葉はデス子さんの大爆笑によって遮られた。今度は瑠衣が目を丸くする番だ。
デス子さんはひとしきり大笑いしたあと、目じりの涙をぬぐいながら半笑いで口を開く。
「私とあいつが付き合ってる!? ないないないない!! なにを勘違いしてるのかわからないけど、あいつはぜーんぜん私のタイプじゃないもの! 私はもっとこう、男気があってダンディな大人の男が好みなの! あんなお子様なんて願い下げ!」
「つ、付き合ってないの!? 長い付き合いなんでしょ!? 美男美女だし!」
「長い付き合いって言っても、あいつとは単なるビジネスライクな関係よ。あいつがエクソシストとして働いてくれれば、私にも霊銭のキックバックがあるし。あいつは霊法上合法的に幽霊と交流できるんだし。ウィンウィンの関係でしょ?」
「は、はぁ……」
思わず間の抜けた声がこぼれる。脱力していると、デス子さんはなおも言葉を継いだ。
「だいたい、あなたたちお互いに鈍すぎ! 自分の気持ちに気付かなすぎ! 密のこと好きだって言ってるけどね、瑠衣、それって両片思いってやつよ?」
「ふへ!?」
「あいつの幽霊好きは今に始まったことじゃないけど、ここまで入れ込むのは初めてだもの。そもそも、この姿見だっていくらしたと思う? 靴だって服だって、相当な額つぎ込んでるわよ」
「お金払ってたの!? 密が!?」
「当たり前じゃない! 霊銭っていう霊界の通貨なんだけど、100万霊銭よ、この姿見。あいつ相当ため込んでるけど、あなたのために、ってぽいっと買ったのよ」
「ち、ちなみに、1霊銭って現世の通貨で言うとどれくらい……?」
「そうねえ、だいたいジュースが一本買えるくらいかしら」
スーパーの価格で考えると、だいたい百円くらいとして……
「…………いちおくえん!?!?」
声がひっくり返った。まさかこのなんの変哲もない姿見がそんな高価なものだったなんて。そして、そんな高価なものを瑠衣のために買い入れただなんて。
まさしく魂消ている瑠衣をよそ目に、デス子さんは続ける。
「靴だって高いのよー、10万霊銭はしてるわね。まああいつ相当稼いでるからぽんと出せちゃうんだろうけど、だからってつぎ込みすぎよ……もちろんお金の話だけじゃないのよ? いつも一体の幽霊に構ってるのなんて一週間くらいがいいところなのに、もう一か月もあなたに付き合ってるじゃない。昨日だって私が忠告してるのに『あいつが危ない』って言って飛び出していくし」
やっぱり、私のためだったんだ……
自分は思っている以上に密にいろいろもらっているらしかった。
デス子さんはふっと息をつくと途端にやさしい表情になって瑠衣に語り掛ける。
「……それにね、あの意地っ張りのあいつが、あんな風にだれかに頼って帰ってくるのなんて初めて見たわ。それだけあなたのこと信頼してるのよ。『こいつなら大丈夫だ』って。甘えてるの。あの密がよ?……なのに、あなたときたら!」
もう!とやきもきしたように瑠衣の背中をたたいて活を入れるデス子さん。
「私と密が付き合ってるですって? 面白い冗談だわ! だいたい、仮に付き合ってたとしても『奪ってやる!』くらいの気概がなくちゃ! 恋は戦争よ! あなたたちふたりとも臆病すぎるのよ! 嫌われたらどうしよう、傷つけたらどうしよう、ってそればっかり! 恋なんて嫌われて、傷つけてなんぼなのよ! ひとつの傷も負わずに恋を叶えようなんて虫が良すぎるわ!」
「で、でも……私はもうすぐ成仏するわけだし……たとえ叶ったとしても、いっしょにはいられない……」
「だったらなに? 恋の期間に長いも短いもないわよ。短くてもその間、精いっぱい恋すればいいじゃない。むしろ、少しでも長い間いっしょにいるためにもとっとと告白しちゃいなさいよ! そうすればあいつも自分の気持ちを自覚できるわよ。甘酸っぱいのもいいけどね、なんたってあなたたち両片思いなんだから、怖がる必要ないわ!」
考えてもみなかった。
密が瑠衣に思いを寄せているなんて。
密にこの思いを伝えようだなんて。
その先にある恋の成就なんて。
恋なんて、自分には贅沢品だと思っていた。どこかで『自分なんかが』という思いから抜けきれず、知らぬ間に自分にストッパーをかけていた。恋なんて異世界の出来事で、自分が誰かと恋仲になるなんて想像すらしていなかった。
そんな瑠衣が、密とどうこうなろうというのだ。
恋が叶ったあとのことなんて、今もまだ考えられない。
それでも、もし思いを伝えることができたら?
そして、密も同じ気持ちだと確かめることができたら?
……それは頭がふわふわするような、とてもしあわせな想像だった。
互いを好きあって、笑いあいながら手をつないで、いっしょに歩いていく。
たとえ今と大して違わないやり取りであっても、そこに思いがあるとわかっていれば、それは大きな関係性の変化だ。
「……私、密に『好きです』って言っていいのかな?」
同時に不安になってデス子さんに尋ねると、またしても檄を飛ばされた。
「言っていいのかな、じゃなくて、言うのよ! 密もそれを望んでるわ!」
ほかならぬ密がそれを望んでいるというのなら、瑠衣に否やはない。
決意を秘めた眼差しで鏡の中の自分を見据え、瑠衣は言った。
「……決めた。全部終わったら、私、密に思いを伝える。たとえ成仏する手前であったとしても、『大好きだよ』って」
「よくできました」
ぽんぽんと瑠衣の頭をなでるデス子さん。なんだか一度決めたらこころがすっとした。晴れやかな顔で考える。きっと、思いを伝えられたら、そのときは本当に自分のことを誇りに思えるだろう、と。
「けど、そのためにはまずもろもろの問題を片付けないとね」
真剣な顔になったデス子さんに、瑠衣の思考も現実に引き戻される。
「そうだよ! あのバケモノなんとかしないと!」
「当面の問題はそれよね。中央霊庁からの連絡はまだないわ。だとすると、私たちだけでなんとかしないといけないけど……あの頑固者がまたひとりで先走らないかしら」
「……誰が頑固者だ」
ふたりの会話に耳慣れた声が割り込んできた。戸口を見やると、まだ包帯と護符まみれの密が戸口にもたれながら立っている。一瞬さっきまでの会話を聞かれたのではないかとひやっとしたが、涼し気な顔をする密を見て、それが杞憂だと知る。
「お前のことだよ……よいしょっと」
さらにその後ろから現れた清覧の肩に担がれて、密は渋い顔をしながらソファに運ばれた。
「密、怪我大丈夫なの……?」
「これくらいどうってことない。デス子の護符もあるしな。二三日中には全快だ」
心配する瑠衣に、密は落ち着いた声音で答えた。どうやら強がりではないらしい様子にほっとする。
「……それよりも、あのケダモノ野郎をなんとかする話だな」
「あら、なにか考えがあるような言い方じゃない。まさか、またひとりで突っ走るつもりじゃないでしょうね?」
からかうように言うデス子さんに、密は神妙な顔で首を横に振った。
「もう俺ひとりの手に負える事態じゃないことくらいわかってる。だから……」
そして、密はその場にいる全員に深く頭を下げた。あのプライドの高い密のそんな行動に、三人とも驚きの表情を浮かべる。
「……デス子、清覧……瑠衣。お前たちのちからを貸してほしい。頼む」
密が、自分たちを頼っている……他人を怖がって、ひとりでなんでも抱え込んできた密が。
自分の言葉がたしかに密に届いていたことを知って、瑠衣はひとりでゆるやかな笑みを浮かべた。
「あったりまえじゃん!……私にできることがあればだけど」
気弱げに言葉を付け加える瑠衣に、他のふたりが続く。
「ビジネスパートナーとして、中央霊庁所属の死神として、もちろん手を貸すわよ」
「なーんだよ、俺らズッ友じゃん? 水臭いこと言うなって!」
それなりの覚悟を持って頭まで下げて頼み込んだ密は、呆気にとられたような顔をして頭を上げた。
「いいのか? 危険だぞ?」
「危険は承知だよ! 密がその危険をひとりで背負い込むのはもっとダメ!」
「その通りよ。リスクヘッジってやつね。危険は分散させて各自の負担を軽くする。頭脳戦の基本よ」
「……で、お前の立てた大作戦ってどんな感じなの?」
清覧が尋ねると、密は重々しくうなずいて『計画』を語り始めた。
すべてを聞き終えた三人は、一様に渋い顔をする。
「……それは、密の負担が大きすぎるんじゃない?」
瑠衣がおそるおそる口を開くと、デス子さんが同意した。
「そうね、最悪死ぬ可能性だってあるわ」
「マジやばたにえんじゃん! 考え直せって!」
「いや、今のところこれ以外にあのケダモノ野郎を黙らせる手段はない。俺なら大丈夫だ。そのためにお前たちに手を貸してほしい」
そこまで言われたらもうなにも言えなかった。
沈黙するその場の全員に、改めて密が頭を下げる。
「……頼む」
「覚悟は決めてあるのね。けど、約束して。無理だとわかったらすぐに退くこと。誰も死なせないこと」
「わかってる」
「そんだけ言うならノってやろうじゃねえの、この頑固者」
乱暴に密の肩を抱きながら笑う清覧。密は痛そうにしているが、振り払うことはしなかった。
「『計画』の決行は俺の回復を待ってくれ。三日後だ。それまでお前には結界の中で過ごしてもらう」
密の視線が瑠衣に向けられる。その視線を受け止めて、瑠衣は真剣な顔をしてうなずいた。
「密……」
「なんだ?」
その言葉を口にするのが恐ろしくて、瑠衣は一瞬口をつぐんだ。それからようやく口を開く。
「……死なないでね? 私、密が幽霊仲間になるなんて嫌だよ?」
よほど不安そうな顔をしていたのか、密はぎこちなく笑って瑠衣の頭をぽんぽんと撫でた。
「当たり前だ。この俺がそう簡単にくたばると思うなよ」
嫌な予感がした。しかし、ここで水を差しても密は『計画』を実行するだろう。
なにも言えない瑠衣をよそに、密はさらに『計画』の詳細を詰めるべく、各人とやりとりを始めた。
……そして、舞台の幕が上がる。




