19
カロリアンはゆっくりと季節を移し、穏やかな秋へと彩られていた。南側はまだ少しだけ暖かいが、いずれ紅葉が美しくなるだろう。町の市場は季節の食材が並び、誰もが秋の訪れを感じていた。
ヴィノーチェ家でもそれは例外ではなかった。カロリアン内でも北に位置しているため、いち早く紅葉が見られる。屋敷を囲む木々は黄色や赤などに染められ、落ち葉はまるで絨毯のような色彩を見せ始めた。
南側では積雪こそないものの、雪自体は降る。しかし北側では積雪もあるため、誰もがその準備を始めている、そんな時期でもあった。
「ねーエメリオ」
「なぁに、姉さま」
「ヘレンとお兄様ってどうなのかしら」
「どうって?」
そんな中、ヴィノーチェ家の屋敷のある一室で、幼い二人はお菓子を食べながらそんな会話をしていた。
「もう! 分からない振りしないでよ! ヘレンが私たちの義姉になるかっていう話よ!」
「僕はヘレンのこと好きだから、そうなればいいなぁとは思うけど」
「それは私だってそうよ。ママもそう考えているみたいだし。でもでも! あの二人、イイ雰囲気っていうものが欠片もないのよ!?」
「そうかなぁ?」
「そうよ! お兄様はヘレンに仕事ばかりやらせていて! デートだってほとんど行っていないわ! これじゃあヘレンが他の殿方に目が行ってしまうでしょう!?」
「そもそもヘレンは屋敷からあまり出てないんじゃ…」
エメリオの言葉を聞いていないのか、ターニャは拳を握りながらそのまま熱く語りはじめる。
「この前ちょっと聞いてしまったのだけれど、ママとお兄様はヘレンをお城に連れていくみたいなの。もしそこでお兄様より素敵な殿方がヘレンを見初めたらどうするの!?」
「何してるの、姉さま…。それにお仕事で行くんでしょ?」
「だから! ここは私たちが一肌脱がないといけないと思うのよ!」
「姉さま? 僕の話聞いている?」
「…お兄様はあの人のことで結婚に対してショーキョクテキ、よ! でもお兄様だって素敵な女性を迎えて幸せになるべきよ!」
「それは思うけどさ、ねぇ、姉さま、僕の話も聞いて?」
ターニャは鼻息を荒くしながらかっかと燃えている。そんな姉を、エメリオは呆れたように見ていた。こうなった姉は、誰にも止められないと思いながら。
大人の前では天真爛漫な二人だが、実際はとてもしっかりとしている。父が亡くなり、母がボロボロになったとき、二人はとても幼かった。よく分からないうちに父がいなくなり、その存在を恋しがった。そんな二人を守ってくれたのが兄だ。そして、兄がとてつもない努力をしていたことを使用人たちから聞いている。だからこそ、幸せになって欲しい。
「エメリオ、協力しなさい!」
「姉さま、そういうのって、下手に手を出さないほうがいいんじゃ…」
「何を言っているの! このままじゃお兄様が独りになってしまうわ!」
「そんなことあるわけ…」
「作戦会議よ!」
「……」
ちなみに二人の会話の一部始終を聞いていた侍女のアイリスは面白そうだと思いながら、ただにこにこと微笑みを浮かべながら見ていた。
「ねぇねぇ、ヘレン」
「? ターニャ様、どうかされました?」
「明日時間はある?」
「明日、ですか? 明日はノア様がご不在なので時間はありますが」
「そう! なら明日私とエメリオに付き合って!」
「町にでも行かれるのですか?」
「いいえ! でもとっても面白そうなことよ!」
「わかりました」
ヘレンは、にこにこと楽しそうな笑みを浮かべるターニャにこくりと頷いた。先日ノアがヘレンを城に連れて行ってくれるという話をした翌日のことだ。ノアはヘレンが城に入れるように手続きをする為、一度申請をしに城に向かうのだ。その間、ヘレンは屋敷で読書でもしていようかと考えていた矢先の申し出だった。
ターニャの背後に控えるアイリスを見れば、彼女はにこにこと楽しそうに微笑みを浮かべている。内容を知っているのだろうか。
「じゃあ明日、朝食後に迎えに行くわ! 服装はイリーヌに任せてね!」
「? わかりました」
服装が指定されるほど、特別なことをするのだろうかと考えながらも頷く。もし危ないことを考えているのであれば、止めればいいだろうと考えて。
しかし翌日、ターニャの考えはヘレンの予想していないものだった。
「ヘレン! ジュノーとシュゼットよ!」
「え、あ、はい、いつも美味しい料理をありがとうございます」
「いえいえ、今日はよろしくお願いいたします」
翌日、ヘレンは迎えに来たターニャとエメリオに連れられて厨房へと足を運んでいた。イリーヌに用意してもらった服は袖が短く、何をするのか全く分からなかったが、どうやら何か料理をするのだろう。
……どうしてなのかはわからないが。
「今日はお菓子を作りましょ!」
「わかりましたが…でもどうして?」
「いいからいいから」
「ヘレン、ごめんね。姉さまのお願い聞いてあげて」
「それは全く構わないのですが…」
ヘレンはターニャとエメリオに続きながらジュノーとシュゼットの傍による。ジュノーは大柄の男だが寡黙で、シュゼットはふくよかで明るい女性だ。
本来料理人は自身の仕事場である厨房に人を入れることを嫌うと思っていたが、どうやら二人は違うようだ。ターニャたちとの様子を見る限り、ターニャたちは何度か厨房に来ているようだった。
「ジュノーは見た目は怖いけど、とーーっても美味しいお菓子を作ってくれるのよ!」
「今日はママと兄さまに差し入れの為のお菓子を作りたいんだ。それでヘレンにも手伝ってほしくて」
「わかりました」
「ヘレン様、わたしたちもお手伝いするのでご安心くださいね」
「よろしくお願いします、ジュノーさん、シュゼットさん」
ジュノーはこくりと一度だけ頷き、シュゼットはにこにこと笑っている。厨房の出入り口にはアイリスが見守るように立っていた。
「では、今日はクッキーを作ろうと思います。初めての方でも簡単に作れますからね。焼くのはジュノーがやります。さぁ、まずは手を洗ってください、御三方」
「「「はい」」」
三人はシュゼットの指示に従いながら手を洗い、そしてジュノーが用意してくれていたらしい材料を混ぜ合わせる。
「今日は三種類ほど作りましょう。プレーンのものと、ナッツが入ったもの、あとはココアのものです」
「分かりました」
「ヘレン、ヘレン、お菓子は分量がとっても大事なのよ!」
「姉さま、それシュゼットからの受け売り…」
「まぁまぁ、ターニャお嬢様はとても覚えが良くて。ねぇジュノー?」
「あぁ」
出来た生地を伸ばしていく。ターニャとエメリオは体格的に辛そうだが、それでもにこにこと楽しそうにしている。そんな二人をヘレンは優しい目で見ながら、シュゼットに指示を仰ぎながら自分の生地を伸ばしていく。
「ナッツのものはこうスプーンですくってこちらにお乗せください」
「はい」
「あ! 僕もやりたい!」
「ずるいわエメリオ! 私だって!」
「順番にやりましょう?」
厨房は温かい笑い声が響いた。
「いやぁーー、今日も頑張った頑張った!」
「母上はほとんど意見ばかりしていただけでしょう。それを纏めるのは私ですが」
「あはは、ノアの成長の為だ! 頑張ってくれたまえ」
「はぁ…」
エルサとノアは、ヘレンの見学の為に城に申請を出しに行った。そしてその城で他領主と会い、意見交換をしていたのだ。自領と他領の違いを踏まえたうえで行われる交換は二人にとっても有意義な時間となった。と言っても、エルサは意見や案をぽんぽん出すが、それを纏めて書面にするのはノアだ。
「おかえりなさいませ」
「あぁ、戻ったよ、トンクス」
「何か問題はあったか?」
「いいえ。夕食のご用意が出来ておりますので、御着替えになられましたら食堂へ」
「わかった」
エルサとノアはトンクスの指示に従うべく、それぞれの部屋へと戻り着替え、食堂へと向かった。
「ママ!」
「おかえりなさい!」
「ターニャ! エメリオ! 相変わらず可愛いなーーー!」
エルサは食堂に行くなり、ターニャとエメリオを抱きしめた。領主として忙しい身であるエルサが出来るだけ家族と共に過ごしたいと考えていることを二人は理解している。寂しくないと言ったら嘘になるが、それでも母が自分たちを愛してくれていることを知っている二人は、母が帰宅したときには全力で甘えている。
「おかえりなさいませ」
「あぁ、ヘレン。変わりはないかい?」
「はい」
「城の見学のことなんだがね、あとでノアに話を聞くといいよ」
「わかりました」
そうこうしているうちに、ノアが食堂へとやってくる。
「兄さま! おかえりなさい!」
「ただいま、エメリオ。ターニャも大人しくしていたか?」
「何よお兄様ってば! 私だってちゃんとしていたわ!」
「そうか」
それぞれの席についた五人と、執事見習いのベン、そしてフットマンのボブが席に着く。そして穏やかな夕食が始まった。
「ママ、お兄様、この後お時間はある?」
「どうしたんだい、ターニャ。もちろん時間はあるよ」
「よかった! あのね、サロンで食後のお茶をしましょう?」
「もちろん。ノアもいいね?」
「はい」
その時、ターニャがくすくすと忍び笑いを漏らしたのをノアは見逃さなかった。そしてエメリオは仕方ないとでも言うような笑みを浮かべ、ヘレンはそんな二人を優しく見ている。その様子を少しだけ不思議に思いながらも、ノアはターニャに促されるままサロンへと歩き出した。
「じゃじゃーーーん!」
「クッキー、かい?」
「そうよ! ママとお兄様がいつも頑張られているから、甘いもので疲れをとって欲しくて!」
「~~~なんていい子なんだ!! 本当に最高の娘だ!!」
「ママ、僕とヘレンも手伝ったんだよ」
「エメリオも! 私は幸せ者だなぁ…そう思うだろ、ノア」
「本当に」
ターニャが見せてきた皿の上には、綺麗なきつね色をしたクッキーが置かれていた。たまに不格好な形のものがあるのが、可愛らしい。
「これは私が型を抜いたの!」
「兄さま、僕のこれ!」
「うんうん、美味しい美味しいよ」
「あぁ、良くできているな」
二人がたまにお菓子を作っていることはトンクスから聞いていた。その時も二人は誇らしげに見せてきたものだ。ノアが過去に思いを馳せていると、ヘレンがとても嬉しそうに自分たちを見ているのがわかった。
「ヘレンはどれを作ったんだ?」
「あ、私、ですか…? これです」
「綺麗だな。作り慣れているのか?」
「いいえ、初めて作りました。お二人と厨房の方が丁寧に教えてくれたおかげです」
「うんうん、とても良くできているよ」
ノアとエルサがそう言うと、ヘレンは照れたように笑った。
ヴィノーチェ家の夜は、そうして穏やかに過ぎていった。




