【14】
あくる朝、瑠衣は森の館へ向かうかどうか迷って、やめておいた。たしかに結界の中にいれば安全なのかもしれないが、あれだけの大喧嘩をした手前、密と顔を合わせるのは気まずい。きっと嫌われているだろうから、虫けらを見るような目で見られるのも怖かった。
いつもの時間になっても民家の屋根に腰かけてぼうっとしていると、地上から声をかけられた。
「やっぱここにいたー。おーい、瑠衣ちゃーん、降りておいでー!」
見下ろせば、清覧の姿がある。清覧なら、まあいっか……とおとなしく地面に降りてくると、早速肩を抱き寄せられた。
「よかった、無事だ! マジやばたにあぶなひこだよ? まだあのバケモノうろついてるし、瑠衣ちゃんにおい覚えられてるんしょ? ふらふらしてたらヤバいって!」
「うう、それはそうなんだけど……昨日の手前、密と顔合わせるの気まずくて……」
「だと思った」
へら、と軽薄に笑って、清覧はぽんと瑠衣の頭を撫でた。
「ってわけで、俺が瑠衣ちゃんのボディガードに任命されました! 俺これでもエクソシストだからね! 頼りまくりんぐでオネシェス!」
「え……ええー?」
「なんか不満そうじゃん、マジ凹むんですけどー? 密ほどじゃないけど、俺だってちゃんとエクソシストできるんですからね!」
胸を張って主張する清覧だったが、どうもこのホスト風貌とエクソシストという言葉がつながらない。一抹の不安を抱えながらも、瑠衣はおにいさんがあいつに襲われたことを清覧に報告した。
「ふぅん……今のあいつは満腹状態、元気百倍状態ってわけだ……まあ、ハラ減ってないなら食われる心配もあんまりなさそだけど……」
あごに手を当てて考え込む清覧。瑠衣は意気込んで詰め寄った。
「このままじゃ、また誰かが食べられちゃうよ! それに、私あいつのこと許せない! 絶対とっちめてやる!」
「気持ちはわかるけど、瑠衣ちゃん、君は狙われてるってこと少しは自覚して?」
「だったら! 私、囮になる! あいつは私のこと食べたいんでしょ!? ならいつかきっと現れるから、そこを狙おうよ!」
「……危険だよ?」
「わかってる!」
危ないのは承知の上、と言い切った。清覧は難しい顔をしていたが、やがてへらっと笑って、
「……よし、じゃあそういう方向で。大丈夫、瑠衣ちゃんは俺が必ず守るから」
軽薄な笑みとは裏腹の重い宣言に、瑠衣は清覧の手を握って、
「ありがとう、清覧!」
「……うん」
感謝の言葉を受けた清覧は、普段のぺらぺらな笑顔とは違う、心底からうれしそうな笑顔を浮かべた。
握られていた手をそのままつないで、清覧は瑠衣の手を引いて歩き出す。
「囮になるっていうなら、できるだけひと気のないところに行こうか。さも襲ってくださいとでも言わんばかりの場所」
「よっしゃ! いこ!」
鼻息荒く靴を履いてついてくる瑠衣に、なぜか清覧は苦笑いを浮かべた。
「……これって一応デートなんだけどな……」
「え? なにか言った?」
「なんでもないなーい。さ、ふたりっきりになれるとこ行こ」
背中を押されて、瑠衣は怪訝そうな顔をしながら清覧と連れ立って歩いた。
いつもは行かない海沿いの散歩道までやってくると、ふたりはなにを言うでもなくベンチに並んで腰を下ろす。たしかにひと気は少ない。たまに犬の散歩をしているひとがいるくらいだ。ここならあいつも現れやすいだろう。
「まだかな!? まだかな!?」
「落ち着きなって。あいつは今満腹なんだから、そうそう出てこないだろうし……もうちょっとムードってもんを大切にしてほしいんだけど……」
そわそわ辺りを見回す瑠衣に、清覧が苦笑する。不思議そうな顔をして、
「……ムード?」
「そう、ふたりっきりのデートだよ? 俺的にはもうちょっと意識してもらってもいいかなーとかうぬぼれちゃったりして?」
隣にいる瑠衣の肩を抱いて、顔を覗き込んでくる清覧。デート?と頭に疑問符を浮かべる瑠衣をよそに、清覧はちょっと意地悪そうに笑って見せた。
「瑠衣ちゃん、密のこと好きでしょ?」
「…………は?」
おにいさんのときと同様、なんの苦もなく看破されて、瑠衣の動きが一瞬止まる。
そして、次の瞬間には全否定した。
「ま、まっさかあああああ!! ありえないありえない! あんな頑固者、もう知らないもん! だいたい、偉そうなんだよあいつ、なんでもできる王子様だからって! 自分が最強だって勘違い野郎! あー痛い痛い! 痛々しい! ちょっとでも『いいやつかも』と思った自分がバカみたい!」
「へえ、『いいやつかも』とは思ったんだ?」
「う、それはそうだけど! そりゃあ誰が見たってカッコいいし、あれでやさしいところもあるし、強いし、パーフェクト王子様だし! あんなのずるいじゃない! ちょっとでも『いいな』と思わない方がおかしい!」
「『いいな』とは思ったんだ?」
「う、う、う……!」
どんどん墓穴を掘っていく。幽霊が自分の墓穴を掘るなんてお笑い種だ。とりあえず全否定するのは無理だと悟って、瑠衣はしょんぼりと肩を落とした。
「……そうだよ、好きだよ。けど、別に密とどうこうなりたいとか、そういうおこがましいことは思ってない。思いを伝えるつもりもないし。私なんかが恋していい相手じゃないっていうのはわかってる。同じ空間にいるだけでいいの。けど、絶対嫌われちゃったし……」
「まあ、あんなに派手にやりあったらねえ……」
「……それに、密、いろいろ私のこと褒めてくれたりはするけど、『きれいだ』って言ってくれたことはないの……」
ぎゃふんと言わせる、と宣言しておきながら、この体たらくだ。瑠衣の豚鼻だけが何ともならないのは、そのせいかもしれない。
うなだれていると、清覧の手があごをすくった。間近で目を合わせてどぎまぎしていると、清覧はごくまじめな顔で口にした。
「きれいだよ、瑠衣ちゃん」
「……え?」
「何度でも言うよ、瑠衣ちゃんはきれいだ」
「せ、清覧?」
ただならぬ気配に怖気づいていると、清覧はやさしく瑠衣の頬を両手で包み込んだ。
「今までたくさん頑張ってきたんだもん、充分きれいになってるよ。あいつの代わりに俺が言ってあげる。きれいだ。他の誰よりもきれいだよ、瑠衣ちゃん」
そう言って微笑みかけられて、瑠衣は思わず真っ赤になってしまった。手に体温が伝わらないかと気が気でなくなる。
「ふふ、かーわい。そういうとこも素敵だよ」
「ちょっ……こんなところでホスト力出さないでよ!」
「わかんない? 俺今、素だよ?」
「わ、わかんないよ……!」
混乱する瑠衣に教え諭すように、一言一言丁寧に説明する清覧。
「他の女の子にはこんな顔しないよ。瑠衣ちゃんだけ……最初は他の女の子と同じように、悲しい顔しててほっとけないなと思ってた。けど、その悲しい顔を変えようとして頑張ってるの見てて、いつの間にか本気になってた……好きなんだ。瑠衣ちゃんのこと」
「は? え?」
「俺がいじめられっ子だった、って話したの、あれで超勇気要ったんだよ。あーまた引かれるかな、って。けど、瑠衣ちゃんは逆に『強い』って言ってくれた……すごく、うれしかった。今までそんなこと言ってくれる女の子なんていなかったから。俺だって、本当は言うつもりなかったんだ。瑠衣ちゃんは密のこと好きなんだってわかってたから……けど、ちょっと弱みに付け込ませてもらった」
喧嘩をして顔を合わせるのが気まずい、というところだろうか。ぐるぐると考え込んでいると清覧は顔を近づけて笑った。ほのかに香水の香りがする。
「ごめんね、ずるくて。でも、我慢できなくなって。あいつのことなんて忘れちゃいなよ。あいつが言わない分、俺がいくらでも『きれいだ』って言ってあげる……俺のものになった方がしあわせになれるよ?」
「……し、しあわせに?」
「そう。俺は密と違って瑠衣ちゃんのこと目いっぱい甘やかしてあげる。お姫様扱いして、大事に大事にして、どこへも行かせない。瑠衣ちゃんの望みならなんでも叶えてあげる」
きっと清覧ならそうするだろう。大事にしてくれて、欲しい言葉をくれて、いつでもやさしくしてくれて。望んでやまなかった普通の女の子扱いをしてくれるだろう。
しあわせに……なれるのだろうか?
しあわせに、してくれるのだろうか?
にこにこと笑って瑠衣の頬を撫でる清覧から、ふっと目をそらす。
「……ごめん、なんか、混乱しちゃって……清覧がそんな気持ちでいることなんて全然わかんなかったし、その気持ちに対してどんな風に答えればいいかわからないんだ……気持ちはうれしいよ? けど、どうしたいのか自分でもわかんない……頭の中ぐちゃぐちゃで……」
「俺の方こそごめん、急にいろいろ言いすぎた。パニクるのも無理ないよ。ただ、俺の気持ちを伝えたかっただけ。急いで答え出す必要はないよ。けど、瑠衣ちゃんの気持ちだって聞きたいんだ。だから、待ってる……瑠衣ちゃんが、俺のところへ来るのを」
そう言って、清覧はふいに顔を近づけると、ちゅ、と瑠衣の頬に口づけた。やわらかいくちびるの感触が頬に残る。瑠衣はしばらくの間固まってしまって、それから猛烈に顔を赤くして口をぱくぱくさせた。
「なっ……なっ……!」
「ふふ、今日は味見だけにしといてあげる。俺のものになったら毎日キスしてあげるから」
「…………」
「……瑠衣ちゃん?」
わなわな震える瑠衣の異常を怪訝に思ったのか、清覧が顔を覗き込んでくる。
……限界だった。
「……きゅう」
小動物の断末魔のような声を上げると、瑠衣はばったりとベンチの上に倒れてしまった。白目を剥いてぴくぴくと痙攣して、はひはひと浅い呼吸を繰り返す。こういった事態に耐性がなさすぎるが故の発作だった。
「瑠衣ちゃん!? 瑠衣ちゃーん!」
清覧の声が遠い。幽霊なのに死にそうな目に遭っている。このまま昇天するかと思った。がくがくと揺さぶられながら、これは自分には刺激が強すぎると身の程を知る。
……結局、あれこれと清覧に介抱されて小一時間ほど経ってから正気に戻った。
答えはすぐに出さなくていい、と言う清覧だったが、あんな風に口説かれて平静でいられるはずがない。だが清覧はボディガードで、とりあえず昼の間は瑠衣といっしょに過ごさなければならなかった。なんでもない風にふるまう清覧とは違って、瑠衣はひどくぎくしゃくと居心地の悪い思いをした。右手と右足がいっしょに出てしまうくらいだ。
時間よ早く過ぎろと願いながら夜を迎えると、清覧は瑠衣を置いて帰っていった。
ほっとしすぎてからだのちからが抜ける。靴を脱いだ瑠衣は脱力して宙を漂った。
「ああああー、明日からずっとこれかぁ……!」
頬に落ちるやわらかいくちびるの感触を思い出してじたばたする。まさか蜷川菌と呼ばれていた自分にキスなどする輩がいるとは。むずがゆくて死んでしまいそうだった。もう死んでいるが。
「……しぬ……精神的にしぬ……!」
あの清覧のことだから、女性の扱いもお手の物だろう。自分ばかりがあたふたしているようで、正直みっともないと思った。自分の気持ちを整理する余裕すらない。
「……けど、『待ってる』って言われちゃったもんなあ……」
いつまでも待たせるのはいけない気がする。自分ならすぐにでも答えが欲しい。それでも待っていてくれるのは清覧のやさしさだろう。
「……とりあえず、寝よ」
今はすべての思考を放棄したかった。ふわふわと宙を漂いながら、瑠衣は寝逃げを決め込むことにした。




