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ジャクリーヌの歳を間違えました。
三十一→四十六です。
ご指摘ありがとうございます。
マイヤー伯爵家待望の男児が生まれたのは、ヘレンが十三歳の時だった。ジャクリーヌは四十六と高齢ながらも、健康な赤子を出産した。
そして生まれたのが男の子だと知ったドナルドは、それこそ狂喜乱舞した。
「あぁ、あぁ…!! なんて愛らしい…!! ジャクリーヌ、本当にありがとう、とても大変だっただろう…」
「ドナルド……これで伯爵家の跡取りは安泰よ…、よかったわ、貴方が喜んでくれて…」
夫妻は涙ながらに互いの手を取り握りしめる。もう二度と奇跡は起きないと思っていたが、まさか妊娠し、男の子を授かるなんて。
二人は神に感謝を捧げた。
ふにゃあ、と泣くくしゃくしゃの我が子は、世界で一番愛らしく見える。双子の娘の時もそう思ったが、愛する人との子供は目に入れても痛くないほど可愛らしく、愛しい。
「あなた、名前を、決めてあげて…」
「っ…あぁ、アンドレ…アンドレアス・マイヤーだ…!!」
「アンドレアス…なんて素敵な名前…、きっとこの子も気に入るわ」
「そ、そうだろうか…いつか男の子を授かったときにと、考えていたんだ…」
「よかった…あなたの夢を叶えられて…」
「あぁ、ジャクリーヌ、君がいなければかなうことのない夢だった…本当にありがとう、愛しい人よ」
そうして出産で体力を使い果たしたジャクリーヌと、その夫ドナルドはアンドレアスをベビーベッドに乗せ、そのまま休んだ。
****
ふやぁあああ、と声が聞こえ、ヘレンとカレンは互いの手を強く握りしめた。
「う、生まれたの…?」
「そのようでございますね」
ヘレンとカレンは、産気づいた母のことを心配し、扉の前で待ち続けた。出来ることなら傍にいたかったが、母の悲鳴を聞くたびに行かなくてよかったと思う。呻きと叫び声が聞こえるたびに、ヘレンとカレンは互いの体を抱きしめた。
そんな二人の傍にいたのは、執事のロドリゲス・サウザーとマリとエマだった。
母の悲鳴を聞くたびに涙目で大丈夫なのかと質問する二人を安心させていたのだ。
「ヘレン様、カレン様」
「っ、マリリン、お母様はっ…!?」
赤子の声が響く中、中から侍女頭であるマリリン・スミスが顔を出す。双子は、縋るようにマリリンに駆け寄った。
「大丈夫ですよ、元気な男の子がお生まれです」
「っ、よ、よかったぁ……」
「ひっく、ひっく…」
マリリンの言葉に、双子はへなへなとその場に崩れ落ちる。カレンは我慢していたのだろう涙が、その瞳からぼろぼろと零れ落ちた。
「ヘレン様、カレン様、もうお疲れにございましょう。今日は奥様も旦那様もお疲れでお休みになるそうです。明日、弟様とお会いできますよ」
「……そうですね、お母様、お疲れですよね。カレン、行きましょう」
「マリリン、ちょっとだけでもダメ?」
「私も会っていただきたい気持ちは一緒なのですが、奥様はとてもお疲れです。カレン様、どうぞ明日に」
「……」
「カレン、明日にしましょう? お疲れのところにお邪魔してしまうと、もっとお疲れになってしまうわ」
「…わかった」
少しだけむくれた様子のカレンを、ヘレンは慰める。出来ることなら自分だって弟に一目会いたいが、それで両親がさらに疲れるようなことはしたくない。
「マリ、エマ、お嬢様方をお部屋へ」
「「かしこまりました」」
そうして二人は、それぞれの自室へと戻った。
「ヘレンお嬢様、大丈夫ですか?」
「? 何が?」
「…いえ、なんでもございません、失礼しました」
部屋に戻り、休む支度をしていると、マリが不安そうにしながらヘレンに声をかけてきた。しかしヘレンには思い当たる節がなく、首を傾げる。
マリはゆっくりとお休みください、と言い部屋を出ていく。何かおかしい、ヘレンはそう思った。
「―――弟、かぁ……」
ヘレンはベッドに横たわり、天井を見ながらくふくふと笑った。
十三も下の弟。きっと可愛いだろうなぁ。一緒にお勉強とかできたらいいなぁ。カレンも妹だが、同い年の上に同姓だからなのか、妹という感じではない。しかし今度は年が離れた、弟なのだ。乗馬を一緒にやろう、せっかくだから教えてあげられたらいいな。勉強も、わからないところがあったら教えてあげたい。
だって、自分は一生懸命勉強しているのだから。
「―――あれ」
不意に、ヘレンは何かに気づいてその身を起こした。
「………お、とう、と…?」
弟、つまり男。マイヤー家の、長男。
「……? そうしたら私は……?」
弟が生まれなければ、ヘレンがマイヤー家当主になるはずだった。しかし、弟が生まれたら、ヘレンは当主になる必要は、ない。というより、なれない。
「?、??」
ヘレンは一瞬で混乱した。弟が生まれたのは、素直に嬉しいことだ。だが、そうしたら、自分は…?当主になれと言われ続けた自分は、どうなるのだろうか。
「……だ、大丈夫、よね…きっと、お父様も、お母様も、考えてくださる、はずよね…」
かすかに震える自分の手を、強く握りしめる。そうだ、当主になれなくとも、自分の頑張りを認めて他に道を提示してくれるはずだ。だって、自分は両親の言うことをちゃんと聞いていたのだから。
「………だいじょうぶ、大丈夫よ、ヘレン、大丈夫、お父様もお母様も、言っていたじゃない…私ならできるって…」
何度も何度も、言い聞かせるように言う。そのたびに、言葉が軽くなっていくような気がしたが、ヘレンはそれでも言うことをやめられなかった。
―――その日、ヘレンは夢をみなかった。
****
「ヘレン、カレン、おいで」
「っ!!」
翌日、ようやく父から母のところへ行ってもいいという許しが出たので、二人は早速母の部屋へと向かった。そしてベッドの上にいる母を見て、二人はたまらず駆け寄った。
「「お母様!!」」
飛びつこうとしたが、途中でヘレンは母が何かを抱えていることに気づき、慌ててカレンを止めた。そして母を見ると、美しく微笑む母が、ヘレンとカレンを見て、そして手元に視線を落とした。
「ヘレン、カレン、貴方たちの弟、アンドレアスよ」
「アンドレアス…」
二人は、恐る恐るおくるみに包まれた弟を覗き込んだ。
「……っち、ちっちゃぁぁぃ…」
カレンが小さな声でそう言った。そしてヘレンもこくこくと頷いた。ふにゃふにゃとして、少しでも声を出したら泣きそうな気がしたのだ。マイヤー家特有の黒い髪がとても柔らかそうで、くしゃりとした顔は、何故だかとても可愛らしく目に映る。
「ヘレン、指を貸して」
「ぇ…はぃ…」
母に言われ、ヘレンは人差し指を差し出す。ジャクリーヌはその指を、アンドレアスの指に近づけた。
「~~~!!」
小さい小さい、手。なのに爪とかある。でも小さい、自分の何分の一だろうか。でも、握ってくる。ふにふにしている。小さい、温かい。かわいい。
「お母様、カレンもっ…!」
「はいはい、カレンも貸して」
ヘレンはカレンと立ち位置を変えたあとも、握られた指を凝視していた。あんなに小さいのに、もう握ることが出来るのだと、感動していた。
「~~~アンドレ、可愛い…!!」
カレンも同じような感想を持ったようで、小さな声で感動の声を上げている。
「ヘレン、カレン、あなた達もお姉さまとなったわ。これからもアンドレのお手本になるような素敵な人でいなさいね」
「「はい、お母様」」
「私の可愛い可愛いアンドレーっ、泣かないでいい子だ…ヘレンにカレン! アンドレに会ったのだな、可愛いだろう!! お前たちの弟だぞ!」
母からの言葉に頷いていると、父が跳ねるようにしながら部屋にやってきた。その手にはたくさんのおもちゃを抱えている。
「あなた…アンドレには早すぎますわ。もう、しっかりなさって?」
「ははは、すまないすまない、ついな…。さぁ、アンドレ、お父様だぞ」
父ドナルドは、ヘレンとカレンに一瞬だけ気をやるもすぐさまアンドレアスにべったりと引っ付く。そんな父を、母も嬉しそうに見ていた。
「……カレン、行きましょう? あまり長居をしてはお母様を疲れさせてしまうもの」
「えーー、私まだアンドレといたい……」
「カレン……」
叶うのであればヘレンだって家族と一緒にいたい。しかし、疲れている母とまだ小さな赤ちゃんには余計な負担をかけないほうがいいと本に書いてあったのだ。勉強したことを生かさなくて、どうする。だが、それはヘレンだけだ。カレンはきっと言っても聞かないだろうこともヘレンにはわかった。
「……わかったわ、でもカレン、お母様とアンドレアスに負担をかけないようにしないとダメよ? 時間をちゃんと決めて、二人が休める時間を作るようにね」
「え、お姉さまはどうするの?」
「私は勉強をしないと…」
「? どうして?」
「どうしてって…」
「だって、マイヤー家を継ぐのはアンドレでしょう?」
「っ……」
ヘレンは、考えないようにしていたことを耳にし、一瞬硬直する。しかし、そんなことで一々動揺してはいけないと長年の教育がヘレンを叱咤した。
「…そう、ね…。でも、一生懸命勉強したら、アンドレアスの役に立つかもしれない、でしょう…?」
「あ、そうね、わかったわ、お姉さま。ちゃんと時間見て退室するから、お姉さまはお勉強を頑張ってね!」
「…ありがとう、カレン」
ヘレンは部屋を出る前に一礼するも、誰もがアンドレアスに夢中なのかヘレンの退室に気づいた様子はない。それでもよかった。今気づかれたら、きっとみっともない表情をしているのがバレてしまうから。
今日はグリンデル先生がいらっしゃる、だから、復習しないと。ヘレンはまるで言い聞かせるように自室へと向かった。
「ようこそお越しくださいました、グリンデル先生」
「こちらこそ、本日もよろしくお願いいたします、ヘレンお嬢様」
グリンデルは、いつものようににこやかにやってきた。時間も何もかも、いつもと同じように。
「今日もよろしくお願いいたします、先生」
「コートをお預かりいたします、先生」
「あぁ、マリさん、いつもありがとう」
ヘレンは挨拶をし、いつもと同じようにマリと共に自室へ向かおうとする。その時。
「グリンデル先生!」
「? これはこれは伯爵様」
いつもは姿を見せない父の姿がそこにはあった。にこにこと笑顔で、何かいいことがあったのだと伺わせる雰囲気で。
「いつもヘレンが世話になっている」
「いいえ、こちらこそ、お嬢様にお教えする時間はとても楽しいですよ」
「それで先生、実は我が伯爵家に子が生まれましてな」
「おぉ、なんと喜ばしいことでしょうか」
「長男のアンドレアスといってね。その子の教育をグリンデル先生にお願いしたい」
父が長男、と言った瞬間。グリンデルの細い目が見開かれた。
「…待望のご子息、ということですな。もちろんです。老骨ではございますが、尽くさせていただきます」
「あぁ、先生であれば安心だ。今後ともよろしく頼むぞ」
父はそれだけ言うと、また来た道を戻る。きっと母の部屋に行ったのだろう。ヘレンは、その背を黙って見送った。
「……参りましょうか、ヘレンお嬢様」
「…はい」
こぽり、と
ゆめをみる
つめたい
なにが
ふりかかる
なにが
こぼれている
ゆめをみる
………やさしい、ゆめ―――?




