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約束の日、アマリーは神妙な面持ちでクリストファーとの約束の場所にいた。
「アマリー嬢! お待ちしておりました!」
「クリス、さん……」
「どうかなされたのですか? 浮かない顔をして」
アマリーは、ヘレンの助けになれると思っていたがそうでない事実に気落ちしていた。クリスと会ったその二日後、トンクスに言われてしまったのだ。
―――「ここ最近、ヘレン様のことを嗅ぎまわる人間がいることが判明しました。その為、どのような人物でもエルサ様やノア様を通してヘレン様にお会いしようとしない人に、情報を一切話さないこと」
確かにシエルに言われたことにより、クリスにこれ以上話せないというつもりではいた。ヘレンを探しに遠路はるばるここまで来た人に対して、無情かもしれないが仕方のないことだとアマリーは自分に無理矢理言い聞かせるしかなかった。
それに、トンクスの言葉を聞いて、クリスがその人物ではないかと疑ってしまったのだ。
「クリスさん、あたしからはもう何も教えることができないんです…。ノア様やエルサ様に直接お会いすることはできませんか…?」
「あぁ…どなたからか注意を受けられたのですね…アマリー嬢、貴女の心を苦しませるような真似をしてしまい、申し訳ありません」
「クリスさん…! では…!」
アマリーは、クリスは違うのだと一瞬思った。本当に彼がヘレンの家族から依頼を受けているのであれば、そうするはずだ。
しかし、クリスは首を横に振った。
「わたくしとしても、そうしたいのはやまやまですが…どうしてもそれだけは出来ないのです…」
「どうして!? ご家族の方はヘレン様にお会いしたいのではないの!?」
「……アマリー嬢、これは、醜聞になりますので、他言無用でお願いいたします」
「しゅうぶん?」
「あぁ……要は、良いことではない、ということです」
アマリーは必死に考えた。良くないことを、自分が聞いてもいいのだろうか。しかし、それが理由でクリスがエルサたちに会えないのだとすれば、聞いた方がいいとも勝手に考えてしまった。
「わかりました、誰にも言いません」
「よかった……。実は、ヘレン様はバーゲンムートで病に罹ってしまわれたのです。それは人にうつるようなものではありませんが、そのことはヘレン様のお家だけの秘密でもございました。そんななか、ヘレン様は逃げ出してしまわれて、妹君であるカレン様がヘレン様のことをたいそう気にされているのかもしれないのです。それを気にしたカレン様の旦那様が、わたくしの主に探してほしいと依頼をされたのです」
「そんな……! ヘレン様は今でもご病気なの…!?」
それは衝撃的な事実であった。もしそうだとすれば、家族がヘレンの行方を探すのは仕方のないことだ。しかし、アマリーはあることに気づいた。
「…でも、どうしてエルサ様達にそのことをお伝えしていないの…? それにクリスさんも、どうしてそのことをエルサ様達に教えて差し上げないの…?」
アマリーの問いに、クリスは柔らかく笑みを浮かべた。
「バーゲンムートの貴族というものはとても難しいのです。もしヘレン様がご病気を患っていたと知られれば、ヘレン様は誰からも愛されずに孤独な人生を送ることになってしまうのです。それを防ぐために、出来るだけ知っている人を少なくしたいのです」
「!!」
バーゲンムートとはなんて怖い国なのだろうとアマリーは思った。家族が病気にかかったのであれば、みんなで看病するのが普通ではないのだろうか。もしそうでないのだとして、クリスの言ったことが本当なのだとすれば、誰にもバレずにいたいと思うのは悪いことなのだろうか。
「で、でも、ノア様なら……」
「ノア様? ヴィノーチェ家の跡継ぎであらせられる? その方がどうされました?」
アマリーはそれを言ってよいのかどうか迷ったが、少しくらいであれば構わないだろうと考えた。
「あたしもくわしくはないんですけど、ノア様がヘレン様を奥様にと考えているみたいで」
「っ! 何と!」
アマリーの言葉に、クリスはひどく驚いた表情をし、そして渋面をつくった。
「……それは、ヘレン様のご両親の知らないことですね。そうでなければ、わたくしが派遣されるはずもないので…。しかし、そうですか…。ですが、跡継ぎ様はヘレン様が病に罹られたことをご存じないのでしょう?」
「あたしには……」
確かに、アマリーもヘレンがかつて病に罹ったことは知らなかった。しかし今のヘレンを見て、病に罹ったとは思えないのだ。いったいどのような病なのだろうか。
「クリスさん、ヘレン様が罹った病って…」
「あぁ、申し訳ありません、わたくしの口からは…。ですがいつ再発してもおかしくない、とだけしか…」
「そんな…」
もしそれをヘレンがノアに知らせていないのだとすれば、それはノアに対する裏切りではないのだろうか。
アマリーの心に少しの猜疑心が生まれる。あんなに良くしてもらっているのに、ヘレンはヴィノーチェ家に嘘をついているのだろうか。そうだとすれば、ヘレンとノアが一緒になるのはいいことだと一概には言えなくなるだろう。
「……でも、ヘレン様がノア様に内緒にしているとは思えません」
「そうかもしれませんね…。ヘレン様とて人間。恩に仇で報いるお人ではありませんから…。ですが、ヘレン様のご両親の許可なくご結婚されるというのは、外聞も悪いでしょうに…」
「ヘレン様のお父様たちは、お国にいるんですか?」
「えぇ。ヘレン様がいなくなられてからとても悲しんでおられて…。ヘレン様もご両親との間に色々あったとは聞いておりますが、せめて連絡の一つでも……」
「そう…ですよね」
確かに、いくら喧嘩をしたからと言って、ずっと連絡しないのはよくないとアマリーは思った。とても悲しくて、寂しいことだとも思った。せっかく生きているのだから、もっと一緒にいて、話をしたらいいのに、とも。それらはすべて、アマリーがしたかったことだ。
「……あたしから、クリスさんにヘレン様の事をお伝えすることはできませんが、ヘレン様にクリスさんのことをお伝えすることはできます」
「! アマリー嬢! なんてお優しい…貴女に声をかけて本当によかった…。今すぐに手紙を用意しますので、お待ちいただいてもよろしいでしょうか?」
「はい!」
アマリーはそれならトンクスの言ったことに背かないだろうと考えた。これならば、シエルもアマリーを怒ったりしないだろう。
そうして十分ほど待っただろうか。クリスが封筒をアマリーに渡す。
「アマリー嬢、ヘレン様に、わたくしがお会いしたいと言っていたと伝えて頂けますか? しかしヘレン様がお会いしないと仰られたとき、お手数をおかけするのですが、教えていただけますか?」
「わかりました。いつお伝えしたらいいですか?」
「そうですね…明日、また同じ時間にここでお願いできますか? ヘレン様に無理強いはしませんと伝えても頂けると、とても助かります」
「はい!」
アマリーは意気揚々と手紙を片手に、屋敷へと戻る。その後姿を、クリス…クリストファーは満面の笑みで見送っていることを知らずに。
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「ヘレン様」
「? どなたでしょうか?」
「厨房見習いのアマリーです」
「アマリー? どうかしましたか?」
「今少しだけ、お時間よろしいでしょうか」
ヘレンは、初めて自分の部屋を訪れたアマリーを不思議に思いながらも部屋へと通した。何かシュゼットたちからの伝言でもあるのだろうか。見習いのアマリーとシエルには厨房で幾度か会い、会話を交わしている。とても素直でいい子たちだとヘレンは認識していた。
「どうぞ、入ってください。どうかしましたか? シュゼットたちからでしょうか?」
「いいえ、あの、秘密のお話が…」
「秘密の?」
アマリーはきょろきょろと周りを見ながらさっとヘレンの部屋に入った。その姿は、誰にも見つからないようにしているようだった。
「ヘレン様、とある方からお手紙を預かっています」
「とある方…? どなたからでしょうか?」
「バーゲンムートのクリスさん、という方からです。どうぞお読みください」
ヘレンはそう言いながら渡された封筒を受け取る。無地で、誰かからなのかはすぐにはわからなかった。
「…? …………え…?」
バーゲンムートのクリスという人物に、ヘレンは心当たりはない。だが、手紙に書かれている内容には、嫌というほど思い当った。
―――ヘレン・マイヤー伯爵令嬢
ある方より貴女を探すよう依頼を受けました。
貴女の生家は貴女という灯火を失ったことで悲惨なことになっております。
貴女であれば、このことはさぞかし心を痛める事実だろうことは察せられます。
一刻もお早いお帰りを望むものが多数おります。
どうぞ、貴女の本来あるべき場所へお戻りを。
「こ、れは……」
「ヘレン様、あたしはクリスさんから色々話を聞きました…。ヘレン様は、本当にこのままでいいのですか…っ?」
「アマリー…?」
「ヘレン様が病に罹られたことも、ご家族と喧嘩してしまったことも、仕方のないことかもしれません…でもっ! こうして探しに来るほどヘレン様を心配しているんですよ…?」
「っ」
アマリーの口からもたらされた情報に、ヘレンは息を呑んだ。自分が病になったことを知っているのはごく少数のはず。それをそのクリスなる人物が知っているということは、確実にマイヤー家の誰かしらと知り合いというのは本当だろう。だが、ヘレンが家を出た理由を一言喧嘩で終わらせるということは、そこまで深い知り合いではないのかもしれない。
しかし、敢えてそのことを言っていないのだとすれば…?
ヘレンはどうするべきか混乱しながらも考えた。
「……アマリー、その人は、他に何を…?」
「クリスさんはヘレン様とお会いしたいと言っていました。ただ、無理強いはしたくない、とも」
「そうですか…」
いつかは家族とも会って話をしなくてはいけない日がくるとは理解していた。しかし、本当にそのクリスを信じてもいいのだろうか?もし本当に彼が頼まれたとして、どうしてヴィノーチェ家に正式に会いに来たとは言わないのだろうか。
そこに隠された何かがある、とヘレンは思った。
「……アマリー、私にクリスという名の知り合いは居ません。なので今すぐ会うということはできません。それに、どうして彼はヴィノーチェ家に正式に来ないのか…」
「それはあたしも聞きました…。でも、ヘレン様の為だと…」
「……とりあえず、クリスさんがノア様たちに正式に訪問の約束を取り付けない限り、私からお会いすることはありません」
「……そう、ですか…」
ヘレンは消沈したアマリーの姿に心を痛めながらも、それは譲れないとヘレンは思う。現在、ヘレンはヴィノーチェ家の保護下だ。その自分が、勝手に行動していいはずないと考えた。そしてノアたちに相談しなければ、とも。
しかし、それが全てクリストファーの予定通りだとは、ヘレンは気づけなかった。




