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Anagram  作者: 宮原 ソラ
31/37

31 Alexandrite(新アルムグレーン公爵視点)


 王立学院図書館から盗み出した、レアトの論文。その中に綴じ込まれていた暗号文。

 アレクサンドライトを父親から譲られたという、琥珀の王子の唯一の遺品。

 専門家に任せていた解読は、思ったよりも早く終わった。

 彼らの話によれば、それは少々風変わりな手法で作られていたらしい。

 ぎっしりと紙面に並んだ暗号は、「ファルシェ」という一時期クヴェトゥシェで頻繁に使われていた復号用器械を使うと、簡単に復元できた。

 しかし、出てきた内容は、宝の在り処などではなく、博士たちも思わず頭を悩ませてしまうような、非常に込み入った数学の難問だった。

 これを解き、使用した数字と記号、更には図形を再びファルシェに掛けると、ようやく意味のある言葉が出てきた。


「395……あ」

「log……い」

 

 なんだこれは、と私が怒鳴ると、専門家たちは、これは鍵だ、と口を揃えて答えた。

 もう一つ、暗号文がどこかにある。それこそが本文だ。この鍵を使って、そのどこかにある本文を読み解いたとき、隠された真の意味が現れるだろう……、と。

「暗号文がもう一つ……!?」

 他にレアトの遺品など知らない。

 そもそも彼は異国クヴェトゥシェの人間だ。遠いかの地にも、六年を過ごした我が国にも、住んでいた家はすでに無い。

 手掛かりは妻エミリア、息子カイルだけだが、自分たちの夫であり父である人物がどれほど高貴な血を受け継いでいるか、知ろうともしなかったあの連中に、暗号本文の在り処がわかるとは到底思えなかった。

 お手上げだ、と叩き割らん勢いでテーブルの天板を殴りつけたとき、専門家たちの一人が、事も無げに言い放った。


「鍵が原本に入っていたなら、本文の方は複製の方にあるのでは?」


「複製?」

 意味がわからず眉根を寄せると、かつて王立学院で教授をしていたというその老人は、朗らかな笑みを湛え頷いた。

「博士論文は、学院に納めてしまうと自分の自由には扱えません。同じ物を二枚ずつ書かなければならないので手間ですが、学生たちは大抵複製を作ります。記念に自分で持っていたり……大切な家族に贈る生徒さんも多いですね」

「大切な家族……」

「博士論文の製本を担当する業者は一つしかありませんので、記録が残っていれば、このレアトという人物が何冊製本したかわかりますよ」

 三十年も昔の話だ。正直、あてにしてはいなかった。が、念のため、製本業者に確認してみると、驚くべきことに五十年も遡って極めて正確な記録が出てきた。

 学院には偽名で在籍していた者も、後々まで残る博士論文については、みな本名を使っていた。

 例えば、最近の例では、メルトレファス公爵閣下。ディオフランシス侯爵令嬢。

 高貴ゆえにおいそれと名乗りを挙げられない彼らが、小さな帳票の中に、競い合うようにひしめいている……。

「二冊、か」

 レアトの論文は二冊。原本と複製。

 複製を誰が持っているかは、考えるまでもなかった。


「カイル・ファルクス・マードック……!」


 私は、彼の一番下の弟を捕らえ、アルムグレーンの巨大な霊廟に呼び寄せた。

 ここは、我が一族が所有する数多の建造物の中で、もっとも神聖な場所である。王家の遺児を迎え入れるには、これ以上ないくらい相応しい場所に違いなかった。


 私は彼を敬っている。彼の中に流れる血を愛している。

 私だけではない。父も。祖父も。

 代々のアルムグレーンが焦がれ続けた、翠と緋の瞳(アレクサンドライト)。この上もなく希少で、気まぐれで、期待を込めてその誕生を待ちわびれば、まるで嘲笑うかのごとく(たなごころ)を擦り抜けて行く……、王家の至宝。


「殺したいのか。生かしたいのか……」


 廟は深い森の中にある。私はその入り口付近に立ち、緑の天蓋越しに空を仰ぎ見た。木々の枝葉の合間を吹き抜けてゆく一陣の風に、清浄な森の大気にはそぐわない死の匂いを感じた。

 護衛に連れてきた部下に、いきなり、突き飛ばされた。

 つい先ほどまで私がいた空間を、振り下ろされた刃が二つに裂いた。私をかばった従者が一太刀で斬られ、くずおれた。

「殿下……!」

 咄嗟に、そんな言葉が口をついて出た。

「何を訳の分からないことを」

 マードック辺境伯の動きが止まった。

 従者を斬ったことで、ほんの僅かに生じた隙に、私は懐から銃を抜いていた。

 クヴェトゥシェで三十年も前に開発され、すぐにその危険性ゆえに葬られた幻の武器は、民間人ならば存在すら知らないような代物であったが、さすがにマードック伯は見覚えがあるようだった。

「剣を捨てて下さい」

 私の要求に、マードック伯は素直に応じた。

 至近距離から銃口を向けられているにも関わらず、その顔には、焦りも、恐れも、まるで浮かんでいなかった。

 奇妙に静まり返った廟の中の薄闇に、私は目を凝らした。

「中に、貴方の弟と、私の部下がいるはずですが」

「もういませんよ。誰も」

 私は投げ捨てられた剣を見つめた。一人斬った程度ではあり得ない血糊の量に、遅まきながら戦慄を覚えた。

「そこそこ手練れを五人も連れてきたのですが……」

「鍛錬不足ですね」

「メルトレファス公も相当な使い手と伺ったことがあります。王族というのは、武術の才能までもお持ちなのですか」

「知りませんよ、そんなこと。ただ一つ言えることは……、あの方は私より強い」

「それは恐ろしい」

 私は、おどけたように肩を竦めた。

「ですが、そんな達人も、これなら一発で殺せます」

 私は、彼に向けた銃の引き金に指をかけた。

 便利なものを作ってくれた、としみじみ思う。私のように、刃物と言えばディナーナイフくらいしか持ったことのないような人間でも、目の前の、瞬く間に五人を斬り伏せる恐るべき猛者を抹殺できる。

 実際には、暴発や腔発(こうはつ)が無いわけでもなく、離れれば命中率は著しく下がるなど、使い勝手の悪い部分も多々あるのだが……外しようがない。この距離では。

「お教え下さい、カイル殿下。アラステア王子からレアト殿下、そして貴方へと受け継がれたアレクサンドライト……その正体を。真の意味を」

 私は彼に両手を上げるよう指示した。そのまま、ぽっかりと口を開ける廟の闇の中に入ることを促した。

「貴方ならご存知でしょう?」

「知りませんよ。第一、私は王族でも何でもない。殿下と呼ばれる覚えもない」

「その金の瞳で、仰いますか。薄々、気付いていらっしゃるのでしょう?」

「ただの異常か疾患です、こんなもの。生物なら何にでも起こり得ます」

「貴方は、少し、ご自覚が足りないようですね……」

 祖父から父、そして私へと語り継がれてきたアラステア王子の血脈との関わり。

 それを一から説明しなければ、と、使命感のようなものが、私の中で突如として湧き起こった。


「確かに言ったのです。アラステア王子は。息子にアレクサンドライトを渡したと。レアト殿下亡きあと、それを受け継ぐべきは貴方しかいない」


 知っているはずだ。

 持っているはずだ。


 熱を込めて語る私を、カイル殿下は何故かひどく冷めた目つきで見つめていた。

 鮮やかに金を帯びていた瞳も元の琥珀に戻り、何かが間違っていただろうかと黒い予感に私が不安を覚え始めたとき、ぽつりと、彼は呟いた。


「そんなものはない」


 柔らかな物腰は既になく、奇妙な威圧を伴って、彼はそこに佇んでいた。

 ああ、この方はやはり王子なのだと、長く不在だった玉座に主を迎えるような気分で、私は、彼の声に耳を傾けた。


「アラステア王子は、確かにレアトにアレクサンドライトを与えました。ですが、私はそれを継いではいません。貴方が言うアレクサンドライトは、二代目までのものです。もうどこにもない。……レアトと共に失われました。永遠に」




※フェルディナンドは異世界ですが、話の流れ上、アルファベットを使っています。


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