【52】 「きっと……大丈夫」
騎士様たちに体当たりで仰向けに地面に倒され、結果的に銃口を空に向けて発砲する形となったルドア殿下は、地面に跪いていたフラン伯爵とともに騎士様たちに捕えられた。通路を抜けてほかの騎士たちも続々と駆けつけてくる。
縄をかけるために腕を取られたフラン伯爵は「痛い! 痛い! 優しくしてくれえ」と泣きついていた。じろりと傷を一瞥した騎士様は「ただのかすり傷です」と事務的に伝える。するとそれに対して「そんなことはない」だとか「よく見ろ」だとか、顔を真っ赤にしていつまでも抗議を続けていた。
……あれだけ喋ることができるのなら大丈夫そう。
一方のルドア殿下は頭髪を後ろに撫でつけて乱れを直すと、真っ直ぐに顔を上げた。そのまま口をぐいっと固く真横に結ぶ。灰色の瞳は厳めしく前方を睨みつけていた。それは自分の矜持を保つためのようにも、縄をかける騎士様に対する威圧のようにもみえた。
大勢の騎士様によって囲まれたふたりは、王宮からの脱走のために使った通路から、再び連れもどされようとしていた。
連行されてゆくルドア殿下はテオ殿下を見ようともしない。テオ殿下も……声をかけなかった。
テオ殿下とノア様、マリエルと一緒に、逸る気持ちを抑えながら散策道から第三王子宮へと向かう。
歩けないマリエルはノア様に背負われていた。
「私の背にどうぞ」と手を差し出したノア様に、マリエルはこの世の終わりというような表情をした。それから大きく手と首をぶんぶんと左右に振って、精一杯の拒否を示す。
「そうですか。背中が嫌なら横抱きでも?」
そんなマリエルを意にも介さずに、いたって麗しく微笑みかけたノア様。さらに顔色を悪くしたマリエルは「背中で……」と、観念したようにその手を取った。
ノア様……。だんだんとマリエルの扱い方が上手くなってきているみたい。
テオ殿下はわたしの肩を気にしながら、無理のない適度な歩幅で歩いてくれていた。
お父様やお母様たちが心配で気持ちは焦っている。それは、国王陛下たちのことを案じているテオ殿下も同じはず。それでもわたしのために隣を歩いてくれる。
横顔を見上げると、ゆっくりと肯いてくれた。大丈夫だよというように。だから、わたしも肯き返す。大丈夫。テオ殿下もきっと、大丈夫です。
途中に、王宮で起こったことのおおよそを聞くことができた。
王宮の門の一部が突然に、轟音とともに崩れた。どうやら爆弾が投げ込まれたらしい。
門の付近が騒然となったその隙に、王宮内に侵入した者たちの手によって、再び法廷のある一画に爆発が起こり扉が破壊された。騎士団も警戒はしていたものの、負傷した者や、驚き逃げ惑う人々の混乱に乗じてルドア殿下の姿が見えなくなった。
ノア様の推測は「おそらく……ティリアンの監獄で働く下働きの者に混じった連絡係がいたのでしょう」ということだった。
「それにしても……マリエル様はよくご存じでしたね」
ノア様は珍しくもマリエルに感心をしていた。
「男爵領の治安は悪くはないです。ですが、有事の際には王都と違って、騎士団がすぐに来てくれるわけではないので……」
そうだった……! 訊きたかったこと!
「いったい手首の紐はどうやって解いたの?」
気がつけばルドア殿下の背後で紐の左右の端を握りしめ、両腕を伸ばしたままうつ伏せに倒れていたマリエル。わたしの後ろからは、シュッという空気を切るような謎の音もしていた。
ルドア殿下がテオ殿下に向けた銃の引き金をまさに引こうとするときに、確かになにかが動く気配がした。そして、ピンクブロンドの髪の毛が視界の隅で踊ったのだ。
「あれはね、護身術の一種なの」
ノア様の背中の上から、なんでもないというように答えが返ってくる。
「手首を縛られたときにはね、腕を上げて、両手を引き離すように力を入れて思いっきり振り下ろすの。何回もやっていると弛んでくるし、弱い紐だったら千切れるから」
あのシュッという音は、腕を振り下ろしたときの衣擦れの音……。
「マリエル……すごい」
ノア様と同じに心の底から感心してしまった。幼いころから身に付けていた術でなければ、とっさには行動にうつせなかっただろう。
「たいしたことじゃないよ」
照れたようにふにゃりと笑う。
「たいしたことだよ!」
マリエルが動いてくれなければテオ殿下は……わたしたちはどうなっていたことか……。考えると冷たい汗が流れそう。
「マリエル嬢の機転には助けられました。騒動が落ち着いたら改めてお礼をさせていただきたい」
「いえ! そんな恐れ多い……!」
恐縮して慌てているマリエルに、ノア様が悪戯っぽく口を挟んだ。
「いつものマリエル様らしくないですね。この際、セオドア殿下に直接に王室御用達の件をお話さ……」
「うわああああ!」
そう叫んだマリエルは後ろから両手を伸ばして、ノア様の口を手のひらで覆ってしまった。
「いえ、あの、その、失礼しました。……あのとき……セオドア殿下がルドア殿下の気を逸らしてくださらなかったら……おそらく気がつかれていて……撃たれていたのはわたしだったと思います」
ノア様の口を塞いだまま神妙な表情をしたマリエル。
「いや、それでもマリエル嬢の働きがあったからこそ事態の収拾がついたのです」
「いえ、本当に、わたしはただ……ルドア殿下がルナを蹴ったことが許せなくて……」
ああ……! マリエルってば、なんて……。
「わたしも! わたしもマリエルを蹴ったことが許せなかった!」
「ルナ……!」
マリエルの表情もふにゃっと崩れる。
「……良い友を持ちましたね」
「はい! 最高の友だちです」
灰色の瞳を細めたテオ殿下は、わたしたちに優しく微笑んだ。
「いいがげんだだじでぐだだい」
「あっ、すみません!」
くぐもった声の注文に、マリエルの手はノア様の口からぱっと離れる。顔を赤くしたノア様は息を大きく吸っては吐くことを繰り返していた。
「マリエル様……ひどいですね」
「だって! あれはノア様が……!」
ノア様とマリエル。なんだかんだとけっこう息が合っているように見えるのは気のせいなのかな?
そうそう! 肝心なことをまだ訊いていなかった。
「それで、ルドア殿下になにをしたの?」
ノア様との小競り合いを中断したマリエルは、「あのね。外した紐で、膝の裏をカクンとね」。そう言って、ふふん、と笑った。
▲▽▲▽▲
第三王子宮に近づくにつれて、大勢の人がざわめいている気配がしていた。
馬車や馬の乗り入れ用でもあるエントランス前の広場には、黒と青の軍服の騎士様たち、王宮の混乱から逃れてきた貴族たちが入り交じっていた。怪我をしたとみられる者、その付き添い、その場にしゃがみ込んでしまっている人もいる。
こんなに大勢の人たちが……。
テオ殿下とノア様の姿をいち早く見つけた騎士様が駆け寄ってくる。
「セオドア殿下!」
目の前で姿勢をぴしっと正した騎士様は敬礼をした。
「王太子殿下のご命令で、王宮では収容できない負傷者を第三王子宮に移送しております。エントランスホールの解放を願います!」
「そうか。了解した。ホールの解放を許可する」
テオ殿下は迷いもなく即座に判断を下す。
「はっ! ありがとうございます!」
騎士様は最敬礼をすると踵を返す。エントランス前にいた騎士様たちと合流すると、第三王子宮の扉が開かれた。
「こんなことになっていたなんて……」
ノア様の背中の上で漏れたマリエルの声は震えていた。
ぱっと見たところでは、負傷者の中にはお父様とお母様たち、オーギュスト様は見当たらない。
……大丈夫だよ、ね。
テオ殿下に繋がれた手にぎゅっと力が入ってしまう。
「ルナ」
その手を、大きくて温かい手が優しく握り返してくれた。
「私たちは今できることをします。これから王宮にもどりますが……」
ちゃんと「はい」と返事をしたいけど。わかってはいても、やっぱりこういった状況をいざ目の当たりにしてしまうと……。唇が強張ってしまって言葉がうまく出てこない。
「大丈夫ですよ」
テオ殿下の優しい声とあたたかい微笑みは、気持ちを落ち着かせてくれる。
お父様たちの安否はまったくわからない。
だけど……。
「……はい」
そう返事をしてまっすぐに灰色の瞳を見つめ返す。すると、握った手をすっと引かれた。そのまま大きな胸の中へとすっぽりと包み込まれてしまう。背中にそっと太い腕が回された。
「きっと……大丈夫です」
言い聞かせるように耳元でゆっくりと。
ああ……。
これはあの庭園のときとはまるで逆のこと。
その陽だまりのような灰色の瞳は、あたたかなぬくもりをわけてくれる。不思議と不安が凪いでゆく。無条件ですべてが大丈夫なような気がしてくる。
それはきっと、テオ殿下の気持ちが流れ込んでくるから。
硬い胸にこつんと額を押し付ける。
ありがとうございます。
テオ殿下。
* 今回、マリエルが手首の紐を外した方法は、結束バンドで手首を縛られたときに外すことができる実際にある方法です。
マリエルが縛られていたのはシャツで作った紐ですが、紐自体が強くなかったことと、フラン伯爵の縛り方がそこまで強くなかったことで弛み、外れました。




