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呪いと猫の後宮夜話〜月夜のまじない妃と眠れない皇帝〜  作者: 高井うしお


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第52話

「凌雲様……駄目です……」


 紅月の願いも空しく、凌雲は彼女に駆けより、抱き留めた。


「紅月、何をされたのだ」


「蠱毒を……盛られました。でも、皇后の本当の狙いは……凌雲様です。だから、逃げて」


「そんなことが出来るものか」


 凌雲の手に力が籠もる。


「皇后よ。何故こんなことを。聞いてやる。だからこんなことはやめろ」


 凌雲が悲壮な声をあげ、明珠に懇願する。明珠はそれを聞いても顔色を変えることはなかった。ただ、袖口で口元を隠し、二人をじっと見ている。


「本当に仲睦まじいご様子でらっしゃるのね」


「当たり前だ。そなたは何が不満なのだ」


 凌雲がそう言うと、明珠の頬に一筋、涙が伝っていった。


「私は……後宮(ここ)に来た時から死んで(・・・)いたのです」


「何……?」


 凌雲は怪訝そうに眉を顰めた。


「陛下がご存じないのですね。私には許嫁がいたことを。親同士の決めた仲ですが、幼い頃より私はこの人の妻になるのだと信じて生きて参りました。ですが、先帝が崩御し、陛下が即位したことで、私は許嫁の暁明様と引き離されて皇后となることが決まりました。ただ……一族に適当な年の頃の者がいないというだけで」


「それで私を殺そうと……? 私が後宮を省みなかったからか?」


 悲運ではあるが、良家の娘としてはありうる話である。ただ、夫となった者を殺そうなどと、大それたことを考えるのは極端である。凌雲はその責任の一端は自分であると考えた。だが、明珠は首を振った。


「陛下が私に興味を持たなかったことは都合が良かったのです。そのお陰で私は清いままでいられたのですから。私はこうして後宮で朽ちていくのだと思っておりました。……ですが、ある日私の元に、ばあやに宛てた荷の中に、暁明様からの贈り物がありました。それが……蠱毒だったのです。そえられた手紙には、皇帝が死ねば、私は出家が出来る。そうなれば夫婦にはなれなくても生きて再び会える、とありました」


 明珠の表情は夢見るようにうっとりとしている。その手紙を受け取った時、明珠は天にも昇る気持ちだったのだろう。暗く、死を待つばかりの将来に、光が差したように思えたのだろう。たとえ、それが皇帝の命と引き換えにしても。


「ただ……私は託された猫鬼を失ってしまいました。入れ替わりのように陛下の寵愛を受けるようになった夏貴妃が怪しいと思っていたのですが……私の思った通りでした。猫鬼もここに戻ってきたけれども……」


明珠の表情が険しくなり、紅月を睨み付けた。


「勝手に手懐けて。いじきたないこと」


「玄牙の呪縛を解いて……彼だって生きているのよ」


 紅月の言葉に、明珠は鼻で笑った。


「そんなことするわけないわ。彼が私に託した大切な蠱毒なのよ。それでね、聞いて……猫鬼を失ってからも、彼は私のことを考えていてくれたのよ」


 明珠は椅子から立ち上がると、部屋の花瓶の後ろから封をした甕を取りだした。


「これで猫鬼が戻ってくる……って」


『やめろ!』


 身動きのできないまま、玄牙が叫んだ。明珠はそちらを見て「待っててね」、と言いながら、甕を床に叩き付けた。


「ああっ……」


 禍々しい気が室内に満ちる。


「ね、これ食べて良いのよ。だから戻ってきてちょうだい」


 それは、蠱毒――猫鬼であった。大きさは普通の猫の三倍くらい。玄牙に比べればかなり小さかったが、青白い虎柄の毛をした猫である。


『ぐ……ぐぐ……う……』


 玄牙が呻く。その口元からはよだれが止めどなく流れ、目の色はゆらゆらと正気を失いつつある。それでも玄牙は抗っていた。


「玄牙、食べては駄目。それは駄目……」


 食べれば飢えから解放はされるだろう。だが、その途端、玄牙は明珠の支配下に置かれる。そうなれば玄牙は元のように凌雲の命を狙うだろう。


(そうじゃなくても、私はそんな玄牙を見たくない……!)



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