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Anagram  作者: 宮原 ソラ
33/37

33 墓標(ヘザー視点)


 変わった造りの霊廟だと思った。

 一際背の高い本堂の周りに、それよりも小さな建物が不規則に繋がっている。建てられた年代も建築様式もばらついて一貫性が全く無かった。後から無理矢理増築したものであるのは、明らかだった。

 表門以外にも裏口があった。廟の管理や修繕を行う作業員たちの出入口だろう。

 小さな扉を開けると、いきなり白目をむいて転がっている死体に出くわした。傷は胸に一太刀あるだけ。相当な手練れに一撃で葬り去られたようだった。

 カイルの仕業だろう。公爵閣下が「あいつは俺より強いぞ」と誇らしげに語っていたのを、唐突に思い出した。

「カイル」

 弱くたっていい。

 こんな危険なことをされるくらいなら、弱い方がいい……!

「人を散々心配させて。会ったら一発ひっ叩いてやる!」

 憤然と死体を跨ぎ越し、私は廟の中に飛び込んだ。






 ステンドグラス越しに、色を帯びた光が降り注いでくる。

 厳かな光景のはずなのに、何となく薄気味悪く感じてしまうのは、そこが教会ではなく墓場だからだろう。

 中はとにかく広かった。大声で彼の名を呼んでみたが、返事はない。緊張と焦りで胃が縮みそうだった。

「カイ……」

 ル、と言い終わらぬうちに、何かの衝撃音が轟いた。霊廟の内部に反響して、木霊のように、音はしばらくそこに留まっていた。

 ひどく嫌な予感がした。衝撃音の後に今度は轟音が続き、方向はすぐにわかった。腰が砕けそうになるのを堪えながら、とにかく走った。間もなく音の発生源に辿り着いた。

 通路の行き止まりの壁がわずかに持ち上がり、恐ろしいことに、そこに人が挟まれていた。

 それがカイルでないのは、すぐにわかった。

 彼はいつも黒っぽい服を着ている。今朝、最後に見た時もそうだった。

 だけど、死体は廟に嵌め込まれたステンドグラスのように華やかな格好をしていた。

 正視するのは怖くてたまらなかったが、確かめた。そうせずにはいられなかった。

 大丈夫。カイルじゃない……。

「カイル!」

 扉を叩いた。周囲の壁と同じ色をしていたが、掌に伝わってくる感触は、ひんやりと鉄のそれだった。


「カイル!」

「ヘザー?」


 分厚い扉の向こうから、唐突に、カイルの声が聞こえた。

 足元に死体が転がっているのも忘れて、安堵のあまり座り込みそうになった。


「いるのね? そこにいるのね!? 無事なのね!?」

「無事です。貴女こそ、よくここが……。ニールが上手くやってくれたようですね」

「はい? ニール? なによ、ニールに何か頼んでいたの!? 聞いてないわよ。あいつ、そんなこと一言も……!」

「いえ。違います。私の後を付けているのがわかったので、見失わないように付近まで誘導したのです。上手く動いてくれたようですね」

「……こっ」

 私は思い切り息を吸い込んだ。

「この馬鹿あっ!」

 なんて奴なんて奴なんて奴!

「お怒りのところ恐縮ですが、もう一つだけ」

「何よ!?」

「リオンは無事ですか? 足の怪我だけが心配だったのですが」

「無事よっ! 重傷だけど、命には別条ないわよっ!」

「そうですか。それはよか……」

「いいわけないでしょ! 私がどれだけ心配したと思ってるの!」

「……申し訳ない」

「今、そっちへ行くわ。一発引っ叩かせて。覚悟しておきなさい!」

「え」


 私は死体のすぐそばに跪いた。なるべくソレを見ないようにして、床と扉の隙間に頭を突っ込んだ。肩は抜けた。少し胸がつかえたが、何とか腰まで向こうに出た。

 問題は……お尻だ。もう少し痩せておけばよかったと、こっそりと後悔した。驚き唖然としていたカイルが、にわかに正気付き、私の腕を掴んで引っ張ってくれた。

 無事、全身が扉の下を潜り抜けた。

「何をやっているんですか、貴女は! もし扉が何かの拍子にまた動いたら……!」

 ものすごい剣幕で怒られた。

 私の方が怒ってやるつもりだったのに、一発殴るどころか、無事な彼の顔を見た瞬間全てがどうでも良くなって、私は無我夢中で婚約者の男にしがみついた。

「カイル……!」

「ああ、もう。信じられませんよ。どこの世界に死体の隣でほふく前進する令嬢がいますか!」

「だって仕方ないでしょ。それしかこっちに来られないんだから」

「こちらに来ないで、おとなしく向こう側で待っているという選択肢はなかったのですか。全く……!」

「何よ! 元はと言えば、カイルが何も言わないで一人で行ってしまうからでしょ!」

「それとこれとは話が……」

 ああ、まずい。怒らせた、と思った。

 女に手を上げることは無いと確信できるので、それについては心配していないが、単純に、カイルは怒ると迫力が半端ないので怖い。

 顎を持ち上げられ、唇を塞がれた。甘さはなく、噛み付くように乱暴な口付けだった。私を黙らせるためだけの、罰のような行為だとわかってはいても、体は素直に喜び疼いた。

 時間にしては大した長さではなかったが、彼の唇が離れた時、私は何だか全力疾走した後のように荒く息を繰り返していた。

「す、凄むか、キスするか、どっちかにしてよ!」

「そんな器用に分けられません」

「近くに死体もあるんだけどっ」

「そうでしたね。忘れていました」

「わっ……!」

 なんという鋼鉄の胆力だ。忘れるか、普通。

 こんな奴を引っ叩いてやろうと意気込んだ自分の無謀さが……いっそ愛おしい。

「……来てしまったからには仕方ありません。行きましょうか」

「行くってどこへ?」

「この先の玄室です」

「玄室?」

 階段の先の薄闇に目を凝らした。通路は窓もなく暗かったが、カイルの言う玄室とやらには明り取りの手段があるらしく、そこからぼんやりとした光が漏れていた。

「玄室なんて行ってどうするの。アルムグレーンの御先祖がいるだけでしょ?」

「いえ……」

 カイルが私の手を取って歩き始めた。

 見えにくい段差を私が踏み外しても、自分が支えになれるように、少しだけ私の前を進みながら。

「あまり無茶はしないで下さい。貴女が危険にさらされるのは、私にとっては銃口を向けられるより恐ろしい事なのですから」

 それはそっくり私の台詞よ、と言い返すより早く、心情を察したように、カイルが再び口を開いた。

「私も、二度と、貴女を心配させるような真似はしません」

「……約束してよ」

「はい」

「破ったら許さないわよ」

「針を千本丸呑みしますよ。約束します」

「本当によ。二度としないで」

 階段の先に、曲がり角があった。それを折れると、唐突に、目の前が大きく開けた。


「玄室……?」


 墳墓と言うよりは、教会の礼拝堂のような作りだった。面積は決して広くはないが、高さがある。

 霊廟のどの場所よりも、とび抜けて豪華な仕様になっていた。壁と天井に隙間なく色鮮やかな漆喰画が描かれている。聖母から生まれたロクシエルが神へと生まれ変わる聖書の物語を、順を追って表していた。

 ステンドグラスは無いが、天井付近の壁に等間隔に小さな窓が嵌められているので、中は驚くほど明るかった。


「棺?」


 奥は祭壇のような造りになっている。

 細かな彫刻を施した三段の低い階段があり、その上に、ロクシエルの像の代わりに棺が安置されてあった。

「……」

 しばらく無言で眺めやっていたカイルだったけど、意を決したように、棺の蓋に手をかけた。


「ヘザーは見ない方が良いと思います。少し下がっていて下さい」

「誰の棺? アルムグレーンの祖ではないのね?」

「たぶん違うと思います」

「……誰の?」

「私の予想が正しければ……恐らく、父の」

「お父様?」

「私の実父レアトは、五十年も前にフェルディナンドを出奔したアラステア王子の遺児なのだそうです」

「……」


 どうして、この人は、とんでもない秘密を「いい天気ですね」とでも挨拶するような口調で淡々と言うのだろう。

 聞く側の心臓と神経の丈夫さも、少しは考慮に入れて欲しい。


「カイル」

「はい」

「その重要な話、一から私に教えてもらってもいいかしら」

「少々長いですよ」

「いいわよ。どうせ時間はたくさんあるし」

「ここを出てからゆっくり話そうと思っていたのですが」

「先に聞くわ。そして、棺の中のお父様に一緒にご挨拶するわ」

「……わかりました」


 ニールからユージン様に、上手く話は伝わっただろうか。

 あの子は自分で言うよりずっと賢い少年だから、意外にもう公爵様の手配した騎士団が、こちらに向かっているかもしれない。

 棺の中身が本当にカイルのお父様なら、彼もここから出してもらおう。

 アルムグレーンの墓所なんて、一秒だって居たくないに違いない。まだ長い長い悪夢の全貌を聞いたわけではないけれど、レアトがこの場に葬られている理由だけは、何となく見当が付いた。


「行きたかったでしょうね。エミリアさんと、エミリアさんのお腹にいる、カイルのところに」


 でも、もし、彼がエミリアさんの所に行っていたら、カイルは間違いなくフェルディナンドにはいなかった。

 クヴェトゥシェ人として生まれ、クヴェトゥシェ人として育ち、そして、いつかは身近にいるクヴェトゥシェ人の女性を愛し、当たり前の家庭を築いて……。

 亡き人を前にして、こんな邪なことを考える私は、やはりろくな人間ではないのだろう。

 申し訳ありません、お父様、と心の中で懺悔した時、


「どこで生まれ育っても、私は、結局、ヘザーに会って……そして、惹かれていたように思います」

 

 多少の身分差どころではないので、そうなると、かなり前途多難な駆け落ち騒動、もしくはフェルディナンドの大貴族を敵に回しての令嬢略奪に発展していたでしょうねぇ、と、カイルは、いつもの飄々とした調子で呟いた。

 「もし」も「たら」も、だから、そんな話は要らないと。


「どこから話しましょうか……」




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