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はこび屋  作者: 一朶色葉
episode2
10/17

ひと月振りの更新です

お待たせいたしましたm(_ _)m

​ 妓館立ち並ぶ花街桜夢では、建物も街を歩く妓女たちも華やかな装いをしている。

 まだ日も沈んでいないというのに人口密度が高く、そしてやはりというか客は男ばかりだ。日の高いうちは賑やかな喧噪に包まれ、日の沈んだ後は妖艶な雰囲気を纏う花街にあって朱花は──


「お冷やのおかわりお持ちいたしました」


 何故か妓女の華やかな衣装を纏い、給仕係に励んでいた。




***




 どうしてこうなったのか。そう問われれば、今の朱花には顔を引き攣らせることしかできない。

 事の始まりは桜夢にある目的の妓館についてから起こったやりとりにある。

「あらあら。しばらくぶりねぇ、坊や。ぜーんぜん会いに来てくれないから心配してたのよ?」

 媚びるような甘ったるい声はどこか気怠げで、不思議な艶めかしさを含んでいる。そういう仕様なのだとわかりきっている紅雲は盛大に顔をしかめたが、妓館初訪問である朱花はそれがわからずにただ目の前の美しい女に見惚れていた。

 剥き出しの華奢な肩。細い首筋。結われた黒髪はたっぷりとしていて、肌は透けるように白い。切れ長の目に、赤い紅を刷いた唇。その近くにある小さなほくろが色気を大幅に増量させている。未だ幼さの残る顔立ちの朱花とは違い大人の女の色気を充分に持った美しい妓女は、柳夫人の友人だという。今回の依頼は、この妓女から荷を受け取り夫人の元まで運ぶことだ。

(同じ女なのに・・・この違いは何なのかしら・・・)

 ふふっと笑う妓女をぼけっと間抜けな顔で見つめていた朱花は、唐突に紅雲に腕を引かれて彼の背後に隠された。桜夢に入ってからというもの、朱花の右手はずっと紅雲の左手に繋がれている。拐かし防止のための処置なのだが、紅雲は不用意に朱花を怖がらせないために「迷子防止のための対処策だ」と伝えている。言わずもがな、小さな子どもに対するような扱いに頬を膨らませた朱花だったが、宥めるように頭を軽く叩かれたことによって機嫌はあっさり回復した。何とも安上がり、もとい単純な女である。

 挨拶もまだなのに早々に紅雲の背に庇われた朱花は抗議のために口を開くも、何故か剣呑な顔をしている紅雲と余裕綽々の笑みでむしろ挑発しているように見える美しい妓女との一触即発な空気に圧され、渋々口を閉じた。

 しばらくの間殺伐と睨み合っていたふたりだったが、先にその無言の重圧から朱花を解放したのは妓女の方だった。紅雲の背に庇われている朱花を覗き込んでにっこりと男どもを悩殺する笑顔を浮かべた彼女は、口元だけは笑みを絶やさずに「ずいぶん愛らしい子をつれているのね」と声だけで拗ねたように言う。そして漆黒の目をきらめかせ、爆弾を落とした。


「ねぇ、あなた。うちで働かない?」

「はい?」


 突拍子もない言葉に疑問符が頭の中を飛び交う。そんな朱花の状況を知ってか知らずか、妓女は朱花との距離を詰めて「ありがとう、嬉しいわ」と微笑んだ。

(え。・・・え?)

「あ、あの・・・」

「よかった。最近うちで風邪が流行ってて人手が足りなかったの」

 思わず「それは大変ですね。ご養生ください」と言いかけた朱花は悪くないと思う。我に返った朱花の脳内は大混乱だ。

(え!? 待って私いつ了承したかしら?)

 頷いていないはずなのに、妓女の中では朱花が働く方向で話がまとまっているらしい。慌てて誤解を解こうとしてはっとした。もしかしなくても働かないかという問いに対して朱花が返した「はい?」という問い返しを了承だと受け取ったのか。

「え、あの、すいませ」

「ふふ、嬉しい。あなたなら絶対に売れるわ。そうねぇ、取り合えず風邪引いちゃってる子が戻ってくるまでが仮契約期間としましょうか。そこまでの客入りの状況で本契約するかどうかを決めましょう」

(だめだこの美人さん全然話を聞いてくれない!)

 ぽんぽんと勝手に進んでいく話に朱花は呆気にとられる。同じように唖然としていた紅雲のほうが朱花より復活が早かった。

「おい。こいつは俺の連れなんだが?」

「あら。でも本人は了承してくれたわよ?」

「してねぇだろ。勝手に話進めるな」

「ねぇ、知っている? 独占欲の強い男って鬱陶しいの」

「鬱陶しくて結構。勧誘なら他を当たれ」

「嫌よ。久しぶりに当たりの子が来てくれたんだもの。・・・いいのかしら? 依頼の遂行ができなくなっても」

 依頼の遂行。その単語を聞いてはっとしたのは朱花だ。「別に」と言いかけた紅雲の言葉を遮って一歩前に踏み出し、妓女の両手を握りしめる。

「お手伝いします! ええと・・・さすがに契約とか一週間とかは無理ですけど、今日だけなら」

(依頼がふいになるのは避けたい・・・!)

 金銭面もだが、依頼してきた依頼人に一度受けた仕事を断るのは避けたいのだ。積み上げてきた信用は、小さな失敗で脆く崩れる。

 ぎゅうっと手に力を込めるて目で訴えると、熱意が伝わったのか妓女は口を尖らせながらも渋々頷いてくれた。

「・・・まあ、いいわ。じゃあ、今日だけね」

「はい!」

「気が変わったらいつでも言ってね」

「それは・・・」

 言葉を濁しながら曖昧に頷く。気が変わることは絶対ないだろう。だってここで働くとなると離れないといけなくなる。──何ととは言わないが。

(とりあえず、今日一日頑張れば柳夫人に荷を届けられるのよね。・・・よかった)

 そうほっとしたのも束の間だ。納得していない人物が壁となって立ちはだかるのだから。


「朱花?」


 絶対零度の呼びかけに、思わず「ひぃ」と声を上げそうになった。おかしい、春ももうすぐ終わりで暖かくなってきたはずなのに、体を包む空気がひんやりとしている。

​ 名を呼ぶ低い声には抑揚がまったくない。ついでに感情も抜け落ちたかのように淡々としている。今までに聞いたことのない声音にこれはまずいと内心震えながら振り返り、朱花はびしりと固まった。

 ──見たことないほど爽やかな笑顔を浮かべた紅雲がいる。

 整った顔に浮かんだ笑みはどことなく高貴でまるで童話に出てくるどこぞ王子様のようだ。いや実際に彼は絶たれたと思っていた王族の血脈で、先の戦がなければ今頃は皇太子、はたまた即位して王位についていてもおかしくない正真正銘の王子様なのだが。わかっている、これは完全な現実逃避だ。

 状況を知らない人間の心を射とめそうなほどの笑顔だが、その目は一切笑っていない。朱花もこの状況でなければ見惚れていただろう。あくまでもこの状況でなければ。

「え、あの紅雲さ」

「朱花」

 にっこり。端整な顔に浮かぶ笑みが深まる。

「最近俺も歳らしい、耳が遠くてな。よく聞こえなかった。お前、ここで何するって?」

(歳!? 紅雲さんって確か私より五つ上の二十二だった気が・・・・・・って怖い怖い怖い!)

 耳が遠くなったなどと宣う彼にひとつ言いたい。こんな年寄りがいてたまるか。

「え、えっと・・・・・・」

「ん? ここで、何を、するって?」

「・・・・・・・・・っ、ここで、は、働くって・・・」

「ああ、悪い。やっぱり耳遠くなったみたいだ。ここで、の後からが聞こえない」

 一切笑っていない視線から逃れるように下を向けば、無骨な手によって顎を持ち上げられる。悪足掻きで視線を逸らせば彼の口元の笑みが深まると同時に眸の鋭さが増す。

(に、逃げ・・・られない!? え!? いつの間になんで腰捕まえられて・・・!?)

 無意識に一歩身を引こうとして気づく。いつの間にやら腰に回されている紅雲の腕。朱花が逃れようとするたびに引き寄せられて、逃げようとすればするほど彼との距離がなくなっていく。近い、などと思う心の余裕もなく、朱花はびしりと石化した。

 まさしく蛇に睨まれた蛙だ。睨まれるどころではない。巻きつかれて逃げ場すら奪われる絶対絶命の危機だ。

 もう謝って発言を撤回したほうが良いのではないのか。それだけが自分の身を守る唯一の方法だろう。彼の怒りの原因なんて皆目見当もつかないが、それを聞くのはためらわれる。まさに藪をつついてなんとやら。

(・・・やぶへびはねがいさげだもの・・・・・・もうあやまろうあやまったほうがいいようなきがしてきた)

 腹を括って「ごめんなさい」と言おうとするが、そうは問屋が卸さない。

「ねえ、いつまで見せつけるつもりかしらぁ?」

 鼻にかかったような甘ったるい声は、今この場に居合わせた面子の中でひとりにしか当てはまらない。

 妓女の方に顔を向けようとして顎を掴んだままの紅雲の手に阻まれる。さらに腰に回された腕の拘束も強まった気がする。にっこりとした笑みを崩さないまま妓女を見やった紅雲から「ちっ」という舌打ちが聞こえた気がしたが気のせいだと思いたい。

「邪魔すんな」

「やぁねぇ、妓館の前で見せつけてくれちゃって牽制のつもりかしら。その子が手伝ってくれるって言ったのよ? 女に二言はないわよねぇ」

 華奢な手によって拘束から解放され、ほっと息をついたのも束の間だ。眸の奥に苛烈な光を湛えた目に脅され──もとい同意を求められ朱花には頷くという選択肢しか残されていない。首がちぎれるほどに首肯すれば背後で極寒の冷気が強まった気がした。

 前門の美女、後門の紅雲だ。頼むから間に挟まないでほしい。

「そんなに怖い顔しないの。別に今日一日だけの子にお客を取らせることはしないわよ?」

「どの口が」

「安心なさい。坊やがここまで執着する子をどうこうしようとは思わないわよ。ふふっ後が怖いものねぇ」

「おいこら。さり気なくそいつ連れて行こうとするな」

「あなたのお仕事のために私たちの手伝いをしようだなんて随分健気だもの。そんな女の気遣い、──無下にするなんてできないわよねぇ」

 朱花の背を押して妓館に導きながら、ぐっと言葉に詰まる紅雲に妓女はうっそりと微笑んだ。赤く紅を佩いた唇が意図的に三日月に歪められると、妖艶というよりはどこか不気味だ。

 それでもなお食い下がろうとする紅雲に、朱花から離れた妓女はその衿元を引っ掴んで彼の耳元に唇を寄せた。

「・・・・・・そんなに心配なら店でお酒でも飲みながら見守ってあげなさいな」

水燕すいえんっ・・・!」

 どこか焦ったように妓女の名を呼ぶ紅雲の声に、朱花の胸が微かに痛んだ。


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