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「アマリーっ……!」
ヘレンは屋敷から少し離れた場所から出ている寄り合いの馬車に乗って町へとやってきた。以前、ノアと町歩きをしたときにターニャの好きなカフェの場所を聞いておいて本当に良かったと思う。そうでなければ、屋敷の誰かに聞かなければならなかった。そうしてしまえば、何かがあったことがすぐに露見してしまったであろう。
きっとここに来れば、クリスが自分を見つけることが想像ついていた。そのために彼は、アマリーを攫ったのだから。
そしてヘレンの想像は当たっていた。
「ヘレン嬢」
「っ!」
背後からいきなり声をかけられたヘレンは、すぐさま飛びのいて振り向いた。そこには、狐目の男がにまにまと笑みを浮かべている。
「お早い行動をありがとうございます。よかった、会ってくださって」
「……アマリーは、どこですか」
「そんな険しい表情をしないでください。あの方よりは不美人ですが、似合わないですよ?」
「あの方…? 誰のこと…?」
「それを貴女が知る必要はありませんねぇ…。さぁ、とりあえずついてきてください」
「アマリーはどこですか。それがわからないのであれば…」
ヘレンの取り繕った強きを見抜いているのか、クリスは笑みを浮かべたまま背中を向けた。
「もちろん無事ですよ。貴女との取引材料ですからねぇ。ですが、貴女がついてこないというのであれば……」
言外にどうなっても知らないぞという言葉に、ヘレンは警戒を強めながらクリスの後をついて行くことにする。
「あぁ、申し遅れました。私はクリストファーといいます。どうぞ、よろしくお願いいたしますね」
「…人攫いをするような人と仲良くする趣味はありません」
「ははっ……」
ヘレンはどうやって時間を稼ごうか、必死に考えていた。ここに来るまでの時間、ヘレンとて何もしなかったわけではない。時間さえ稼げれば、何とか出来るかもしれない。そう考えていると、クリストファーがぐりんっと顔を振り向かせた。
「ひっ」
「あはは。自警団の人に助けでも求めました?」
「っ!」
そう。ヘレンはここに来る前にノックスを使ってゼニアに連絡をしていた。返事はもちろん来ていないし、内容が内容なので詳細は書けていない。だが、ゼニアならば気づいてくれるだろうとヘレンは信じていた。
しかしこの男は、それすらも読んでいたというのか。
その瞬間、ヘレンは自分の取った手が間違っていたと気付いた。クリストファーという男に会うのであれば、万全にしなければならなかったのだと。
「ざぁんねん! ヘレン、君は清廉潔白な世界で生きてきたんだねぇ」
「っ!!」
次の瞬間、背後から誰かがヘレンを羽交い絞めにし、そして口元に布を押し当ててきた。
「―――!!」
「でもね、ヘレン。世界は汚いことばかりなんだよ?」
意識が落ちる寸前、クリストファーの言葉が耳に届いた。
*****
「なぜもっと早くに報告しなかった!!!!」
「~~~っ!!」
トンクスはシエルによってもたらされた情報に、雷を落とした。最悪だ、と内心で思う。なぜ、よりによって今日なのだ、と。
今日に限って、エルサとノアは不在にしていた。年末の挨拶を王家にするために登城しているのだ。戻るのはまだまだ先の話だった。
「ヴィヴィアンヌ!! 急いでエルサ様達に手紙を!!」
「はい!」
ヘレンのことを探っている輩がいることは分かっていた。そしてその男の動向も掴んでいた。それなのに後手に回ったという事実に、トンクスの怒りは怒髪天を突いていた。
「と、トンクスさんっ…! あ、アマリーは……!」
「分かっている! 屋敷の内情は話していないと言いたいのだろう!? だがな! 探っている人物がいると私が言った時点で! 報告すべきだった!!」
「っ!!」
預かっているお嬢さんだとかそういった問題ではない。ヘレンは、女性に対して忌避感を持っていたノアが唯一好ましいと思っている人物なのだ。彼女を逃せば、ノアが幸せな結婚を出来る可能性など、どれほどあるのだろうか。それにヴィノーチェ家の面々が気に入る嫁など、そう簡単にいるはずもない。
「とりあえず、私についてこい!」
「はいぃぃ!!」
「ベン! お前もだ!」
「はい!」
「ヴィヴィアンヌ、お屋敷のことは任せた!」
「わかりました。どうぞ、お気をつけて」
「ターニャ様方の耳には絶対にいれるな!」
「もちろんです。トンクス、落ち着いて対応してください」
「っ……! ふぅ……よし、行くぞ。シエル、お前はアマリーから聞いたことを全部話せ」
「かしこまりました!!」
トンクスはベンに急いで外套を着させると御者台に乗せる。そして馬車内にはトンクスとシエルが乗り込んだ。
「ベン! 何でもいい! とりあえず飛ばせ!」
「かしこまりました!」
いくら質のいい馬車といえども、飛ばせば中に乗っている人は跳ねた。しかしそれを気にしている場合ではない。
「詳細を話せ」
「はい…数日前、アマリーが町に買い出しに出かけた時にクリスという男に声をかけられたみたいです」
「それで」
「その男はヘレン様を探しているようでした。でも、お屋敷のことは話してはならないと言われていたので、アマリーには話すなって怒りました。でも、アマリーは何かその男から聞いたのか、すごく迷っていて……」
「続けろ」
「いてっ……! でも! お屋敷のことは話せないって言ったんです!! そんで、そしたらあいつ、男のことをヘレン様に言うのは問題ないって…!」
「…っ、それは確かに言っていない」
トンクスの言葉に、シエルは少しだけ安心したような表情を浮かべるも、すぐさま引き締めて話を続けた。
「そんで、そのあとは良く知らないけど! アマリーは最後に伝えなきゃって言って、今日町に行きました!」
「ふむ…最後、か」
アマリーの言葉をトンクスは考えた。最後、ということは何かしらの答えを持って行った可能性が高い。そしてそれは、クリスなる人物にとって色よい答えではなかったのだろう。
「シエル、良く聞きなさい。現在、アマリーは人質に取られていると考えて、まず間違いないだろう。その相手はヘレン様だ。アマリーの命を楯に、クリスはヘレン様を国に連れ帰ろうとしている」
「はい……」
「これはヘレン様の性格を利用したものだ。そしてアマリーのも」
「……はい」
「アマリーがとても優しいことは知っている。それはとてもいいことだ。だが、公爵家に仕える人間としては駄目なのは理解できるな?」
「っ……はい」
「お前もだ、シエル。アマリーがそういうことをしていると知った段階で、私たちに報告しなければならなかった」
厳しいことを言っているのは理解している。彼女たちはまだ十六だ。だが、だからと言って甘やかしていい理由にはならない。公爵様に拾われて、その命がある以上、公爵家に―――ヴィノーチェ家に―――仇なす行為をしてはならない。若いなどは、理由にはならないのだ。
「報告さえしていれば、回避できたかもしれない事案だということはわかるな?」
「……はい」
「よろしい。アマリーは必ず救う。そのあとのことは覚悟しておくことだ」
「っ…はい!」
トンクスはそれだけ言うと、これからのことを考えなければと沈黙する。
まず、アマリーとヘレンの居場所を探す。そして、クリスという男の詳細を洗い出す。バーゲンムートから来た男だというのは知っているが、その背後関係を洗い出すのだ。そして二度と手出しができないようにする。
更にヘレンからバーゲンムートの枷を外すことも考えなければいけない。今回の事件も、結局ヘレンがバーゲンムートのことを放置していたことが一端だ。ならば、それを断ち切ればいい。
トンクスに、ヘレンをバーゲンムートに帰すという考えは最初からなかった。彼女は、ヴィノーチェに必要な女性だ。その彼女をみすみす逃すような真似などしない。
そうして三人がアマリーが行ったと思しき場所へ到着すると、そこには何故かミーシャがいた。
「トンクスさん!!」
「ミーシャ様!? どうしてここに……」
「ゼニアがヘレン嬢からノックスが来たと。ただ、ターニャ嬢が気に入っているカフェとしか書いてなくてね。我々も只事ではないと判断して割ける人数をカフェに回したんだ」
「なんと…!」
「それで、どうなっている?」
「はい…! 実は屋敷の料理人見習いが攫われました。ヘレン様との取引材料かと考えられます」
「それで? ヘレン嬢との取引材料ってことは、バーゲンムートの人間かな?」
「おそらく。クリスと名乗った男だそうです」
「……なるほど…。ヘレン嬢を見かけたという人はいた。傍に男がいたことも確認できている」
「もうそこまで…!」
「とりあえず君たちがここに来たということは、私の当たりだね。他のカフェに回している団員をこちらに寄越すよ」
トンクスはミーシャの早い対応に感謝した。正直に言って、ここに来るだけでどういった情報を得られ、手段が取れるのかまでは考えられていなかったのだ。
それに情報収集するにしても、三人だけでは心もとなかった。その点、ヘレンがノックスを使って自警団に知らせてくれたのは助かった。
「人一人を攫うということは、必ず誰かしらの目に映っているはずだ。それにそのバーゲンムートから来た男であれば、見慣れないということもあって裏の人間の目にも覚えがいいだろう」
「感謝いたします、ミーシャ様…!」
ミーシャは胸元にあった笛を吹いた。そうすると空に甲高い鳴き声を上げながら旋回する大型の鳥が目に映る。
「これで他の団員には知らせた。トンクス、貴方たちはここら辺を任せる。私は別のものをあたるよ」
「かしこまりました」
トンクスはミーシャがいて良かったと本当に思った。彼女がいなければもっと時間がかかっていたかもしれない。…まだ見つかっていないが。
「……と、トンクス、さん…」
傍らには、自分たちのしでかしたことに恐怖を覚えているのか、カタカタと震えているシエルが真っ蒼な顔で立ち尽くしている。
「…アマリーを見つけたいのであれば、必死に探せ」
「っ! はい!」
そうして誰もが、必死になってアマリーとヘレンの消息を探すべく、情報を求めて駆け出した。




