34 墓標(ヘザー視点)
贅を凝らした玄室の、同じく贅を凝らした棺の蓋は、固く打ちつけられていた。
カイルは革靴から小剣を取り出すと、その刃先を蓋と棺の隙間に潜らせ、力を入れて、次々と釘を引き抜いていった。
全ての釘を外すか弛めるかすると、躊躇う様子もなく、蓋を押し開けた。
蓋は飾りの豪華さゆえか、見た目よりも重量があり、石の床に落ちると派手な音を立てた。
「カイル……!」
三十年前の遺体なら、とっくの昔に白骨化しているだろう。そう覚悟して覗き込むと、予想に反して人の姿をしたそれが現れた。
生前の面影を偲ぶには至らないが、驚いたことに皮膚があり、髪もかなりの量が残っていた。
「……酷いことをする」
カイルが呟いた。
「都合よくこんなに綺麗に残るはずがない。……防腐処理でも施したのでしょう」
骨と皮だけの左手の薬指に、きらりと光るものがあった。極めて腐食に強い白金の指輪は、ほとんど痛みもなく、三十年前の輝きを保ったまま、燦然とその存在を主張していた。
カイルは、それを遺体の指から外すと、目の前にかざした。
「エミリアからレアトへ」
裏側に刻印された、小さな文字。
エミリア夫人が持っていた指輪の、長らく行方の知れなかった、片割れ。
「ようやく静かに眠れますね」
息子が、父に語りかける。
まったくだ、と答える声が、何処からか聞こえた気がした。
遥か後方から、ざわめく気配が近付いてきた。
硬い石畳を踏み叩く軍靴の音。あっちか、こっちだ、と叫び合う人の声。どんどん、と、あの重い金属扉を誰かが不用心に殴りつけている。
甲高い悲鳴が上がり、ついで轟音が私たちのいる玄室までも揺るがした。
「誰か完全に壊しましたね……」
カイルが呆れたように溜息を吐く。
「やだ、出られなくなったらどうしよう」
心配は杞憂だった。
すぐに、たくさんの騎士らが隠し扉のこちら側に雪崩れ込んできた。壊れて閉じたのではなく、どうやら、開いたまま閉じなくなったらしい。
彼らが身に付けているマントの留め具の模様は、三つ首の鷲だった。三公爵家の紋章だ。この鷲の頭上に王冠があれば、それは王家の紋章となる。
この時の鷲は、王冠を戴かない代わりに、鋭い鉤爪に剣を持っていた。これはメルトレファスの紋章。ちなみに、剣が盾であればエジンヴァラ、珠であればアルムグレーンとなる。
「思ったより元気そうだな、カイル。何よりだ」
先行した騎士らの後から、悠然と現れたのは、メルトレファス公爵閣下。
まさか御大将自らお出ましとは予想だにせず、度肝を抜かれた。慌てて頭を垂れる私に、公爵様はちらりと目をやり、
「どうやってここに入ったんだ……」
当然の疑問を口にした。
「アルムグレーン公の遺体の隣を、ほふく前進で通り抜けてきました」
カイルは、隠すどころか明らかに面白がっている顔つきで、それに答える。
……よくも喋ったな。二人きりになったら、たっぷり仕返ししてやる。
公爵閣下と言えば、え、と軽く目を見張り、
「マリーも時々信じられん事をするが、ヘザー殿もかなりのものだな……」
「おかげで目が離せません」
「お互い苦労するな」
「まったくです」
男二人で、うんうんと頷き合う。何だ、その割り込めない空気は。
この時、私は心に決めた。
……後でマリーに言いつけてやる。二人とも、奥方様を怒らせたら大変な目に遭うということを、その身をもって知るがいい。
「……これは?」
公爵様が、棺に歩み寄った。騎士らが踏み込んでくる前に、カイルが素早く蓋を被せたので、中は見えなかった。
「私の父です」
驚くべき言葉のはずなのに、公爵様は何ら動じる様子を見せない。そうか、と頷き、短く黙祷を捧げた。彼もまた、カイルの出自について知っているようだった。
カイルが自分の血筋に疑問を抱く切っ掛けを作ったのは……公爵様だ。
(お前、なぜ、金緑石の金の部分を持っている?)
その理由を、公爵様は公爵様なりに調べたのかもしれない。
彼の力をもってすれば、亡き王太子の希少なる血が、密かに、子へ、孫へと伝えられていた事実を知ることは、そう難しくはなかっただろう。
「棺ごと運び出してくれ。慎重にな。……絶対に蓋を動かすな」
公爵様が、メルトレファスの私兵に命じた。六人もの騎士が棺を取り囲み、底面に手を添え、それを持ち上げた。更に二人の騎士が、蓋がずれないように上から押さえた。
脆い壊れ物でも扱うかのように、ゆっくり、ゆっくりと、彼らが歩き始める。
「ところでカイル」
「はい」
「お前、最悪、アルムグレーンと刺し違える気だっただろう」
「……いきなり何ですか」
「なぜ一人で動いた」
「そうですね……。つい思わず」
「何が思わずだ。大嘘つきめ。……お前が一人で行ったと知って、俺とヘザー殿がどれほど肝を冷やしたかわかるか」
「申し訳ございません。ですが、命くらい掛けないと、三公爵家アルムグレーンは止められません」
「お前がそこまでする必要があったのか」
「誰かがしないと、あの一族は同じことを繰り返します。……延々と。私はそれを断ち切りたかった」
「アルムグレーンは責任もって俺が処理する。だから……二度とするな」
「先程、ヘザーにも言われました。誓います。二度としないと。いえ……もう、する必要がなくなりました」
マードック辺境伯への殺人未遂、禁制品である銃の所持と使用(銃の所持使用は、国家反逆罪や弑逆未遂罪が適用されることもあるため、重罪である)、クラウザー男爵家四男の誘拐と傷害……。
他にも、きっと叩けば山ほど埃が出てくるに違いない。メルトレファス公も、今度こそアルムグレーンを許す気はないと断言した。
そもそも、かの家の直系はついに絶えた。その時点で、カイルは望みを果たしたと言っても良い。
マードック辺境伯がアルムグレーン公爵の命を奪うという、庇いようのない最悪の事態も回避できた。愚かな公爵は、銃を暴発させた挙句に自分が作ったカラクリ扉に挟まれ、勝手に自滅した……。
「私は父に助けてもらったのかもしれません」
「お父様?」
私は首を捻った。カイルの父君は棺桶の中だ。死者に生者は守れない。
カイルの命を救ったのは、彼自身の判断力と強運だ。巧みにニールを誘導し、その誘導したニールと救出したリオンが鉢合わせるように仕向けた。その後は……すべて私が知る通り。
「幽霊に助けてもらったとでも?」
「はい」
「それが公式を駆使する数学者の言う言葉?」
「公式に当てはまるものなんて、世の中にほとんど無いと思いますよ」
お父様の棺が、玄室をついに出た。
物言わず、カイルはただ黙ってそれを見送っていた。




