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お待たせしました。はこび屋Ⅱ4話目更新です!
ひと月以上間が空いてしまった(´;ω;`)
正直な話、朱花は母親似で精巧につくられた人形のような容姿をしている。名に持つ花から連想するのはまさしく、立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花だ。その言葉がぴたりと当てはまるような端整な容貌は、どこにいても人目を引き、一歩間違えれば犯罪に巻き込まれかねない。
そんな事態に陥らないためにも閉じ込めて隠してしまうのが最善だと、最近は狂人に近い考えが脳裏を掠めるのだ。
それなのに。今現在の朱花はと言えば、よりにもよって欲を隠そうともしない男どもの視線の先でいつもより露出の多い衣装を纏い、これまた普段のようなあどけない笑みではなく口の端を意図的に持ち上げて目を細める妖しい笑みを浮かべている。本人に自覚があるのかは知らないが。
「あらあら、本当にお気に入りの子なのねぇ。怖い顔しちゃって」
「誰のせいだと思ってやがる」
ちっと不機嫌を隠さないまま舌打ちとともに呻けば、昔から付き合いのある水燕はきょとんとした後にぃっと口角を上げた。
「愉快ねぇ、坊や。あなたがそんなに余裕のない顔をするなんて」
「・・・・・・なんであいつを巻き込んだ」
「あらぁ・・・巻き込むだなんて人聞きの悪い。倒れた子が複数いて手が足りてないっていうのは本当よ?」
「他にもあるだろ」
「そうね。強いて言うなら少し離れて頭を冷やして方がいいと思ったからかしら」
「・・・・・・」
「独占欲、執着、嫉妬、庇護欲。恋情には色々付きまとうけど相手に依存しすぎるのは駄目よ。脆くて壊れやすくなるわ」
恋情に付きまとう感情を指折り数えて、妖艶な妓女はふと表情を艶めかしいものから慈愛に満ちたそれへと切り替えた。
「共依存はもっと駄目よ。どちらかが壊れると残った方も壊れる。負の感情が働くまでは幸せかもしれないけれど一度負に走ったらそこでもう終わり。ここまで来るともう狂人の域ね」
正直に言うけれどあなた、堕ちそうなんでしょう?
そう続いた言葉に、紅雲は僅かに笑った。
この短時間でそこまで勘づくなんてさすがの観察眼だ。
「・・・さあな、堕ちそうなのかすでに堕ちてるのか。どちらにせよ、あれが離れていくのを考えるだけで狂いそうだ」
「・・・・・・それはもう堕ちているのよ」
「かもな」
いつ堕ちたのか。〝初めて会ったとき〟か〝再会したとき〟か。はたまた彼女の性格を見ていく〝過程〟でか。どちらにせよ、自分はもうとうに狂って堕ちている。
(じゃないと対価だ何だと傍に縛りつけたりはしないな)
朱花を今の柏家から引き剥がし自由を与えたのは、彼女の両親が彼女に自分で道を選ぶことを望んでいたからだ。それだけで今までの恩が返せたとは思っていないが、空っぽになった恩人の娘に衣食住を保障してやる義理なんてない。──その娘に対して紅雲が何も思っていないのなら。
「・・・・・・紅は当分禁止だと言ったはずなんだがな」
視線の先にあるのは給仕係に励む朱花の姿。くるくると動き回る彼女を目だけで追いながらぼそりと零した呟きに、水燕が肩を竦めたのがわかった。
***
透き通るような白い肌に、たっぷりと水分のある黒髪。肩を超えるほどの長さになった黒髪は高い位置でゆったりと結われ、白い首筋がちらちらと見え隠れしている。元の造りが整っているからか薄い化粧だけでも十分に映えるし、唇に刷かれた紅は相変わらず蠱惑的だ。化粧をするだけで幼さが消え、普段の彼女を見慣れているこちらからしてみれば別人を見ているようでどうにも落ち着かない。
(・・・苛つくな)
朱花が動き回るたびに衣装の袖がふわりと揺れ、それを無意識に追ってしまう自分がいる。
ぼーっと観察しているうちに水燕はどこかへ行ってしまった。おおかた客に呼ばれでもしたのだろう。
輸入品であろう切子のグラスに入っているのは酒ではなく紅茶だ。下戸どころか酒は好きな方だが、気分じゃないために紅茶にしてもらった。それを呷りつつ朱花から視線を外し、ぐるりと周囲を見渡す。
そして不快気に眉を寄せた。
(・・・甘ったるい)
先ほどから鼻腔をくすぐる不自然に甘ったるい匂い。毒々しい花の匂い。
『よお、おひとりかい』
思わず匂いの根源を探るように首を回したときだ。低い声が耳慣れない言葉を紡ぐ。同時に腰かけていた長椅子が僅かに軋んだ。
「お、悪い悪い。つい癖でな。おひと」
「繰り返さなくていい。聞こえていた」
耳慣れないだけで知らない言語ではない。相手の言葉を遮って伝えると、褐色の肌をした壮年の男は驚いたように目を瞠った。
『へえ、若いのに凄いな。俺の言葉がわかるのか』
「存外疑り深いな。肌の色とその言葉。隣国の猿藤国と国交のある蒼葉国の人間か?」
「・・・驚いたな」
わざとらしく母国語で問いかけてきた男にニヤリと笑って返すと、絶句した男は感嘆の声を出す。
「まさかここに蒼葉の言葉がわかるやつがいるとは」
「うちと蒼葉は交易がほとんどないからな。・・・日常会話程度なら話せるさ」
「へえ、聞くだけじゃなく話すこともできるのか。見たところ普通の商人にしか見えんのだがなぁ」
「しがない商人だよ。言葉がわかるのはまあ、色々とな。昔世話になった恩師に叩き込まれたというかなんというか」
恩師とは言わずもがな、朱花の父親である前柏宰相のことだ。
王族として生きるにせよ、今のように一春翔国国民として生きるにせよ、選択をするまでに必要なことは教えられてきた。選択の糧となるように。
ちなみに、先の現柏家との騒動で、追っ手をひとり叩きのめした紅雲だが、戦闘に関しても叩き込んだのは前柏宰相だ。かなり厳しくしごかれたが。
当時の様子を振り返って思わず苦虫を噛み潰したような顔になった紅雲だが、蒼葉の男は興味を持ったようだ。春翔国国民にはない褐色の肌に覆われた顔を笑みに歪ませる。
「ははは、ますます気になるな! 俺は楽徴陰だ」
「・・・蒼葉の人間は、確か名と姓の位置がうちとは逆だったな。ということは、姓が徴陰で名が楽か」
「ああ、そうだ。本当によく知っているな。・・・名を聞いてもいいか?」
「紅雲だ」
足を組んで頬杖をつき、さり気なく視線を滑らせて給仕係の居場所を把握する。目の届くところにいてもらわないと、胸がざわついて落ち着かないのだ。
(・・・ほんと、自分でも呆れるくらいに過保護だよなぁ)
確かに朱花の容姿は男の庇護欲をそそるものだ。だが中身は外見にそぐわない。外見詐欺だと言えるほどのお転婆ぶりで、目が離せないと言えば確かにそうなのだが、それはどちらかと言えば幼子に対して抱くものに似ている。要は、彼女はどこか危なっかしいのだ。
「なるほど、紅雲か。どう呼ぶべきだ? 紅か? 雲か?」
「は・・・・・・?」
一瞬、何を言われているのかわからなかった。
何故名を分けた、と考えかけて、姓を名乗っていないことに気づく。
(・・・名乗る必要は特にないか。そういや朱花にも姓は教えた記憶がないな)
そもそも紅雲という名ですら、親から賜った正式な名ではない。
そしてやはり、そちらも朱花には教えていない。
(教える必要はないか。これから使うこともないだろうし)
「好きなように呼んでくれ」
「そうか? なら紅だな」
ややなげやりな口調を気にもせず、徴陰がからりと笑う。少しだけ濁った声が紡いだ「紅」という音に、紅雲は無意識に眉を顰めた。
好きなように呼べと言っておいてなんだが、やはり呼称は指定しておくべきだったとさっそく後悔し始める。
(・・・相変わらず、嫌な響きだな)
名の一部の「紅」という字が、紅雲はあまり好きではない。紅は赤系の色だ。赤は、彼に嫌なものを思い出させる。──十六年前の、あの惨劇を。
床を撫でたのは赤い炎だ。触れたところ、舐めたところからすべてを燃やし、辺りは瞬く間に火の海になった。倒れ伏した両親の体から流れ出るのは、生暖かい赤。止まることを知らない赤は、両親の命の灯を確実に弱らせ、果ては掻き消した。
赤は、一瞬ので何もかもを奪うものだ。だから紅雲は赤が──
──〝あか、きらいなの?〟
耳朶に響いた声にはっとした。甲高くて幼い声だ。それを持つ者は、今の紅雲の周りにはいない。
今は、もう少し大人しくて大人びていて、それでいて無邪気で。
──〝あかにはね、しゅるいがあるの。おかあさまがそういっていたの。ねえ、しってる? あなたのあかは、くれないっていうの。おそらのあかなんだよ〟
そう言われたとき、自分はなんて返したか。確か、「知ってるよ、そんなこと。空の赤だろうがなんだろうが赤は目にきつすぎる」だとかなんとか。
(我ながらまったく可愛げがない)
五つも下の、まだ幼い子どもに言う言葉ではなかったのに。大人げない。
あの時は確か、無償に苛々して、夕焼けを見て目を細める幼子の姿すら癪に触って、大人げなくも幼子に食って掛かったのだ。
つっけどんな少年の言葉にあの子どもはしばらくきょとんとした後、「でもおそらにはふわふわのくもがあるもの」だなんて訳のわからないことを言い出した。
懐かしい記憶に苦笑が漏れる。無知で無垢でどこまでも純粋なあの大きな眸に、どこまでも大人げのないことを並べ立てたあの頃の自分は、きっと反抗期だったのだ。
「どうした? 紅?」
苦い笑みを浮かべた紅雲に、置いてけぼりを喰らった徴陰が眉間に皺を寄せる。それに「なんでもない」と返して笑みを収め、紅雲は唐突に切り出した。
「さて、楽徴陰。その懐から見え隠れしてるのはコカの葉かい?」




