32 Anagram(カイル視点)
廟の中は、ひんやりと冷たかった。もっと澱んだ空気を想像していたのだが、古くさい見た目とは裏腹に、換気の設備が充実しているらしかった。
フェルディナンドの廟には、二種類ある。
祖先の霊を祭るだけで遺体の安置は別の場所にしているものと、そこがまさに墓所であるものと。
アルムグレーンの巨大な霊廟は、後者のようだった。張り巡らせた通路の先々に、よく手入れされた墓標が無数にある。堅固な石造りだが、天井には漆喰画、壁の上の方にはステンドグラスと、まるでどこかの宮殿のような壮麗さだった。
自分が死者なら、もう少し静謐な場所で眠りたいものだが。
当たり前の教会で、当たり前の土の中に埋めてくれた方が、はるかにいい。
「もう少し先にお進み下さい」
通路の先は、行き止まりになっていた。袋小路の壁を背にして、私はアルムグレーン公に対峙した。
「ここに貴方を迎えることが出来た。嬉しく思います……カイル殿下」
自分は、いったい、誰と話しているのだろう。
そう思った。
アルムグレーンの先々公爵、ゴドウィンか。つい先ごろ死んだベルナルドか。
それとも、見た目そのままに……ジョシュアか。
私より年若いはずの新アルムグレーン公なのに、五十年も前の事実を、まるで実際に見てきたかのように滔々と語る。
祖父から父へ、そして息子へ、記録が記憶として受け継がれてきた結果だろうが、その凄まじいまでの妄執に、私は終始悪寒を禁じ得なかった。
向けられた銃口よりも厄介なもの。
歪み、狂い、腐り果てた愛着。
求めることを止められない……翠と緋の瞳への異様な想い。
なぜ、フェルディナンド開闢より続いてきた公爵家の一員ともあろう者が、その執着こそが呪いなのだと気付かないのだろう。
自家にアレクサンドライトが生まれないなど、私に言わせればただの偶然だ。遥か未来、今よりもっと科学が発達して遺伝の謎が解明されれば、答えは自ずと見えてくる。
世界には、呪いも、魔法も、存在しない。
あるのは、理と律に裏打ちされた、厳然たる事実のみ。
「アレクサンドライトが、レアト殿下だけ? 二代目まで? だが、彼の瞳は貴方と同じ琥珀だ!」
「……」
「あの黒い本。レアト殿下の残した遺品。あの中に真実がある。そうなのでしょう!?」
「……」
「殿下! どうか……」
「アナグラムですよ」
私は言った。
聞き分けの悪い子供に言い含めるかのように、ゆっくりと。
一文字の発音にまでも気を使い、目の前のこの愚かな男が聞き逃さないように、自分でも笑い出したくなるくらい……丁寧に。
「LeatDearnix。これを並べ替えると……Alexandriteになります」
新アルムグレーン公は、狐につままれたような顔をした。
十歳児でも解けるような謎解きなのに、彼は理解できていないようだった。
引き攣った笑いを浮かべ、ご冗談がすぎます、と呟いた。
お前たち一家の度を越えた執念の方が、よほどタチの悪い冗談だ、と、怒鳴り返してやりたくなるのを、私は辛うじて堪えた。
「手掛かりは、そこら中に転がっていたのですよ」
今から四十年も前、遠い異郷の地まで追いかけてきたゴドウィンを、アラステア王子は小さな酒場に連れて行き歓迎した。ささやかな宴席で、安酒を飲みながら、「アレクサンドライトを息子に与えた」と口にした。
状況から見ても、それは、深い意味など全くない、戯れだろう。王家の秘宝云々を、誰がそんな場所で得意げに語るものか。
加えて、王子はたいそうな変わり者だった。カフェ・アナグラムに痕跡は山とある。
「クヴェトゥシェは、自由と平等の気質が強い土地柄です。そんな国だから、フェルディナンドとは違って、比較的簡単に改姓できます」
身一つで妻の母国に来た、アラステア王子。結婚当初は、妻の姓でも名乗っていたのかもしれない。だが、男系継承の国で生まれ育った彼のこと、息子の誕生を切っ掛けにその姓を変えようと思っても、何ら不思議はなかった。
国から何一つ持ち出さなかった廃王子は、何も持っていなかったからこそ、半ば悪戯、半ば本気で、たった一人の我が子に「アレクサンドライト」を与えたのだ。
初めて聞いた時から、変な名前だと思っていた。「レアト」も「ディアニクス」も、およそ耳にしたことのない響きだった。
文字遊びの中から生まれた姓名なら、この違和感にも納得できる。
「王家の秘宝? 秘術? そんなものはない。アラステア王子は何も持ち出さなかった。初めから……奪って手にできるようなアレクサンドライトなど、存在しなかった……!」
そこにあったのは、小さな、他愛もない、悪戯。
風変わりな元王子から、生まれて来てくれた息子への、祖国に繋がる贈り物。
アレクサンドライトの正体。
それは……簡単な、単純な、言葉遊び。
どん、と、鼓膜を裂く音がした。さほど広くもない空間に、硝煙の臭いが漂う。
私の言葉が、危うい均衡で成り立っていた新アルムグレーン公の神経を、一つ、二つ、焼き切ってしまったようだった。
外しようのない至近距離から放たれた弾丸は、だが、なぜか私の体には命中せず、大きく斜め上に逸れて壁に当たった。壁には奇妙な形の洋灯が一つ掲げられているだけで、まるで狙いすましたように、弾はそれを貫いた。
突然、私の背後の壁が、消えた。
「な……」
どうやら隠し扉になっていたらしい。壊れた洋灯が、開閉を行う装置になっていたのだ。神聖であるべき廟に、なんて奇態な物を作るのだと、これにはただ驚くばかりだった。
やはりアルムグレーンはおかしい。一代や二代ではなく、筋金入りの狂人の集まりだ。
限界まで真上に引き上げられた扉の向こうは、低い降り階段になっていた。支えを失った体は当然のように後ろに傾き、危うく段差を転げ落ちそうになった。
壁に金属製の手すりが渡してある。それを掴んで、何とか転倒を免れた。
一発目を外したジョシュアが、今度こそ止めをさそうと、更に間を詰めてきた。
「そんなはずはない。そんなはずは……」
呪詛のような呻きを発しながら、心の壊れた男が、隠し扉の内側に潜り込もうとする。
運命は、それを、手ぐすね引いて待ち構えているようだった。
男が真下に入った瞬間、壁を偽装した鋼鉄の上下開閉式の扉が、突然下りた。
銃弾を受けた衝撃で、内部のからくりが異常をきたしていたのだろう。さながら、罪人を処刑する断頭台の刃のような速度だった。
「危な……」
咄嗟に、アルムグレーン公の方に腕を伸ばした。助ける価値も、義理もない人間だと頭ではわかっていても、体の方が勝手に動いた。
が、私が彼の腕を掴むより早く、ぐい、と背中を後ろから誰かに引かれた。……背後に人などいるはずもないのに。
驚き、振り向くと、鉄の手すりのささくれに剣帯の一部が引っ掛かっていた。
(行くな)
同時に、奥の闇の中から響く声。
それに気を取られた刹那の間に、全てが終わった。
肉が潰れ、骨の砕ける音がした。扉が閉まる際に、かなりの轟音を発していたが、その中でも確かに聞こえた。
一瞬で肉塊と化した男の体をつっかえ棒にして、扉は床から数十レーデ(=センチ)浮いた位置で、ようやく止まった。
即死だったはずなのに、彼の手は、何かを訴えるように真っ直ぐ私の方に伸びていた。
「アルムグレーン公……」
あまりにもあっけない幕切れに、しばらくその場を動けなかった。
口を開けば、アレクサンドライトが、呪いが、と喚いていた男だが、こんな人間でもアルムグレーンの直系には違いない。しかも最後の一人だ。
それが絶えてしまった以上、古来よりの仕来たりに乗っ取って、王族男子が新公爵として名乗りを上げることになる。
可能性があるのは、王太子殿下かユージン様のお子だ。どちらも血は素晴らしく濃い。
男の子が何人か誕生すれば、彼らの誰かがアルムグレーンを継ぐだろう。……翠と緋の瞳の発現因子を、その身に宿して。
「呪いは、解けたな」
望み通りだ。アルムグレーン公。
「欲しかったのだろう。アレクサンドライトが……」
何が、彼を……彼の一族を、こんなにも駆り立てたのだろう。
生まれなかったからと言って、罪に問われるわけでもない。生まれれば周りに羨ましがられるだろうが、それだけだ。
翠と緋の双眸を持っているにもかかわらず、決して幸福な幼少時代を送っていなかった人物も知っている。こんな忌まわしい血は絶えてしまえばいいとまで、彼ははっきりと口にした。
常に過剰な期待をかけられて。
ユージン様も。アラステア王子も。
苦しめるだけではないか。
この血のどこが、何が、貴重だと言うのだろう……。
「ただの遺伝だ。……呪いなんてない。説明できる原因が、きっとある」
目の前で扉に押し潰されて死んだ男に、同情など感じない。
だけど、可能な範囲で、その説明できる原因とやらを、探してやろうとは思った。
呪いを解けなかった者への、嘲りだろうか。
呪いに囚われ続けた者への、憐みだろうか。
それとも。
ようやく眠ることが出来た者への、弔いだろうか――……。
次回、ヘザーさん追いつきます。




