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Anagram  作者: 宮原 ソラ
22/37

22 砂の楼閣(エノーラ視点)

※少し時間は戻って。カイル宅侵入の翌朝です。


 カイルの家に忍び込んだ翌朝、寝起きの悪い私にしては珍しく早く目が覚めた。

 二度寝しようなどとは露とも思わず、私はすぐに寝台から抜け出した。

 マードックの街屋敷は典型的な古フェルディナンド建築様式で、主人の部屋は二階、庭を一望できる東向きの位置にある。

 同じような扉が並ぶ中、一つだけ明らかに材質も意匠も違うそれを見つけるのは、容易だった。

 私は迷わず取っ手に手を掛けた。ガチ、と音がして、取っ手は何かに阻まれるように動きを止めた。鍵がかかっている。予想通りだったので、驚きもしなかった。

 私はうっすらと微笑み、扉のすぐ横に座った。

 ここで待っていればいずれカイルが出てくる。それを捕まえれば良いだけの話だった。

 少し離れた場所に、全く同じ造りの扉があることに気が付いた。

 夫人の間に続くドアだろう。おそらく中で主人の部屋と繋がっているはず。

 自分でも戸惑うほどの嫉妬心が湧き上がってきた。私は夫人の間の扉の前まで歩き、力一杯その面を握り固めた拳で叩いた。

 ばん、と物凄い音がした。これでカイルが飛び出してくるかと期待したが、部屋の中は相変わらず静まり返ったままだった。


「カイル?」

「旦那様は既に出勤されました。中には誰もおりません」


 振り向いた先に、二人の男が立っていた。一人は中年、一人は青年だった。

 若い男の方が恭しく腰を折り、丁寧に挨拶をした。丁寧なだけで、温かみには欠けた声だった。

「ご自宅まで我々がお送りいたします。馬車を用意しましたので、外の方へお出で下さい」






 結局、マードックの従者たちの手によって、私は自宅に送り届けられることになった。

「逃げるなんて卑怯よ!」

 そう喚いて居残ってやろうとしたものの、

「逃げてなどおらん」

 予想外の大物の登場にすっかり出鼻をくじかれてしまった。先マードック辺境伯が、街屋敷の方に滞在していたのだ。

 昨夜のやり取りも全て筒抜けだったかと思うと、冷汗が自然と噴き出した。

 先の伯爵には、カイルと違って私に容赦する理由が何一つない。むしろ、甥を苦しめる元凶として排除さえ試みるだろう。

「逃げてなどおらんわ。半年も前に別れた女の愚痴を聞くために、重職にある男が仕事を休めると思うか。愚か者め」

「それは……」

「昨晩のうちに叩き出せとわしは言った。カイルがそれを拒否した。怪我人を放り出すわけにはいかないからと。そのカイルがおらん今、わしはあんたを叩き出したくてウズウズしておる。だが、あえてそれはせん。何故かわかるか?」

「……」

 私は答えることが出来なかった。

 圧倒されていた。これが、十五大領主の筆頭、長年国境の守備を預かってきた国の根幹貴族の威厳かと、恐怖にも近い感覚に、ただ打ち震えるばかりだった。

「それをしたらカイルがわしに失望するからだ。あいつは従者にあんたを無事家まで送り届けるように言った。あくまであんたを傷つける気はないらしい。わしに言わせれば甘いの一言に尽きるが……。それがカイルという人間だから仕方ない。わしはあいつの意思を尊重する」

 ただし、わしの目の黒いうちはな、と、先伯爵は続けた。

「わしが本気で怒らんうちにさっさと出て行け。そして二度とわしの息子に近付くな」

「わ、私……」

「マードックを舐めるなよ。お前さんのような下位貴族、どうとでもなる。例えばハイン河に若い未亡人の死体が浮かんでも、誰も何も言わんだろう。第一線を退いたとはいえ、その程度の力はわしにもある。当然、わしの跡をそっくり引き継いだカイルにもな」

「カイルが……」


 では、いよいよ私のことが邪魔になったら、目の前のこの大貴族の偉丈夫のように、彼も不良品のごとく私を処分しにかかるのだろうか。

 それなら、一人でハイン河に沈むのはあまりに寂しすぎるから、蔦草のように愛しい男に絡みつき、一緒に水底に引きずり込んでやろうかと、心の中で私は笑った。


 表面だけは従順を装って、従者に送られる間、私はその事ばかりを考えていた。






 馬車がブライアンの別宅に着いた。

 マードックの館のように歴史遺物に名乗りを挙げられそうな重厚感はないが、なかなか洒落た屋敷だと思う。

 ブライアンは、権力は無いが事業は比較的順調で、金のある家だった。

 おそらく種無しだった死んだ夫に代わり、その事業は現在夫の弟の一族が継いでいる。夫が事業の名義人の一部を私に書き換えてくれていたおかげで、彼亡きあとも、私が生活に困ることはなかった。

「どうぞ」

 馬車の扉を開き、青年が手を差し出す。私はそれを乱暴に払い除けた。

 青年が鼻白むのがわかったが、いい気味だと思った。一晩で色々な事がありすぎて、私はひどくささくれ立った気分になっていた。

 中年の従者の方が、もう一人に聞こえない小さな声で、囁いた。

「旦那様から伝言をお預かりしております」

 私は思わず振り返り、彼を凝視した。

 目尻に微かに笑い皺を寄せ、壮年の使用人は頷いた。


「三日後、公休日ですが、旦那様は王立学院の方にいらっしゃるそうです。もしまだ話し足りない事があるなら、存分に聞くから、そちらに来るように、と。ただ、貴女が望む答えは返せそうにないので、それだけはわかって欲しい、と」


 従者らは去り、私は魂の抜けた人形のようにその場に立ち尽くしていた。

 自分の中の暗く(こご)った殺意が、波に浚われた砂楼のように、徐々に崩れて消えてゆくのを、感じないわけにはいかなかった……。











 その日の夜、招かれざる者の訪問があった。

 玄関口に訪ねて来たのなら、私は決して男を中に入れなかっただろう。だが、実際には、男は敷地境の高い塀を乗り越え、硝子戸を叩き壊し、深夜眠っている私の枕元に直接忍び込んできた。

 首のすぐ近くに深々と突き立てられた短剣の刃の輝きがあまりに禍々しく、悲鳴を上げるどころか息をするのも忘れて、私は、呆然と、自分を覗き込む細身の影を見つめるしかなかった。


(なに? これは何?)


 男には顔が無かった。

 いや、正確には、目と鼻、口の部分に細い切れ込みがあるだけの、のっぺりとした仮面を身に付けていた。

「先のブライアン子爵未亡人、エノーラ殿ですね」

 男が言った。仮面のせいか、その声はひどくくぐもっていた。

「貴女に耳寄りな話を持ってきたのです。ぜひご協力を。私たちがそれぞれ欲しいものを手に入れるためです。協力して頂けますよね?」

 男は一方的に喋り始めた。


「マードック辺境伯と、赤い髪のディオフランシス令嬢。この二人は決して結ばれてはいけない関係にあります。下手をすれば王家の根幹を揺るがしかねない。何としてもこの縁談を壊さなければなりません」


 心臓が割れんばかりに打っていて、私は、紡がれる言葉の意味の半分も理解できていなかった。

 少し動くと首筋に触れてくる冷たい刃が、ただ恐ろしくてたまらなかった。

「他の令嬢なら良いのです。例えば貴女でも。貴女、マードック伯が欲しいのでしょう? なら泣き寝入りなどやめて、奪い返せばよいではありませんか。そのための協力なら惜しみませんよ」

「なに、言って」

 ようやく声が出た。

 とにかく助けを呼ぼうと慄きながらも息を吸い込むと、声を出す前に片手で口を塞がれた。

 容赦のない力で、頬に爪が食い込んで痛かった。

「人の話、よく聞きましょうよ。貴女に耳寄りな話って言ったでしょう? マードック伯とよりを戻させてやるって言っているのに、なに逆らっているんですか」

 自分の上に圧し掛かってくる男の体も、その体から染み出る常人ではない気配も、何もかもが怖かった。

 このまま犯されるかもしれない。首を絞められて殺されるかもしれない。

 だけど、この時、突如として湧き上がった反抗心が、恐怖心をほんの微かに凌駕した。

 私は男の手に噛みついた。悪態をつきながら男の手が離れると、動悸を整えて、私は言った。


「私に何をさせようっていうの」


 男は血の滲んだ自分の指を見つめ、

「なるほど。なかなかのじゃじゃ馬のようですね」

 口の部分の隙間から舌だけを出し、べろりと舐めた。陶器のような地肌の仮面のせいか、その様は人外めいて、吐き気を催すほどに不気味だった。


(この人……)


 横たわる三日月の形に穿たれた穴の向こうに、にぃ、と細められた双眸が見えたとき、私は、ようやく、男がまだとても若いということに気が付いた。


「近々、我が家に貴女をご招待します。詳しい話はそこでしましょう。なに、大丈夫ですよ。貴女に難しい役割など期待していませんから。私の言う通りに動いて騒ぎを起こしてくれればそれで良いのです」




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