第16話 中庭と私(1)
「お姉さま、お姉さま」
エビの声に我に返った私。
「ご、ごめんなさい。痛かったわね」
私が慌てて強く握っていた腕を離すと、エビは息を整える。
あの場から離れたくて急いでいたせいか、かなりの速足でここまできてしまったようだった。彼女にそれを謝ろうとしたが、エビはすっと後ろを指差すと言った。
「大丈夫です。それより……礼拝堂はさっきの曲がり角を右に行くのでは?」
その言葉に私は彼女の指先へと視線を向ける。校舎の壁の向こう――――高く突き出た三角屋根と、神へ祈りを捧げるように掲げられた十字架が見えた。
どこか映画で見たような風景ね、ロマンチックじゃない。
そんな異世界独特の光景に私は心を奪われた。
「わぁ……! ねえ写真、写真撮ろう」
興奮した私はエビの腕をぐいぐいと引っ張り、良く見える中庭のほうへと引きずり出す。
「お、お姉さま」
「ねえ、見て! 夢見たい」
さらにドキドキが最高潮に達した私は、礼拝堂を指差すと彼女を引き寄せ思い切り抱き着いた。
胸の中で礼拝堂のほうをじっと見るエビ。そして彼女は冷静に周囲を見渡してこう言った。
「お姉さま……嬉しいのは分かりました。でも、皆が見ています」
「……えっ!? あっ」
周囲の庭を刈っていた庭師や礼拝堂を利用しようとする数人の生徒などが、呆けたように私をじっと見ている。
まずい、なんとかしなきゃ。
「お、お疲れさま」
ごまかすように近くの庭師に挨拶をする。すると彼はすっと立ち上がり、帽子を取るとこちらへ一礼した。そして私たちに気を使ったのだろうか、そのまま彼は作業へと戻っていく。
「なんとかごまかせたわね」
「お姉さま、この体勢はご褒美……いや、嬉しいのですけどちょっと恥ずかしいです」
「あっ、ご、ごめんなさい」
強く抱きしめたままだった私は、謝るとすぐに彼女を手放した。
解き放たれた彼女はひと呼吸すると、私のほうをじっと見つめる。そしてスカートの裾をきゅっとつまむようにして、私に声をかけようとして口を開くがそのまま閉じた。
何か聞きたいのかしら。
「なあに、エビ?」
「で、でも……」
「いいから、ねっ」
彼女はその言葉に意を決したのか、少し恥ずかしそうに顔を赤らめる。
そして右手を胸で何度も握りしめた。
なにこれ、凄く可愛い……抱きしめたい! でもさっきの失敗もあるし、ここは我慢しなくちゃ。
そう思い、彼女をじっと見守っていると、意を決したように話し出した。
「お、お姉さま。私が無知で――――その写真って何ですか?」
「えっ、あっ、そ、そ、そ、それね。えーと」
そうだ、この世界には写真って無いんだった。ど、ど、ど、どうしよう。
私は思わずスカートの裾をぎゅっと握りしめる。焦る私と答えを待つエビ。
だが、その時だった。礼拝堂のほうから黒い服を着た男性が中庭を走って突っ切ってきた。
彼は庭師の制止も振り切り、花壇の中を突っ切ってくる。
ドン!
綺麗な花が咲いているツツジの生け垣……それらが邪魔で見えなかったのか。途中で急に曲がった男性に私たちはぶつかった。
「きゃっ」
私はなんとか避けきったが、エビは反動で転び左手をつく。
「だ、大丈夫!?」
「……」
エビを心配して声をかけた私を一瞥した男は、手に持った装飾入りの箱を大事そうに抱えている。そして、来た方向を一目確認すると何も言わずに走り去っていった。
「ちょっ、お姉さまにお謝りなさい!」
エビから出た迫力ある声に一瞬止まった男。
冬でもないのに黒いコートを着て、暑くないのかしら。顔もフードで見えないし。
そんなことを思っていると、後ろから数人の剣を腰にした従者たちが慌てたように走ってきた。
「誰か、その男を捕まえてくれ!」
従者たちの言葉に立ち止まった男は再び走り出す。それを見て同時に走り出す、私とエビ。
なんか分からないけど、悪い奴みたいね。
男を私たちは全力で追いかける。
体が軽い、やっぱり十代の体は軽いわね。そんなことに感心してしまう私。
見通しの良い建物内の廊下と違い、外廊下は意外と入り組んでいた。
「意外と建物が入り組んでいるのね」
私がそう呟いたと同時に犯人は通路を右へと曲がる。
見失うまいと全力でそこを曲がると、外に出る門が遠くに見えた。
「あそこから出られたらお終いです」
横を走るエビの声に私は後ろを確認する。
従者たちはまだ追いついていないのね、そう思った時だった――前を見ていなかった私は足を滑らせ、後方へと転倒した。
「あっ、危ないお姉さま!」
立ち止まったエビが悲痛な声を上げ、私の手を引こうとする。それと同時に靴が脱げ……宙を綺麗な弧を描いて飛んでいき男の頭に命中した。
「ぐあっ!」
その不意の衝撃にバランスを崩し転倒した男。
そして、必死な形相で私を心配するエビ。
「お姉さま! 大丈夫ですか」
「そ、それより、捕まえて」
私の言葉に彼女は犯人のほうを向くと、「はい、お姉さま」とその場をすぐに後にした。そして後から追ってきた従者たちと一緒に、黒いコートの男を取り押さえる。
そのことにほっと安心した私。だけど、お尻が痛いわね。
「お、お姉さま、大丈夫ですか」
男を従者たちに引き渡し、戻ってきたエビは心配そうに声をかけてくる。その声に私は彼女の手を借り、立ち上がった。
「だ、大丈夫よ。お尻がちょっと痛いくらい。あっ!?」
「……ドレスが切れてしまってますね」
転んだ拍子にだろうか。私の青いドレスは大きく縦に破け、太ももが見えてしまうほどだった。
どうしよう、私は周囲に見えないよう必死に両手でそれを隠す。
そこに従者たちが走ってやってきた。
「あ、ありがとうございます。お嬢様、お名前は?」
それどころじゃない、ドレスが破けてしまって……そうだ、お茶会の時間も!?
こんなドレスじゃ、お茶会に行けないじゃない。
「な、名乗るほどのことでもありませんわ。ほほほほ……さあ、行きましょ」
「えっ、あっ、はい。お姉さま」
もう時間がないし、なんとかしなくちゃ。そう思いあせった私と、私の言葉に戸惑うエビ。
後ろで従者たちが何か言っているような気がしたが、心の中で『ごめんね』と謝りつつその場を去ることにした。って、いうより「今はそれどころじゃないのよ」と心の中で何度も叫んでいた。




