第9話 治療室と私(1)
「あー、よく寝た」
こんなにすっきりしたのは、いつぶりだろう。
気持ちのいい朝とは、今日のことをいうのではないだろうか。
「夕日?」
ふと窓のほうへと視線を移すと、そこには赤く染まった空が見えた。
しまった! 寝過ごした、会社に連絡しなきゃ!
――――あっ、そうだ。ここはゲームの世界だったんだ。
「そうよね。そんな夕方まで寝ている人なんていないわよね」
布団の中で苦笑いする私。
しかし右手を誰かが握っているような感覚があった。
「なーんだ」
体の向きを変えると、椅子に座ったまま寝ているディアナが見えた。
しかも、右手をかなり強く握っている。
「ふふ、そのまま寝ちゃったのね」
そのあどけない寝顔に微笑みつつも、私は『ここはどこ?』と周囲を見渡した。
「なんか薬品棚とかあるし……保健室?」
ふと、そんな言葉が口から漏れる。学校で寝ちゃったんだ。……あれ? ここは学園か。
よく見ると治療室と書いてある。
「う、う……うーん」
ディアナのそんなうめき声が聞こえたかと思うと、力尽きたようにベッドのほうへと倒れ込んだ。短い黒髪がふわっと舞い、彼女の陶磁のような白い首が剥き出しとなる。
それでも眠り続ける彼女の小さな手は、私の手を離すようすはなかった。
「うーん、お姉さま」
うーん、可愛い。
彼女の寝言も寝顔も愛おしい。そんな感情の中で上体を起こすと、自然と空いている手でその黒髪の頭を撫でていた。
「気持ちいいわね」
馬車の中でも思ったが、猫っ毛と言うのだろうか。その髪は細くて柔らかく、触るとふわふわして気持ちいい。
ずっと触っていたい。
「ん……あれ? お姉さま」
「ごめんなさい。起こしちゃって」
「お、お姉さまあああああ!」
私の顔を見るなり、抱き着き大声で泣き出した彼女。そのまま、しばらく髪をゆっくりと撫でてやる。
「よしよし、なんで泣いてるの?」
「だって……だって……グスッ……お姉さまが倒れたって…………グズン」
「だ、大丈夫よ。ほら」
私は何でもないことを示すために、少し肩を回して見せる。そう言えば、体を打ちつけて痛かった気がするけど、今は何でもないのはなんでだろう。
そんな疑問を一瞬もつが、彼女がまた泣き始めるとそれどころじゃなかった。
「無事でよかったですわああああ! お姉さまああああ!」
「ちょっ、ちょっと」
ディアナはそう言って大げさに泣きながら、よじ登るようにしてベッドへ上がった。
私の体に頭と体をぐいぐいと押しつける。そして、そのまま力尽きるようにベッドへ倒れ込んだ。
「だって、お姉さまに何かあったら私……」
「大丈夫よ。何もないから」
ベッドの上で二人の体が上下に重なり合いながらも、右手だけはしっかり握っている。
いつになったら離してくれるのかしら。
そんなことを思いながらも、左手でポケットを探るとハンカチを取り出した。
「ほら、これで涙を拭いなさい」
「は……はい」
そんなに重くはないけど、この体勢はちょっときつい。
ハンカチを渡せばさすがに離れるだろうと思ったが、それを右手にしっかりと握ったままで私を見つめ、泣き続けるディアナ。
「よかったですわ……」
「ほらっ、拭かないと。ねっ」
私は彼女の右手からハンカチを取ると、左手で涙を拭ってやる。
――――と、その時だった。
カチャ。
部屋の扉が開き、エビとケインが入ってきた。そして、二人は私たちのほうを見るとそのまま立ち止まる。
ケイン、よかった無事だったのね。
そう思った私は体を起こそうとするが、ディアナが乗っているので体が動かない。
あれ? もしかして今の状況って……。
ベッドの上で重なり合う。どう考えても怪しいわ。
エビとケインはじっとこちらを見たまま、放心状態で固まっていた。
「ま、待って。これはそんなんじゃなくて……」
そう言いかけた時、エビが明るい表情になったかと思うとこちらへ駆け出す。
よかった、勘違いはしてないみたい……でも、このまま同じようにベッドに来られちゃうと、二人分の重さはさすがにきつい。
だが、私の怪我を思ってくれたのか。彼女は、「ここは我慢しないといけない」とぐっと全身に力を込めた。
「お、おねえ……」
エビはそこまで言葉を発すると、私に向かって飛び込もうと広げていた両手をすっと下ろす。
そして右手をぎゅっと握りしめ、ディアナに鋭い視線を送った。
「ディアナ! お姉さまは怪我をしているのですよ。降りなさい!」
そう言われてもディアナは、私の顔を見てると安心したように笑い、胸に顔を埋めるのを繰り返す。
彼女らしい行動と言えばそうなのだが、それを見てエビの表情が険しくなった。




