29 失踪(ヘザー視点)
弔いの鐘の音が鳴り響く。
三公爵の一人、アルムグレーン公爵ベルナルドの葬儀は、参列者三千人を軽く超えた。心の底からその死を悼んでいる人間が何人いるかは甚だ疑問だが、とにかく規模だけは大きかった。
ただし、場所は大聖堂ではなく、市街の教会だった。おかげで会葬に訪れた客の馬車が周辺に溢れかえり、付近の至る所で交通渋滞を引き起こしていた。
なぜ広大な敷地を持つ大聖堂で葬儀を行わなかったかと尋ねれば、喪主の青年……亡き人の長男ジョシュア卿からは、慎ましい答えが返ってきた。
「ほんの数か月前、大聖堂でメルトレファス公の結婚式が行われたばかりです。その後も、祝賀の雰囲気が続き、何人もの貴族がそこで祝い事を催しております。父の葬儀でこれに水をかけたくはないのです」
しっかり者と評判の元妻バーバラ様のご子息は、父には似ても似つかぬ英邁な人物であるらしい。
アルムグレーン公爵の発作的な自殺には驚かされたが、家のことを考えれば、結果としては良かったのかもしれない。
こんな事を言ってしまうのは不謹慎、と重々承知の上で……正直、私は、公爵が亡くなってくれてほっとしていた。
「マードック伯にも、父が本当に申し訳ない事をしました。謝って済む問題ではありませんが……」
「もういいですよ。そもそもカイルは、あの程度のことでへこたれるようなヤワな神経の持ち主ではありませんし」
「先程、マードック伯とも少しお話をさせて頂きました。評判通りの方でした。とても穏やかな……落ち着いた方でした」
「そうですね。怒るともの凄く怖いですけど」
「あの方が怒るなんてピンときません。もしそのような事があれば、相手がよほど非道な行いをしたということでしょう。自分や家族が著しく傷つけられるような……」
「自分のことでは怒らないでしょうね。気にしないというか……。でも、とても家族思いなので、お母さまや弟さんに何かあったら、黙ってはいないでしょうね」
「家族思いですか。それは、貴女は、本当に良きお相手に恵まれましたね」
遠くから親族らしき人物に声をかけられて、ジョシュア卿がそちらへと駆けて行った。喪主は何かと忙しそうだ。
葬儀が終わり、事態が落ち着けば、次はアルムグレーンの爵位を継がなければならない。離縁されてしまった母君のバーバラ様を呼び戻す算段もあるだろう。
何より、次の公爵だというのに、ジョシュア卿はいまだ独り身だ。腰を据えての花嫁探しが待っている。
私は、祭壇の上に置かれた棺に目をやった。
その中で眠るアルムグレーン公の周りに、今もなお、献花の花がぞくぞくと集まってくる……。
大物貴族が亡くなっても、宮廷は何ら変化が無い。
ゆるやかに、淡々と、日常が積み重ねられてゆく。
これが、逝去されたのが左大臣メルトレファス公や国王ご意見番の私の祖父だったりしたら、影響が大きすぎて、どんな騒ぎになっていたか計り知れない。
そういう意味では、アルムグレーン公はやはり小物だった。
滞りなく爵位の継承も行われ、十日もしないうちに、長子ジョシュア卿が新アルムグレーン公爵として三公に名を連ねた。
私と言えば、宮のごたごたには関わりなく、嫁ぐ日を指折り数えて待つだけの呑気な身である。
祖父たっての願いで、花嫁衣装は、かつて祖母が嫁いだ際に身に着けたドレスを着ることになった。
婚約の証であるという宝石もカイルから渡されたが、これは気軽に受け取るにはあまりにも恐ろしい品だったので、そのままマードックの方で保管してもらうことにした。
代々の辺境伯夫人が受け継いできたという指輪とネックレスには、親指の爪よりも大きな星紅玉があしらわれていたのだ。
浮かび上がる星の鮮やかさも見事というより他なく、これ一つで、いかにマードックが裕福な家であるかがよくわかる。
(その家を継ぐよりも、どこかの田舎で馬の世話でもしながらのんびり暮らす方がいいなんて、やっぱり、カイル、相当変わっているわよ。お父様のこと変人なんて言えないわね。いい勝負だわ)
今日に限って不思議と早く目が覚めた。寝起きの悪い私にしては珍しく、頭も妙に冴えていた。
急にコツコツと硬い物を叩く音がして、驚いて振り返ると、窓の外にはなぜかカイルが立っている。
……夢でも見ているのだろうか、私。
敵対する家の引き離された恋人同士でもあるまいし、忍んでくる必要がどこにある。
「何やってるの?」
「まぁ、諸々の事情により。それよりも急ですみません。貴女に預けた父の論文、返して頂けませんか」
「えっ?」
もともとカイルの物だ。返すことに異論は無い。いや、むしろ、早く返さなければと常々考えていた。……でも。
「どうしたの?」
「何がですか」
「何か……、変」
「もともと私は変わり者ですよ。貴女もご存じでしょう」
「そうじゃなくて」
「返して下さい」
私の言葉を遮るようにして、カイルが言った。目の前に、すっと彼の手が差し出される。
「わ、わかったわよ」
正常な判断力が、この時の私には著しく欠けていた。やはり寝起きだったのだ。頭がスッキリしているなんて、何を根拠にそんな勘違いをしたのか。
私は魔法をかけられたように、フラフラと黒い本を持ってきて、それをカイルに渡した。いつもの穏やかな顔で、カイルはにこりと微笑んだ。
「ありがとうございます」
「カイル。何か……やっぱりおかしいわ。どうしたの? そもそもこんな時間に、こんな所から」
「戻れたら話します。今は時間がありませんので」
カイルが、本の黒表紙の一点を指した。傷でも付いていただろうかと、私は身を乗り出した。
頭の後ろに手が回され、乱暴なほどの強さで引き寄せられた。いつもは上から降りてくる彼の唇が、今日は私の方が高い位置にいるため、下から重ねられた。
「カイル!」
こんな半分外のような場所で、と、眦を吊り上げると、驚くべき一言が彼の口から発せられた。
「愛しています」
「な、なによ急に」
「そう言えば、言っていなかったと思いまして」
「なぜ今言うの」
「何となく」
遠くの方で人の気配でも感じたのか、カイルが振り向いた。
大量の本を保管するために、あえて日当たりの悪い一階の隅の方にある私の部屋の窓は、屋敷のあらゆる場所からちょうど死角になっており、誰の姿も見えなかった。
「もう行きます。……では」
「今日、学院に行くわ。副理事室に。待っていて」
「……わかりました。お待ちしております」
そう言って、頷いたのに。
一時限目の講義を無理やり自習にして、私は副理事室に向かった。受付係から、今日はマードック伯はお休みです、と聞かされて、愕然とした。
途方もなく嫌な予感にかられ、追い立てられるように今度はマードックの屋敷に行った。そこで、執事から、信じられない言葉を告げられた。
「旦那様は、いつも通りに出勤されましたが……」
誰にも、何にも、理由を告げず。
カイルが……消えた。
終盤入りました。
ラストまで、後は一直線。頑張ります!




