第44話
ぐわっと百足が大きく動いた。紅月は皇太后を後ろに突き飛ばし、玄牙を呼んだ。
「玄牙!」
途端、黒い竜巻が百足に向かう。猫の姿の玄牙が百足に食らいつき、地面に叩きつけた。
『ぐるううう……』
玄牙は唸りながら、百足をかみ砕いていく。
紅月はその隙に、護符を懐から出すと、皇太后に握らせた。
「皇太后様、蠱毒の呪いが襲ってきています。これを持って逃げて」
「紅月、そなたはどうするのだ」
「私はまじないの心得があります! なんとかします」
紅月は横の宦官に護符を渡し、これで身を守れと言った。宦官はふらつく皇太后を支えながら、部屋の外に向かう。が、何かに阻まれ、二人は床に転がった。
「そうはいきませんよ」
それは白瑛が放った百足の蠱毒だった。
「皇太后様!」
蠱毒を食らい、皇太后の足からは血が流れている。紅月はすぐに彼女に駆け寄った。
「太一が私に万鬼を殺させる。鬼は去り神は至れ。急急」
呪文を唱え、息を吹くと護符が燃え、消え去った。玄牙はどうしたのだろうと見渡すと、玄牙の体はざらざらと一部崩れ去っていた。
「玄牙!」
『構うな。少し毒を食らっただけだ』
玄牙が身震いすると、その姿はすぐに元に戻る。だが、息は荒く苦しげである。
『ここは任せろ、お前らは邪魔だ。出て行け!』
紅月は頷くと、皇太后を肩に背負った。
「みんな、外に出て!」
とにかくあの蠱毒の化け物から逃れなくてはならない。紅月は懸命に周りに声をかけ、建物から脱出した。
「夏貴妃、すまなんだ……」
庭に出て、皇太后を座らせる。明るいところで蠱毒を食らった足を確かめると、大きく切り傷になっており、周りが膿んだようにじくじくとしていた。紅月は近くにいた宦官に、解蠱の薬である、蒜、菖蒲、雄黄を用意するよう伝えた。
「では、お任せします」
紅月が立ち上がると、皇太后は驚いた顔をして彼女を見つめた。
「そなた、どうしようというのだ」
「皇太后様のお目には見えなかったと思いますが、建物の中では白瑛の蠱毒と私の……」
紅月は背後の宮殿を振り返る。
「友が戦っております」
「友……?」
「ええ。人ではありませんが私の友です。友達は見捨てられませんから」
紅月はそう言い残し、宮殿の中へと駆けていった。
「玄牙!」
紅月が広間に戻ると、玄牙は蠱毒に食らいつき、何度も何度も床に叩き付けていた。蠱毒は苦しみ、長い尾が柱に何度もぶつかる。
「……おや、戻ってきたんですか」
「白瑛。それを戻して。お願いよ」
「おい、蟲よ。皇太后は外だ。さっさとその猫を食い殺せ」
白瑛の命に、蠱毒は無数の足を這わせ、外へと向かおうとする。紅月はその前に立ちはだかった。巨大な蟲の口がギチギチと気味の悪い声を上げ、近づいてくる。
紅月は今すぐ逃げ出したい気持ちのぐっと堪え、気持ちを落ち着けようと胸に手を当てた。
『紅月! 退け!』
「ううん。私は玄牙を見捨てないよ」
紅月は護符を手にした。あり合わせの術でどこまで効くかは分からない。
四方に護符を起き、紅月は呪文を唱えた。
「天一女青が万千の鬼を殺し、太一九気が邪神を収め、鬼は死に神は至れ……」
紅月はいくつか方向を変え、それらを三度繰り返した。
「太一は私に万鬼を殺させる。鬼は去り、神は至れ。急急。玄牙、退いて!」
紅月の声に玄牙は蠱毒を押さえていた牙を離し、後ろに飛び退いた。
護符が燃え上がる。そして蠱毒に向かっていった。鬼祓の術は蠱毒を呪縛し、床へと貼り付けにする。
『ぐああああああ!』
苦しんだ蠱毒は力の限り暴れ、壁を床を天井を破壊して回った。
「くっ……」
宮殿が崩れようとしている。梁が紅月のすぐ横に落ちてきた。
その時、ふっと紅月は地面から浮いた気がした。
「玄牙……!」
玄牙が紅月の襟を咥えている。そのまま紅月は外へと放り出された。
「ちょっと!」
転がり落ちた先で見たものは、蠱毒に食らいついている玄牙と、崩落する天井だった。




