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Anagram  作者: 宮原 ソラ
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28 緋色の残像(アルムグレーン公爵視点)


(アルムグレーンは呪われている。アルムグレーンのみ、アレクサンドライトが生まれない)


 私が父から初めてそれを聞いたとき、私はまだ十にも満たない子供だった。その父もまた、幼い時分に、祖父から子守歌よりも多く繰り返し聞かされたと言っていた。

 この呪いを断ち切るように、と、連綿と受け継がれてきた、一族の悲願。

 本来は、父ゴドウィンの代で幕を下ろすはずだった。

 ゴドウィンと同じ時期に生まれたアレクサンドライトの王子、アラステア。全ては、若くして亡くなったとされるこの王子に纏わる秘密から、始まった。


 フェルディナンドの国法により、王太子妃は必ず他国の王女でなければならないとされている。これは、王族の婚姻が外交であり、政略でもあるからだ。

 宗教の観点から一夫一妻が定められている我が国においては、正妃にとりあえず宛がわれた姫を据え置き、妾妃に愛する女を……などという逃げ道すら用意されていない。妃は常に一人だけである。

 アラステア王子はこれに抗った。彼が愛した女性は、よりにもよって、異国クヴェトゥシェの平民だった。

 常ならば、「身分違いの愛」などという、よくある悲恋で終わるだけの話だった。

 だが、王子は諦めなかった。流されもしなかった。なまじ状況を読む力に長け、判断が恐ろしく早いことが、事態をさらに複雑なものにした。

 王太子には弟が二人いた。二人の弟は決して愚者ではなく、むしろどちらが次代の王になっても十分に国を纏めて行けると、兄には強い確信があった。

 そうであれば迷いなどない。アラステア王子は躊躇うことなく王太子の地位も身分も捨てた。死亡を装って国を出奔し、そのまま妻となった女性の母国クヴェトゥシェへと渡った。

 彼はそこで苦労知らずの王子らしく生活苦に喘ぐこともなく、何食わぬ顔で優秀な技術者として逞しく生き抜いた。やがて異国人の女性との間に「レアト」という名の男子も授かった。

 その男の子もまた、父と同じく非常に明晰な頭脳の持ち主であった。アラステア王子はレアトが十六歳の時に病死してしまったが、その素性を、身の内に流れる血を、一人残された我が子に包み隠さず伝えていた。

 レアトに他意はなかっただろう……おそらくは父の祖国を見たい一心で、彼は単身フェルディナンドに渡った。死んだとされる王子の遺児であることは隠したまま、そこで六年を過ごし、そして……。


(執念か)


 これらの秘された事実を、ゴドウィンはたった一人で突き止めた。


(貴方もまたアレクサンドライトに憑りつかれた一人だった。……父上)


 ゴドウィンは、レアトに自分の娘を宛がい、アルムグレーンの一門に引き入れるつもりだった。アラステア王子の血を取り入れることで、「呪い」を食い止めようとしたのだ。

 だが、ここで、予想外の事態が起きた。レアトが突然クヴェトゥシェに戻ると言い始めたのである。

 王族の血など関係ない。アレクサンドライトなどどうでもいい。自分はクヴェトゥシェ人だから、故郷に帰る、と。

 そうしなければならない理由が、出来たからと。


 私が父から聞いた話はここまでだ。

 この後、レアトは忽然と姿を消し、まるでそれを追うかのごとく、父は気が触れて自害した。

 何があったか、大方の見当はつくが、それを蒸し返そうなどとは思わない。

 結局、アラステア王子の血筋は途絶え、父の代で呪いは解けなかった。呪いは私の代に引き継がれてしまったが、同時に、アラステア王子にこだわる必要もなくなった。

 言わずと知れた、次のアレクサンドライト、ユージン様の誕生である。


(ユージン様。貴方ならきっと、我が一族の呪いを解けたのに)


 ガブリエラもマグダレーナも死んだ。

 もう、アルムグレーンには、彼の子を宿すことのできる娘がいない。

 かくなる上は次世代に望みを託すしかないが、バーバラの子では明らかに荷が重い。バーバラは高位貴族の端くれではあるが、王族の血を一滴も引いていなかった。

 いずれユージン様の御子を我が家に迎えればよいと高をくくっていたことが、今になって裏目に出た。次代アルムグレーン公爵に、血の薄い人間を据えるわけにはいかない……!

 やむを得ず、王女殿下の孫娘にあたるディオフランシス侯爵令嬢を新しい妻として迎え入れようと算段を整えたが、昔から何かと盾突いてきたあの忌々しい元下級貴族の男に、阻まれた。

 いや、実際は、下級貴族などではなく。


(レアトの息子……!)


 アラステア王太子の唯一の直孫。奴を蹴落としてやりたくて、調べてみれば、行きついた真実がそれだった。

 言われてみれば思い当たる。同じ琥珀の瞳。同じ数学博士。言葉に、態度に、端々に現れる……レアトの、いやアラステア王子の面影。

 凪の海のように物静かな、けれどこうと決めたら巨岩のように動かない、意志の固い人物だったと聞き及ぶ。そうでなければ、王太子の地位にある男が、異国人の女のために身一つで国を捨てるなど出来ようはずもなかった。

(カイル・ファルクス……)

 彼が妻にと望む女性も、王女の孫。

 両親ともに王族と言っても過言ではない。

 彼らの間に子が生まれたら、その子はなんという数奇な運命と偶然のもとに生を受けることになるのだろう。

 王都中央から遠く離れた辺境伯爵家に、翠と緋の瞳(アレクサンドライト)が誕生するかもしれない……我がアルムグレーンを差し置いて。


(そんなことが……!)


 あり得ない。許されない。

 アレクサンドライトは、王家と、それに連なる三公爵家だけのものだ。

 

(何故ですか、アラステア王子。なぜ父と私の邪魔をするのです。アルムグレーンほど、貴方に焦がれている一族はいないというのに……!)

 

 薄い窓硝子越しに外を見やれば、視界に飛び込んでくるのは煌々と照る赤い月。

 王家の緋を彷彿とさせるその色は、禍々しくも、この上なく美しい。

 私は突然思い立って、急いで使用人に極上のワインを用意させた。赤い液体に赤い月を透かしてそれを飲み干せば、求めても得られないアレクサンドライトへの凄まじい飢餓感が、ほんの微かに、癒された。






「アレクサンドライトは、息子に与えた」

 かつて、アラステア王子が、父ゴドウィンに言った言葉。

 ふとした拍子に、私はそれを思い出す。

 ゴドウィンは執念の探索の末、アラステア王子の居場所を突き止め、一度だけ直に会いに行ったことがある。王子は驚いたものの、遠く離れた故郷からの客人を無下に門前払いするような真似はせず、他愛ない酒の話に一晩だけ付き合ってくれた。


「息子……。レアト殿下に与えた? それはどういう意味でしょうか」

「言葉通りの意味さ。何も難しいことはない。……ところで殿下はやめてくれないか。私も息子も既に王族ではない」


 レアトの瞳は琥珀。翠と緋ではない。

 その意味がわからぬままに、アラステア王子は家族を連れて再び行方をくらました。ゴドウィンはまた膨大な手間をかけてその所在を調べ上げなければならず、追跡には何年もの月日を要した。

 ようやく探し当てることに成功した時には、唯一正しい答えを知る廃王子は、既に亡くなっていた……。


「翠と緋の瞳は、人為的に作ることが出来るのかもしれない……」


 様々な推論を掻き集め、父が見出した結論が、それだった。

 希少な薬か、奇跡の秘術か。あるいはそれこそ呪いか魔法のようなものか。とにかく王家には隠された秘密があり、アラステア王子はきっとそれを持ち出したのだろう、と。

 半信半疑だった私だが、つい先日図書館から奪ったレアトの博士論文を目にして、父の推論もあながち的外れではないかも知れないと考えるようになっていた。

 黒い本の最後の項に、まるで人目を避けるように綴じ込まれた、古い封書。中から出てきた、読めない暗号文。

 私の手に負える代物ではなかったので、現在、解読は専門家を雇い進めさせている。

 これがアレクサンドライトに関わるものであることは、明らかだった。

 何年、何十年経っても変わらずに保管され続ける論文内に宝の在り処を紛れ込ませるなど、いかにもあのレアトがやりそうな小細工ではないか……!






 再び赤い月を透かしてワイングラスを傾けたとき、不意に、胃の辺りに不快なものを感じた。

 酒の肴に食べたチーズが古かったかとでも思ったが、そんな軽い症状ではすぐになくなった。

 不快感は猛烈な吐き気を伴ってやがて激痛に変わった。嘔吐物には赤黒い血が混じり、胃の中が空になっても、私はただだらしなく開けた口から唾液をまき散らすほかなかった。

 深呼吸しようとしたが肺が動かず、息苦しさに喘いだ。錐で傷口をこじ開けられでもしているかのように、ぎりぎりと頭が痛む。

 助けてくれ、と、叫ぼうとしたその声も、音らしい音にはならず、辺りの深い闇と静寂に吸い込まれて消えた。


(毒……)


 虚ろな思考で、その可能性を考えた。

 ワインだ。あの中に毒物が入っていたのだ。まだテーブルに置いたままのボトルを指そうとして、指先がまともに動かないことにようやく気付いた。

 喉を何度も掻き毟ったため、爪の先が血で染まっていた。


(王子。アラステア王子。私はまだ答えを聞いていない)


 一度も会ったことのない王子の姿が、なぜか、鮮やかに脳裏に浮かぶ。

 父の話を繰り返し聞くうちに、王子は私の中で生身の姿形を持つようになっていた。そして、その顔は、忌々しいあの男に驚くほどよく似ていた。


(レアト。教えてくれ。アレクサンドライトはどこにある?)


 琥珀の瞳は、冷めた目つきで私を眺めやるばかり。


(あの世に行けば、聞けるだろうか……)


 それは無いな、と、絶望的な確信のもと、私は笑った。

 私が死んでも、二人の高貴なる血の継承者と同じ場所へは、決して行けない。

 彼らは全てを見下ろす高みにいるだろう。それは、ただ堕ちてゆくしかない私には、あまりにも遠く、手の届かない彼方の地だった。


(カイル。お前は。お前こそが……)


 意識を保っていられるのも、そこまでだった。

 二度と目覚めることのない、深く暗い淵の底へと、私はついに沈んで行った。






「貴方は、行動が少々大雑把すぎます。今までの悪行も多すぎて、もはや取り繕うのも難しい」

 最後に聞こえたのは、焦がれてやまない王子の声ではなく、近いうちに廃嫡するつもりだった息子の嘲りだった。

「後のことは全て私が引き継ぎます。ゆっくりお休み下さい……父上」




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