【48】 事変 2
「これくらいなら歩ける?」
「うん……なんとか」
右足を浮かせたマリエルに左肩を貸して、散策道をゆっくりと進んだ。
マリエルは時折、眉間をしかめている。なるべく右足を動かさないようにはしているけど、それでも痛みはあるのだろう。
本当はムリをして歩かない方がいい。だけど……立て続けに聞こえてきた、なにかが崩れるようなあの轟音――。
なにが起こったのかもわからないのに、マリエルをここにひとりだけ残してはいけない。
もしかして、という不安に……気持ちだけは急いてしまうけど。
「ルナ……。やっぱり先にもどって。テオ殿下のことも心配でしょ?」
マリエルはまた同じことを繰り返した。
「だめだよ。さっきも言ったよね。それこそマリエルをひとりでなんか絶対に置いて行けない。それに心配してるのはマリエルも同じでしょ?」
「でも……」
「でも、も、だってもなし。だから背負ってあげるって言ってるのに」
「それは……遠慮しておく。もう、ルナの……頑固者」
「どっちが」
軽口のマリエル。
痛みを紛らわせるためだろう。
申し訳なさそうに、ムリに笑った表情も辛そうだった。
「もうちょっとだから」
「……うん」
実際には、第三王子宮まではまだ距離はある。だけどこんなときには嘘も方便。もうちょっとでたどり着くと思って歩いたほうが、気持ちは楽……かもしれない。
しばらく歩いていると左側の木立のなかから、なにかが聞こえたような気がした。
林の木々は落葉樹と常緑樹が混じり合っていた。それがすこし手前からは、左側の木立は常緑樹だけになっている。木の幹はかなり奥のほうまで重なり合っていて、それなりに深い林になっているようだった。
その林の中に続く道は造られてはいない。
木々の枝は伸び放題になり葉も生い茂っているために、陽光は遮られていた。今日のような天気のよい日でも、左側の木立のなかはうす暗い。
人が立ち入るようには整備されていないようだった。
……ウサギとかリスとか……動物かな?
そんなことを思ったときに、またなにか聞こえた。
草や落ちた枝を踏み鳴らす音と……人の声?
マリエルも同時に左の木立のなかに顔を向けた。
気のせいではないみたい。
「マリエル、なにか聞こえたよね?」
「うん。この林ってなにかあるの? ルナは知ってる?」
「ううん、知らない」
薄暗い林のなかは木の幹も前後に重なりあっていて、目を凝らしてもよく見えなかった。聞き耳を立てていると、足音と話声らしきものがだんだんと近づいてくる。
木々の陰にすっかりと隠れてしまっていて、姿は見えない。
わずかに聞こえた声はテオ殿下に似ていた。
「……テオ殿下?」
マリエルにもそう聞こえたみたい。
でも、ちょっと違うような……。
テオ殿下の声はもっとやわらかな感じがする。
今の声は……。
ふっと、ある顔が浮かんだ。その途端にゾクリとした悪寒が背筋を這う。
いや、でも………まさか。
だけど……もしかしたら。
「……マリエル、隠れるよ」
「えっ!? なに? どうしたの?」
マリエルの腰を抱えて、くるりと身体を反対に向けようとしたそのときに、がさりと左側の木の枝が大きく揺れた。
反射的に目を向ける。
そこには――。
ローブを被った小男と薄金色の髪と灰色の瞳の男……ルドア殿下の姿があった。
△▼△▼△
「……ほお、貴様はどこかで見た顔だと思ったら。セオドアの婚約者じゃないか……」
目が合った瞬間は驚いたような表情をみせたルドア殿下。
それから一瞬の間をおいて、灰色の瞳を眇めてニヤッと笑った。
監獄の生活で痩せたようだ。以前よりもほっそりとした身体と鋭くなった輪郭。その分、灰色の瞳に冷酷な影が増す。
隣のローブの小男は、ルドア殿下の言葉に反応してこちらをじろじろと見ている。深くフードを被っているために顔はよくわからない。
「なあ、フラン伯爵。やはり私はサリファ―ルの加護を受けているのだろうな……」
「そうでございますなぁ。殿下」
フードの小男は大きく肯いた。
フラン伯爵……! 行方がわからなかったはずなのに。
無意識のうちに唾を飲み込む。ごくりと喉が鳴った。
「なんで……ここにルドア殿下が……」
ルドア殿下は王宮の法廷で裁判中のはずだ。
それなのに、ここにいる……。
さっきの轟音は……。
『王宮からの秘密の通路が、この第三王子宮の林にまで繋がっているという昔話があるのです。それを聞いたときには、樹の洞から古井戸の中、大きな石をどけてまで、一日中探していました。それこそ――』
夏の日にテオ殿下が話してくれたこと。
繋がった瞬間に心臓の鼓動が跳ね上がった。
「ちょうどいいな。貴様らには私のために人質になってもらおうか」
人質……。
逃げたほうがいいに決まっている。だけど、マリエルを抱えても、背負っても、たぶん逃げきれない。
フラン伯爵なら、お腹を蹴っ飛ばせばなんとかできるかもしれない。だけどルドア殿下は……。怪我をしていないマリエルとふたりなら、どうにかできたかもしれないけど。
「ルナ……」
マリエルがきゅっとしがみついてくる。小柄な身体が震えている。
絶対に、護らなければ――。
「逃げようとしてもムダだ」
ルドア殿下はすっと腕を水平に上げた。
その手の先に握りしめていたもの。
「なんで……あれを」
それを見たマリエルが呟いた。




