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はこび屋  作者: 一朶色葉
episode2
13/17

ヒロイン絶体絶命のピンチ...!?


 どうして、目を離してしまったのだろうか。

 朱花の容姿は人目を引く。良い意味でも、悪い意味でも。犯罪に巻き込まれかねないからと、いっそ誰の目にも触れないように、囲って、隠してしまえばなどと狂ったことを考えるほどには、あの子が目の前から消えることを恐れていたはずなのに。

(くっそ・・・! どこに)

 目を離すべきではなかった。あれほどまでにお転婆な彼女のことだ。面倒事に巻き込まれることもあるが、自ら首を突っ込んでいくこともある。むしろ後者のほうが割合が高い。

 ひと通り探し回った。厨房の方には水燕が探しに行ってくれている。あちらで見つかればそれでいいのだ。問題は、紅雲が睨み見据える先に探し求めるその姿があること。

 個室の並ぶ廊には、あまり入りたくない。何が楽しくてそういう目的でもないのにここに足を踏み入れなければならないのか。いくらそれぞれで防音がしっかりなされているとはいえ、廊からしてその艶めかしさが演出されている。

 だが躊躇っている時間なんてないのだ。舌打ちとともに廊に立ち入り声を張り上げた。

「朱花!」

 扉をひとつひとつ蹴破る紅雲はまさに鬼気迫る顔をしていただろう。この場に付き合いの長い水燕がいたなら、その今までにない焦りように目を丸くしたはずだ。

 扉の取っ手についた札にはすべて『空』の文字。幸いにして使用の札はかかっていないが、何事かに巻き込まれた彼女がここのどこかにいるとするならば、見落とすわけにはいかない。

 多く設けられた部屋数に苛々が募る。狂ったように呼んだ何度目かの呼びかけのときだ。

 ──ゴッ。

 何かを殴ったような鈍い音から返事があった。





「朱花!」

 甘ったるい匂いのせいで鈍い頭痛が止まらない。脈打つように痛みを訴えてくる頭を押さえながら、どこか切迫したような声に応えるべく、朱花は顔を上げた。

 同時に破壊される勢いで扉が開き、ここひと月ほどですっかり見慣れてしまった彼が姿を現した。

「・・・朱花?」

 焦燥を浮かべていた綺麗な顔が、瞬く間に唖然としたものに変わる。

 彼の表情に首を傾げつつ視線を巡らせて、朱花は再度首を傾げた。

 割れた硝子片の散乱する床。椅子は倒れているし、調度品は本来あった場所から薙ぎ倒されたかのように転がっている。そして──そこかしこに倒れ伏している褐色肌の蒼葉の男ども。

 まさしく死屍累々。一体何があったんだと問い詰めたくなるほどの惨状を作り出している部屋の中にあって、朱花ひとりだけが意識を保っていた。

(・・・どうかしたのかしら)

 ぼやっとする意識の中で、どうして紅雲が石化してしまったのかを考える。彼は、こういった現場は見慣れているはずだ。何より以前、彼自身が似たような惨状を作り出していた。

「? ・・・・・・こううんさん・・・?」

 ああ駄目だ。呂律が回らない。頭が痛い。

 それでも微動だにしない紅雲を訝しんで、朱花は首を傾げながらゆらりと立ち上がった。その拍子に、するりと何かが手から抜け落ちた。

 ゴトリ。

 歪な音を床が奏でる。思わずそこに目をやって、朱花はさあっと青ざめた。

 手から抜け落ちて鈍い音とともに床に着地したのは元々ここにあった鉄製の香炉だ。何故それを朱花が持っていたのかは、死屍累々と横たわる男どもを見れば必然的にそれの用途がわかるわけで。

 本能的に悟った。


 ──これはまずい。


 普段からお転婆だじゃじゃ馬だと言われている朱花である。おもに紅雲にだが。

 か弱いだなんて思われたいわけではないが、今日一日妓館で働いてみて気づいた点に『男は庇護欲のそそられる女が好き』というものがある。

(うわあああ、やっちゃった! 絶対これ引かれてるっ! だって紅雲さんの目が心なしか死んでるもの!)

 そう。か弱いと思われたいわけではない。だがさすがにこの死屍累々の中でひとり意識を保っている女はこれから先、女の子として見られないのではないだろうか。

 朦朧としていた意識なんてどこへ走り去ってしまったのか、混乱を極める脳は今やすっきり明瞭である。どうせなら失神していたかった。

 どう取り繕うべきかときょろきょろ視線を彷徨わせる朱花は、紅雲が「ふっ」と息を漏らしたことに気づかなかった。

「ふっ・・・・・・ふはっ! くくくっ。駄目だっ・・・はははっ! 堪えられないっ」

「こ、紅雲さん・・・? 大丈夫?」

 何がとは言わない。朱花が何を心配したのは言わずともわかるだろう。

 急に笑い出した紅雲はその言葉の通り堪えきれないと言わんばかりに腹を抱えてげらげらと笑っている。大爆笑だ。

(わ、笑ってる。・・・こんなに笑ってるの初めて見た)

「そう、だよなぁ。・・・ふっ、お前、柏宰相の娘だもんな、ははっ! 護身術くらい、叩き、込まれてる、よなっ」

 傑作だと笑う彼の目尻にはついに涙まで浮かび始めている。何がツボだったのか本当に謎だ。

(引かれて、ない・・・?)

 爆笑の理由はわからないが、何はともあれ引かれるという朱花の中では最悪に位置する反応は今のところ見られない。

「っ」

 ほっと安堵するとともに、体の力が抜けた。へたり込んでしまいそうになるのを何とか耐えて、一気に押し寄せて来た疲労感を堪える。

 気を抜いたら倒れそうだ。

「朱花」

 いつの間にか笑い止んだ紅雲が囁くように呼びかけてくる。

「──おいで」

 それは麻薬のように脳髄に染み込んで。

 まるで吸い込まれるようにふらふらと体が動く。

 崩れ落ちるように紅雲の腕の中に飛び込んだ朱花は、彼が苦笑する気配を最後に、体の訴える疲労感に身を任せて瞼を落とした。




***




 朱花が目を覚ましたとき、紅雲は近くにいなかった。

 うっすらと瞼を押し上げてぼんやりとした意識のまま視線を滑らせる。見慣れない天井、質素な造りの部屋。壁には衣装棚が並んでいるのが、僅かに視界を遮る幕からわかる。

「あら、起きたのね。気分はどう? 痛いところとか、吐きそうとかない?」

「・・・・・・すいえんさん」

「あらら? もしかしてこれ、意識はっきりしてないのかしら」

 幼子のように舌足らずで名を呼ばれ、水燕は柳眉を上げた。ぱたぱたと顔の前で手を軽く振られ「いい? もう一度聞くわよ。痛いところとか、体の不調とかない?」と再度確認される。首をゆっくりと横に振って答えれば、そこでようやく安心したのか細い肩から力が抜けたようだった。

「まったく・・・危ないことに首突っ込んだら駄目よ。坊やも可哀想に、これだと心臓がいくつあっても足りないわ」

「あの、紅雲さんは」

「頭を冷やしてもらうために部屋の掃除中よ。・・・大変だったんだから。離そうとしないし、離れようともしないし。よっぽど怖かったみたいね」

 何が、と言わない水燕は、思い返すように目を細めている。

「本当はもっとちゃんとした寝台を使わせてあげたかったんだけど、広い寝台は個室にしかないし、でも個室だとあの子が怒るし。で、結局仮眠室に落ち着いちゃったんだけど」

「はあ・・・。あの、あの部屋にいた妓女さんは無事ですか?」

「無事かって聞かれると困るわねぇ。命の危険はないっていう意味なら無事よ」

 こぽこぽと水差しから輸入品の切子のグラスに水が注がれる。

 上体を起こしてそれを受け取った朱花は、何となく口をつける気にもなれず水燕に続きを促した。

「あの部屋で焚かれていた香は今日妓館で焚いていたものと一緒なのよ。甘ったるいあの匂い、わかるでしょう。でも香炉を調べたら部屋で焚かれていた香には麻薬が混入していたわ」

「麻薬?」

「そう。詳しいことは坊やにでも聞きなさい。私よりもよほど詳しいから。で、あなたが気にしているあの妓女だけれど、今は昏睡状態。だからあなたにも聞いたのよ、不調はないかって。まあ、自力で起きられているし、口調もはっきりしてきたから心配はないのかもしれないけれど」

「そう、ですか」

 朱花にあまり影響が出ていないのは、あの香に触れていた時間が妓女よりも短いからだろう。扉の隙間から漏れ出ていたとはいえ、それは部屋の中に比べれば少量だ。

「巻き込んで悪かったわ。お詫びと言ってはなんだけど、良いこと教えてあげる」

「?」

 手招きされて、少しだけ上体を水燕の方へと傾げる。丁寧に麗しく化粧の施された顔が近づいて、同性ながら僅かに鼓動が早くなるのを感じた。

「安心なさいな。坊やは私の恋人ではないわ。息子みたいっていう意味でなら、特別だけれど」

「っ!」

 愉快そうに告げられた内容に、朱花はばっと顔を上げる。麗しの妓女とばっちりと視線が合って、にこりと微笑む紅い唇に頬が引き攣るのを感じた。

「気にしてたみたいだから一応、ね。そんな心配は杞憂どころか下手したら坊やに怒られるわよ。それに私はあの子と親子くらいに歳が離れているし、あの子が小さいときからあの子を知っているわ。どんなに見目がよくても恋情を持てと言われるほうが無理ね」

 家庭というものに憧れたこともあった。夫がいて、子どもがいて、喧嘩もするだろうけれど結局は温かい、そんな家族を持つことを望んだ時期も昔はあった。けれど水燕は妓女で、貿易商に嫁いでいった友人のようにはどうしてもなれないだろうと心のどこかで漠然と思っていた。

 望みながらも叶わないことには徐々に羨望を持つことすらしなくなっていて。でも水燕の前に現れた小さい男の子に失いかけていたはずの〝憧れ〟が戻ってくるのを感じて。

 坊やという呼称はいつの間にか定着して、呼ぶたびに本当に息子のような存在になっていく小さな男の子は、今ではもう水燕の身長を超えてしまっているし当時はあった可愛さなんて見る影もないほどに成長した男だ。それでも水燕にとってあの子が異性という枠に入ることは絶対にない。

 朱花はぱちぱちと瞬きをして首を傾げた。慈愛に満ちた妓女の眸が微かに寂寥を滲ませているような気がして、口を開きかけ──

「水燕、終わったけど」

 合図もなしに開いた扉に口を噤んだ。

「あらお疲れさま。藤李への荷物は倉庫にあるわよ」

「もう運んだ。・・・ん、ちゃんと起きたみたいだな。気分不良は?」

 部屋に入ってくるなり朱花の元へとすたすたと歩み寄った紅雲は、水燕が傍にいるのにも関わらず、手の甲でするりと朱花の頬を撫で、そのまま首で脈をとる。

「だ、いじょうぶ・・・」

 触れてくる手があまりにも優しくて、朱花は一瞬石化した。視界の隅で水燕が呆れたように肩を竦めたのを認めて、羞恥心に火がつく。

(だからっもう、近い!)

「坊や・・・、独占もほどほどにしておきなさい。朱花の心臓が持たないわよ」

「・・・朱花?」

「同性の私が名前を呼んだだけで妬かない! 心が狭すぎるわ、久しぶりに会ったけどあなた中身別人なんじゃない・・・」

 やれやれと大仰に息を吐き出す水燕の言葉に、朱花は既視感を覚える。

 ──〝姿かたちこそ変わらないが中身は別人か?〟

(あ、そっか。柳さんも似たようなこと言って・・・)

 朱花は出会う以前の紅雲を知らないが、知っているひとからすれば目を疑うほど変わっているらしい。

 どこが違うのだろうか、と思わずじっと見つめると、水燕の言葉を黙殺した紅雲が朱花の手の中から切子のグラスを取り上げた。一度も口をつけていないそれをどうするのかと目で追えば、別に何をするわけでもなく近くの卓に置かれる。

「あの、紅雲さ・・・!?」

 何がしたいのかと問いかける間もなくふわりと体が浮く。膝裏と背に回された腕の感覚。床どころか寝台からも離れた朱花の体を支えているのは、紅雲の両腕だけだ。

 あまりの不安定さに慄いて彼の首にしがみつくと、ふっと微かに笑ったような気配がした。

「関所の検問の件に関してはこっちから探りを入れてみる。幸いにも、ひと月ほど前に伝手が出来たんでな」

「あら。それならお願いしようかしら。お役人相手に媚を売って探るのは骨が折れるもの」

 一体何の話をしているのか。恐々紅雲の首に腕を巻き付けている朱花には話の内容にまで気を回す余裕がない。

「紅雲さん、下ろし」

「断る」

「なんで!?」

 あまりにもうるさい鼓動の音が、このままだと紅雲に伝わってしまう。

 別に気分が悪いわけでもなければ足に力が入らないわけでもない。自力で歩けるというのに抱えられる理由はないと訴えたのにも関わらず、紅雲は聞く耳を持たなかった。

「大人しく抱えられておくのが身のためよ」

 諦めなさいと肩を叩かれ、朱花は項垂れるしかない。

「ああ、そうだったわ。ねえ、発注を間違えて大量に買ってしまった精油があるんだけど、朱花、あなた使わないかしら?」

「・・・精油?」

 部屋を出て歩く紅雲の歩みに従って視界が僅かに揺れる。こてんと首を傾げると、水燕がにっこりと口の端を持ち上げた。

「ええ、イランイランっていう花の」

「必要ない」

「私はあなたには聞いてないわよ、坊や?」

 喰い気味に拒否した紅雲に、水燕は妖艶な笑みを浮かべる。彼女と初対面の人間ならばその笑みに赤面したりするのだろうが、今日一日とはいえ水燕と関わった朱花には水燕のその笑みが何か企んでいるようにしか見えなかった。

 とてつもなく、嫌な予感がする。

「甘い香りがして、安眠効果があるわ。肌にもいいし、殺菌作用もある。どう? 使ってみない?」

「こいつには必要ないって言ってるだろが」

「だからあなたには言ってないわよ。そう邪険にしないの。──大体、あなたにも良いこと尽くしじゃない」

 ふふふっと艶っぽく笑う水燕と顔をしかめる紅雲の様子に、何が何やらわからない朱花がわかったことと言えば、丁重にお断りするべきだということだけだった。


ヒロインは自力でどうにか出来ちゃう系女子でした。自分の身くらい自分で守れるよ!

あれ、これヒーロー必要ないんじゃn((殴


イランイランに関しては興味ある方は調べてみてください。安眠効果もありますがウフフな効果もあります。だから朱花が使うと紅雲にもいいことづくし(意味深)なんですけどね←

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