第39話
食事会は和やかに進んだ。凌雲は言葉少なであったが、皇太后に話しかけられれば答えていたし、余興などはないものの、妃たちも久々の交流を楽しんでいた。
(これでいいのよね……)
ただ紅月はまだ胸の内をもやもやさせていた。
蠱毒の事件は解決した。燕禹が処刑されれば、玄牙の呪縛も解けるし、凌雲が狙われることもない。そして、来月には紅月の中の猫鬼を追い出す薬も作れる。そうなれば玄牙との繋がりもなくなるし、紅月が猫になることもなくなる。
そうしたら、凌雲の自分への興味もやがて薄れていくだろう。と思う。皇后がずっとあの態度なら難しいかもしれないが、妃はもっといる。添い寝が欲しければ紅月である理由はもうなくなる。
ひたすらに蠱師を追っていた時は良かった。自分だけが、凌雲の力になれるのだと思えた。でも……今は……紅月の心は暗くなる。
(私、どうしたらいいんだろ)
紅月は窓の格子の向こうの空を見上げた。用が済んだと立ち去ることもできない。まるで鳥かごみたいだ、と紅月は思った。
***
「良かったですわね、お姫様……あっ、皇后様」
祈祷会から帰った皇后、謝明珠は年老いた女官に出迎えられた。
「なにがなの、ばあや」
この女官、秀英は明珠が生まれた時から世話を焼いており、後宮に入る時にも一緒についてきたのだった。
「陛下はお元気でしたか」
「元気……まあ……」
明珠の誕生日に皇帝が欠席した際には、秀英は顔を真っ赤にして怒っていた。
「よござんしたね」
「それより、荷は届いたの?」
「ええ、ございますよ」
秀英はにこにこしながら、奥の箱を指した。これらは皇后となって塞ぎがちな明珠のために秀英が地元から取り寄せた品々と明珠の幼なじみからの手紙や贈り物であった。
「見てもいい?」
「ええ」
明珠がわくわくした顔で箱を開けるのを秀英はにこにこと見守っていた。月に一度届くこの品々を明珠はことのほか楽しみにしており、この時ばかりは年頃の娘のようにはしゃぐのだ。
「これ、部屋でみるわね」
明珠は幼なじみたちからの贈り物を抱えると、部屋へと小走りに駆けていった。
***
宮殿に帰ってきた紅月は、簪を外し、服を着替えた。
「浮かない顔でございますね」
「ちょっと疲れているだけよ」
雪香に指摘された紅月は、どきりとしながら誤魔化した。
「では夕餉までお休みになられませ」
「そうね」
雪香が出て行って、紅月は寝台に突っ伏した。沢山の人にあったせいか、疲れているというのは嘘ではない。少し眠ろう、そう思って紅月がまぶたを伏せたその時だった。
『紅月!』
「うわっ⁉」
ぎょっとして紅月が振り返ると、眼前に玄牙の顔があった。思わず金切り声を上げそうになった紅月の口を玄牙が手で塞ぐ。
『騒ぐな』
紅月がこくこくと頷くと、ようやく玄牙の手が離れた。
『玄牙。どうしてここに?』
今まで玄牙が勝手に現れたことはなかった。それは玄牙が名を呼ぶ紅月の声を頼りにその場所に現れるからだ。唯一違ったのは、最初に解蠱を試みて、薬になりそうなものを飲み下した時だ。そう思い当たって、紅月はあ! と声を上げた。
『お前、また俺の一部を痛めつけたな』
『ごめんなさい。すっかり忘れていたのよ』
祓の儀式で、玄牙は紅月の内部の猫鬼が苦しんでいることに気づき、すぐ向かったのであろう。だが、祈祷が邪魔で近づくことができず、ここまで様子を見ていたのだろう。
『祈祷を跳ね返す護符でも持っていけばよかったわ。ごめんなさい』
『まあ……あと少しのことだ。気をつけていればよい。それより』
玄牙は言葉を切るとくんくんと紅月の体を嗅ぎ回った。
「なに⁉」
『お前……匂うな』
『香の匂いじゃないかしら』
『違う。呪いの気配がする。あの皇太后ってやつにまとわりついていたものと同じだ』
玄牙はそう言うと、こめかみに手をやり目を瞑った。
『玄牙、大丈夫?』
『少し頭が痛んだ。紅月、蠱師が捕まったからと言って用心は怠るなよ』
他にもいる、ということなのか。燕禹が捕らえられているというのに、誰が呪いを行っているというのか。で、あれば紅月はその正体を探らねばならない。
それは困ったことであるというのに、なぜが紅月は心の霧が晴れたような気がした。




