【13】
『なにか』の声を振り切るように一心不乱に走る密。瑠衣はずざざざざ!と引きずられている。
「ちょ、一旦止まってえええ!!」
「我慢しろ!」
密はそのまままっすぐに森の洋館へと向かった。森を抜け、屋敷が見えると、目に見えて足取りが鈍くなる。どころか、そのままばったりと草地の中に倒れてしまった。
「密!?」
「……ちっくしょ……血ぃ足りねえ……」
どうやら失血でからだが動かないらしい。瑠衣は最初はおろおろしていたものの、覚悟を決めて密を肩に背負って歩き出した。
「おっ、重いー!」
「……いいから、俺はここに置いてけ……屋敷には結界が張ってあるから、お前だけでも屋敷に……」
「置いていけるわけないでしょ! ああもう、こういうときは前のたくましいからだが恋しくなるっ!」
自虐を織り交ぜながらもひいこらと密を背負って、どうにか屋敷の敷地内に滑り込んだ。
ちょうど玄関前でふたりの帰りを待っていたデス子さんと清覧が慌てて駆け寄ってくる。
「ちょっと、どうしたの!?」
「帰りが遅いと思ったら……って、ヤバいじゃん、怪我! 血ぃ出てるし!」
「私はなんともないけど、密が……! 手当してあげて!」
泣きそうになりながら声を上げると、密は清覧が担いで屋敷に運び、いつもの衣裳部屋へと駆け込んだ。
結界で守られた室内、ソファに密を下すと、その顔が真っ青になっていることがわかる。まだ血は左腕からぼたぼたとこぼれ落ちており、荒い息をしながら苦しそうにしていた。
「ねえ、密、大丈夫!? し、し、死んじゃったり、しないよね!?」
同じくらい真っ青になりながら問いかける瑠衣を落ち着かせるように、デス子さんが肩に手を置いてうなずく。
「落ち着いて。妖毒の気配はないから、単なる外傷よ。回復活性のための呪符があるから、手当をして、それを貼って――」
「早く! お願い!」
パニックに陥った瑠衣は泣きながらデス子さんにすがった。清覧が早速手当の準備をしてくれている。自分の出る幕ではない。それでも、瑠衣はおろおろと密のそばについたり離れたりしていた。
……ようやく肩の痛々しい噛み痕に包帯が巻かれ、上から回復を促す呪符を貼られると、密の顔色も幾分かマシになってきた。ほっとした瑠衣は崩れ落ちるようにソファに座り込み、恐ろしい出来事を思い出してみっともなく泣き始める。
「えう……えう……」
「落ち着いて。一体なにがあったの?」
「うう……なんか、怖いバケモノみたいなのがいて、私が食べられかけたところで密が助けてくれて、けど肩噛まれて、逃げて……」
「うーん、要領を得ないわね」
「……いい、俺が話す……」
ようやく意識を取り戻した密が、まだ青い顔でソファから起き上がり、額に手を当ててかぶりを振る。
「幽霊のたましいを捕食するタイプのアヤカシが現れた……どっから流れてきたのかはわかんねえけどな。交戦して、負傷して、敗走した……相手が空腹だったのがさいわいして、逃げ切れたが……あいつは、また現れるだろうな……」
「それは明らかに霊法に抵触するわね……本来なら地獄の生き物よ? それが現世に現れただなんて……中央霊庁に連絡はするけど、あそこは動きが鈍いもの、討伐隊が組まれるまでには二週間はかかるわ」
「二週間ずっと結界の中で生活、なんてのは現実的じゃないしなあ……」
清覧がぼやく。デス子さんも渋い顔だ。
「……問題ない」
ぜい、と苦しげな息を吐いて、密が言った。
「俺ひとりで充分だ。今度会ったらタダじゃおかねえ……自分のケリは自分でつける」
碧眼に、ぎらり、不穏な熱が宿る。貸し借りはきっちりしているタイプらしい。
しかし、瑠衣はそれが不安だった。やっと泣き止んで、
「待ってよ! 今回だってやられたじゃない! 味方もなしにあいつをやっつけるなんて無理だよ!」
「……るっせ。俺はひとりでやれる……誰の助けも要らない」
「またそうやって……! ひとりでやれることなんてたかが知れてるんだよ!? お願いだから周りの手も頼ってよ!」
「周りを頼る……?」
その言葉を聞いた密は、苦いものを含んだ嘲笑を浮かべて繰り返した。
「笑わせる。俺は今までひとりでやってきた。今更他人なんて頼れるか」
「それって密の悪い癖だよ……なんでもひとりで背負い込まないで。密は全能じゃない。できないことは他のひとに助けてもらおうよ」
「……バカにしてんのか?」
その言葉が密のプライドに障ったのか、碧眼が剣呑に細められる。瑠衣は慌てて否定した。
「そうじゃなくて! ひとはひとりじゃ生きていけないって話をしてるの!」
「俺はずっとひとりで生きてきた! 誰にも助けを借りずにだ! 馴れ合いなんて死んでもごめんだ!……お前ごときが俺に指図するな!」
「『お前ごとき』……!? 私はただ、密を心配して……!」
「めそめそと弱っちいお前なんかに俺の気持ちがわかるか! 余計なお世話だ!」
「はああああああ!?」
こうなったら売り言葉に買い言葉だった。普段怒りの感情をめったに抱かない瑠衣でも、せっかくの気遣いをそんな言葉で返されたら怒りもする。豚鼻をひくひくさせながら、瑠衣は密を睨んだ。
「どうなっても知らないから!」
「ああそうだ、お前には関係ない!」
そこまで言われて、なんだか悲しくなって目に涙が浮かんだ。立ち上がって部屋を後にしようとする。
「待て! 結界の外に出たらまたあいつが……」
「もういい! 言うこと聞かない! 密なんて、密なんて!」
止める言葉を無視して、瑠衣は部屋を飛び出していった。なにもかもがどうでもよくなって、別にあのバケモノに食べられようがどうなろうが構わなくなった。
そりゃあ、瑠衣は弱い。めそめそしている。そして密は強い。それもわかる。
けど、ひとりじゃどうしようもないことくらいあるはずだ。瑠衣は弱いからこそそれがわかるし、密は強いからこそそれがわからない。他人に頼るということを知らない。
「密の、頑固者……!」
ずかずかとした足取りで屋敷を出て、森を抜け、街へ出る。密から贈られた靴を脱いで、いっそ捨ててしまおうかと思った。が、迷った末に靴を抱えて、ふわふわと空へ漂う。
「……あーあ、絶対嫌われた……」
あそこまで啖呵を切ったのだ、きっと密は瑠衣のことを嫌いになったに違いない。靴を抱えたまま胎児のように丸くなって空に浮かび、がっくりとうなだれる。せっかく仲良くなれたと思ったのに。たしかに恋心を伝えるつもりはなかったが、嫌われるとは思わなかった。
所詮自分はこうなる運命なのだ。そういう星回りなのだ。好きなひとに嫌われて、ふてくされてまたブスになっていく。どれだけ見た目が変わったところで、それは決まっていることなのだ。
そんな自己嫌悪に沈みながら街中を漂っていると、いつしか夜が更けていた。ずいぶん長い間物思いにふけっていたような気がする。
瑠衣はいつもの民家の屋根の上までやってきた。しかし、いつも先に来ているおにいさんの姿がない。せっかく相談しようと思ったのに、ときょろきょろ辺りを見回していると、すぐそばから声が聞こえた。
「ここだよ、瑠衣ちゃん……」
声はすれど姿は見えず。近視のひとみたいに思いっきり目つきを悪くしてよーく声が聞こえた辺りを見つめると、ごくうっすらとおにいさんの輪郭が見て取れた。
「おにいさん!?」
「やあ、参っちゃうよね、はは……」
「そんな、透過率80%くらいになって……!」
こころなしか声にも元気がない。すけすけになったおにいさんは、ちからなく屋根の上に腰を下ろしていた。
「どうしちゃったの!?」
瑠衣が詰め寄ると、おにいさんは困ったような顔をして笑った。
「なんだか怖い妖怪みたいなのに出会ってね、話をしようとしたら……食べられちゃった。途中で満腹になっちゃったみたいで、僕はその食べ残し……」
あいつだ……! 頭の中に恐ろしい牙と爪のバケモノが浮かぶ。もしかしたら、瑠衣の残り香がおにいさんについていて、それをたどっておにいさんに行き当たったのかもしれない。だとしたらとんだとばっちりだ。
「おにいさん、痛くない!? 元気ないみたいだけど大丈夫!?」
かろうじて見える輪郭の肩をがくがく揺さぶると、おにいさんは苦笑いした。
「あはは、大丈夫……じゃないかな。痛くはなかったけど、すごく苦しかった……今も、こうして会話するだけで精いっぱいで……」
「無理しないで! うう、あんにゃろー!」
やさしいおにいさんにこんなひどいことをしたあのバケモノが憎たらしくてたまらなかった。自分が食われるのはいい。けど、まわりのひとが犠牲になるなんて……密もそうだ、自分を助けに来たからあんな目に遭って……
無力な自分が悔しい。けど、悔しがっているばかりではダメなのだ。怒りを糧に立ち上がらなければ。
「おにいさん、安心して! 絶対仇は取ってあげるから!」
なにもできない、なんて言い訳はいらない。なにかできることを探さなければ。
「絶対に、あいつをとっちめてやるんだから……!」
こぶしを握り、瑠衣は夜空に浮かぶ三日月を睨み上げた。




